バレンタイン 1
「ということで、『万事塞翁が馬』とは良いことと思った出来事が災厄を呼び、悪いことと思った出来事が幸福を呼ぶという意味のことわざだ」
そう言って、黒板に書き記した「人間万事塞翁が馬」の文字を指し示し、現国の授業を締めにかかる高橋。彼はこう付け加える。
「だから悪いことが起こったからといって、落ち込むこともないし、いいことが起こったからといって油断も出来ないということだな」
「いいこと」と「悪いこと」。その二つの言葉を聞いてクラス中の男子が浮足立つ。それもそのはず。今日は一年の最後のイベントらしきイベント。バレンタインデーだった。
万事塞翁が馬と言っても明暗の別れるこの日。そんなことわざは慰みの一つにもならないようである。男子達はひたすらいいことを待ち望んでいた。
授業が終わり、休み時間になると、さすが中学最後のバレンタイン。離れ離れになる男子女子もいるせいか、思い切ったチョコのやり取りが行われている。
その真っただ中、俊哉はVサインをして、威風堂々たるポーズを取る。
「バレンタインだ」
俊哉はどこか誇らしげだ。その自信ありげな様子を見て健が尋ねる。
「スゴイな。俊哉。誰かから貰えるあてでもあるの?」
「んにゃ。ない。でも期待はするだろ。男なら」
俊哉は即答した。加えて立て続けに健に尋ねる。
「健は? 誰かから貰えるのか?」
すると健は「あぁ」と言った様子で、余りバレンタインに関心がなさそうに答える。
「二人の姉貴からと、従妹のお姉さん。それと姉貴の後輩の女の子が二人、くらいかな」
それを聞いた俊哉は即座に健を断罪する。
「お前、友達なくすぞ」
「全部義理だよ。あっ二人の後輩女子はあながち」
健がそう応じると再度俊哉は念を押す。
「やっぱり、お前友達なくすぞ」
その二人のやり取りを香月達は微笑ましげに見ていた。彼女達は各々チョコの交換会、いわゆる「あげっこ」を終えていた。
夏樹が顎肘をついて俊哉と健を見つめる。
「何か楽しそうね。あの二人。やっぱバレンタインは何だかんだいって男の子も主役になれる日なのねぇ」
香月達から貰ったチョコを、丁寧に取りまとめている美穂がみなに尋ねる。
「ところで、みんなは男の子にはあげないの? 本命チョコとか」
「本命チョコ? ないわよ。そんなもの」
夏樹があっさりと斬り捨てた。そう言われて美穂は右眉を少し楽しげにあげる。
「そうなの? あら寂しい」
「そういう美穂はどうなのよ。誰か男の子にあげるの?」
美穂は少し間をおいて答える。
「んー、私は弟の陸かな。それと陸上部顧問の久我先生。色々あったけどお世話にはなったし」
「へー、エライわね」
夏樹がそう応じると、逆に美穂はみんなにそれぞれもう一度訊き返す。
「みんなは? どう?」
夏樹が答える。
「私はお父さんかな。大義理だけど」
朱美も続く。
「私もお父さん、それと女性だけど美術部顧問の桜井先生。桜は?」
そう訊かれた桜は、突然の質問に答えられず物怖じしてごまかす。
「私は、私は! 誰にもあげないです。はい」
「あー、何か怪しい。ひょっとして健君?」
