School.1 ラッセルの依頼
「潜入捜査だ?」
マルタン教会内孤児院の庭先で、ティオゲネスは、その形の良い眉の根元を思いっ切り寄せて、目の前の男を見た。
視線の先に立っているのは、国際連邦捜査局、通称CUIOのギールグット州支部に勤務している刑事、ラッセル=ギブソンだ。
見た目は二十代半ば――下手をすると十代後半にも間違われそうな顔立ちをしているが、実年齢は今年で三十六である。顎はすっきりとした鋭角で、切れ長の目元を持っているが、やや大きめの琥珀色の瞳が鋭い印象を和らげている。その目が、彼を実年齢よりも若く見せているのだろう。
しかし、相対しているティオゲネスと比べると、ラッセルの容姿の端正さも霞んでしまう。
今年、十五になったティオゲネス=ウェザリーの容貌は、それほど整っていた。
昨年まで大人になり掛けの子猫のようだった目元は、流麗な線を描いた切れ長になりつつある。輪郭には幼子特有の丸みがなくなり、それ故にその美貌には益々磨きが掛かっていた。
この一年ほどで十センチは伸びた身長は、それでも百五十五センチと、十代半ばの少年にしては小柄な域を出ない。特別引き籠もりな質でもないのに、体質なのか、肌は抜けるように白かった。引き締まった体つきではあるが、腕は細く、肩幅も華奢だ。初対面の人間なら、まず十人中七、八人が女性と間違えるだろう。
何よりも印象的なのは、透明度の高いエメラルドと見紛う翡翠の瞳と、銀灰色の頭髪だ。胸のラインまでその毛先が伸びっ放しになった髪は、項よりやや上の位置で、無造作に纏められ、毛先は馬の尻尾のように揺れていた。
「そう。南西半島<アデライーデ>にある全寮制の中高一貫校なんだけど」
「イヤだね」
ナチュラルに話を続けようとするラッセルに、ティオゲネスはにべもなく一刀両断した。
「……まだ何も言ってねぇだろ」
絶妙なタイミングで、見事に話の腰を折られた格好になったラッセルは、がっくりと肩を落とす。
「だって、最初に潜入捜査に協力してくれって言ったじゃねぇか」
「……まあ、そうは言ったけど」
「あんたさぁ、何か勘違いしてねぇか?」
「勘違い?」
ラッセルが眉根を寄せると、ティオゲネスは涼しい顔で「そ」と頷いた。
「俺は今、しがない一般の幼気なガキだぜ? ゲリラのCUIO職員でもなければ、探偵紛いの便利屋でもない」
依ってこの話はコレで終了! と踵を返そうとするティオゲネスに、ラッセルが強力な効果を発揮する一言を投げた。
「エレンちゃんが関わってるって言ってもか」
別に、もう関係ない。
そう思うのに、意に反して足の方は、地面にピッタリと貼り付いたまま動かなくなってしまった。
半年前、エーデルシュタイン家の母子が起こした連続誘拐殺人事件が落着して、二週間程でエレンはどこかへ旅立って行った。移転する前に、彼女が教会へ一時帰宅することはなかった。
教会の方へ知らされたのは、『この事件の心的外傷が深刻で、転地療養を必要としている為』という移転理由のみで、どこへ行くかまでは伝わっていない。
転地療養の、本当の理由を知るティオゲネスも、行き先は知らなかった。
幼少期の環境柄、普段何かに特別執着することのないティオゲネスには珍しく、かなりしつこく食い下がったが、エレンの行き先に関しては、ラッセルもアレクシスも口を固く閉ざしていたからだ。
エレン本人が、『当分、親しい人間とは特に話をしたくない』と言ったらしい。
そこまで言われると、ティオゲネスも踏み込めなかった。というより、エレンの移転当初は、『ならもう勝手にしろよ』という意地の方が強かったように思う。
そうこうする内に、既に半年。
教会の周囲も花が芽吹き、春めいた季節になった。薄桃色のイメージの、そう――
(アイツの、季節)
淡い色の野の花を両手一杯に抱えて笑う、エレンの姿が脳裏を過ぎる。
春になると、毎年弁当を作って近くの丘までピクニックに出掛けようと言い出すのは、決まって彼女だった。
勿論、二人きりではなく、他の子供達総勢十名と、ブラザーも一人か二人、監督として付いて来ていた。
ピクニックは、ティオゲネスに言わせると、『生産性がなく、やっても意味のない』行事の一つだ。そういったイベント事とは、それまで無縁だった為、最初は面食らった。だが、ここへ来て一年経つ頃にはここの、というより彼女のノリに、不本意ながらすっかり慣れ、逆に声を掛けられるのを待っていた気もする。
けれども、今年は彼女がいないことで、誰も恒例のピクニックに行こうと言い出さなかった。
そのことに、ティオゲネスはどこか、胸にぽっかりと穴が空いてしまったような空虚感を覚えていた。
尤も、空虚感を覚えるのは、何もピクニックに関してだけではない。彼女がいないことそのものに、物足りないものを感じるのは、気の所為だろうか。
今頃、どうしているのだろう。
立ち止まった位置から視線を上げると、丁度窓の外に、彼女が丹精していた植木鉢が掛けられているのが見えて、ティオゲネスは舌打ちした。
色とりどりの花々が満開になっているのを見るのが眩しくて、彼女が水やりをしている光景を見られないのが堪らなく寂しい。
(……逢いたいな……)
ふと、そう無意識に脳裏で呟いてしまって、ティオゲネスは内心慌てた。
(逢いたいって、何だよソレ)
思わず自問するが、答えが出る訳でもない。
「おい、ティオ?」
その時、沈黙が少々長過ぎたのか、背後から声が掛かって、ティオゲネスは尚更慌てた。
迂闊なことに、今の今までラッセルの存在をすっかり失念していたのだ。エレンを思い出す一言を投げ寄越した張本人であるにも関わらず、だ。
『逢いたい』をうっかり口に出して言わなくて、本当に良かった。もし、聞かれでもしていたら、当分揶揄いのネタにされることは間違いない。
目を伏せて、深く息を吸い込むと、聞こえよがしに溜息を吐きながら、彼の方へ向き直る。
「……解ったよ。聞くだけは聞いてやる」
これで、エレンが関わってさえいなければ、『受けるかどうかは別の話だ』と付け加えていただろうが、それが口から出ることはなかった。
***
ラッセルの話によると、コトの発端は、一件の通報からだった。
通報は、南西半島<アデライーデ>のアクセルソン州、ユージェニー・シティにある、全寮制の中高一貫校に通っていた、女生徒の両親からあったという。
「その女生徒の親ってのが、アデライーデでも有数の資産家でな」
かつて、州議会の議員も務めていた男の子孫に当たる家で、その気になれば警察も頭が上がらないような家柄らしい。
「そんな家柄の、言うなれば『お嬢』が入学してるってコトは、そのガッコってな金持ちばっかが通う、ある意味じゃ『由緒正しい』ガッコな訳だな?」
「いやー、そうでもないぜ。修道院主催の学校だから、慈善の精神とやらで、お前が言うところのお嬢と、孤児が半々くらいかな」
ティオゲネスの、身も蓋もない指摘に、ラッセルは肩を竦めて話を続けた。
「で、話戻すけど。その女生徒が、寮内で殺された。半月くらい前の話だ」
「殺された?」
ティオゲネスが、形の良い眉根を寄せると、ラッセルは首肯する。
「そう。詳しくは分からんが、思いっ切り不審死だったらしい。で、同室だったエレンちゃんが疑われてるって訳なんだけど」
「……ちょっとマテ」
どこへ行っても、彼女は面倒事を抱え込まずにはいられないらしい、と思うと頭痛を覚えて、ティオゲネスは額に拳を当てて俯いた。
「質問があればどうぞ?」
戯けて言うラッセルに、「じゃあ、お言葉に甘えて」とティオゲネスは平板な声で問うた。
「アデライーデのアクセルソン州にあるガッコの捜査に、何でギールグット州支部所属のあんたが加わってんだ?」
「厳密に言うと、ギールグット州支部は関わってない。こないだ、たまたまアレクが定期訪問した時に、エレンちゃんの様子が、どうもおかしかったらしくてな。管轄支部の知り合いに話聞いたりして、詳しーく調べたらそういうコトだったってさ。こっちに、事件発生から情報が届くのに、こんだけ時間掛かったのはソレが理由だ。お前の言う通り、管轄外の州支部に、『ウチの管轄でこんな事件がありましたー』なんて連絡しねぇからな、普通」
「それ、改めた方が良いんじゃねぇの? 連携がちゃんとしてねぇから、こないだのドラ息子とバカ母親みてぇなのがノサバるんだろ」
ざっくり痛いところを突いたのか、ラッセルは途端に俯いて、「面目ない」とボソリと言った。
「で? それはそれとして、何でいきなり俺に潜入捜査頼もうなんて話になったワケ?」
ガシガシと側頭部を掻きながら、下から睨め上げるようにラッセルを見ると、彼は益々情けない顔をする。
「それが……さっきも言った通り、その女生徒が亡くなってから半月経ってるんだけど、未だに犯人が特定されてねぇんだ」
言うと、ラッセルは今問題となっている状況を挙げていった。
まず、警察の捜査が直接学院内に入れないこと。これは、学校の校長(正式には『学院』だから『院長』らしい)が頑強に捜査を拒んでいるのが原因だという。
院長曰く、『当学院は、神の子が学ぶ、神の子の家です。神の子らが、罪を犯した筈がありません!』ということらしい。
これが、宗教が絡んでいない普通の学校の言い分なら、『探られたら痛い腹があります』と言っているようなモノだが、聖職者の言うことは、どこまでが本気で、どこまでが方便かの判断が付かない。
そういう理由から、現場捜査は勿論、疑われたエレンの聴取も拒まれ、辛うじて今エレンは普通に学校生活を送っているという(流石に、現場となった部屋は移動したそうだが)。
しかし、管轄の警察書は警察署で、どうにかしたいという気持ちはあるようだ。何せ、地域の有力者の通報で、『何としても犯人を挙げてくれ!』という要求なのだから。
けれども、ごり押しも出来なかった地域の警察署は、州支部に訴え出た。が、学院側の対応は、州支部が相手でも同様だった。
八方塞がりになったその時に、状況を訊ねたのがアレクシスで、彼女の知人の刑事が、「どうにかならないか」と泣き付いたらしい。
「ってワケで、ギールグットにそのお鉢が回ってきたのはたまたまだな。アレクが他の州支部の所属だったら、そこに話が行ってたろうよ」
「あ、そ」
素っ気なく言うティオゲネスは、相変わらず睨むような鋭さでラッセルに視線を向けている。
「でも、潜入捜査したかったら、何も俺でなくてもいいだろ。アレクじゃダメなのか」
学校なら、全寮制とは言え、外部から教師も呼ぶだろう。
そう思って発した問いを、ラッセルはあっさりと覆した。
「さっきも言った通り、修道院主催の学校だから、職員が教員から事務員に至るまで全員シスターなんだよ。内部の人間が協力してくれるんならともかく、そうじゃないのに潜り込むのは難しくて」
「ちょっと待て」
そこで、またもやティオゲネスは、ラッセルの言葉を遮った。彼のセリフの中に、何やら不穏な単語があったような気がしたからだ。
「はい、何でしょう?」
またもや戯けるように言うラッセルを、今度こそティオゲネスは刺し殺せそうな視線で見据える。
「あんた、今なんつった?」
「え? いや、だから内部の人間が協力してくれそうにないから」
「違う、その前だ!」
「その前って……」
アレ何だっけ? というように首を傾げたラッセルに苛立つ。三十代半ばにして、呆けるのは早過ぎるだろう、と思いながら、ティオゲネスは引っ掛かった箇所を口に乗せた。
「教員から事務員に至るまで、スタッフ全員がシスター……って言ったよな?」
「あ、ああ。それが……」
何、と言おうとしたラッセルも、ティオゲネスの言わんとしているところに漸く気付いたらしい。見る見る内に微妙な顔付きになるラッセルに、畳み掛けるようにティオゲネスは続けた。
「エレンが通ってるのは、全寮制の中高一貫校だって言ったよな? 全寮制で、スタッフが全員女ってコトは……」
ここまで来ると、最早嫌な予感しかしない。
ラッセルも『マズい』という表情を隠さなかったが、潜入捜査を頼む以上、黙ったままでもいられないと腹を括ったのだろう。言い辛そうにしながらもティオゲネスの言い淀んだ先を、拾うように口に乗せた。――最も聞きたくなかった答えを。
「悪い……お察しの通り、その……」
女子校、なんだ。
所在なげにポツリと落ちたラッセルの言葉が、奇妙にあっけらかんとした響きを伴ってその場に落ちる。吹けば飛びそうなその声音に、ティオゲネスはただ絶句するしかなかった。
感じたことのない程酷い目眩の中で、自室の枕の下へ忍ばせてある拳銃を取りに走るべきか、今も常備している鋼線でラッセルを輪切りにするべきか、真剣に悩んだのは言うまでもない。




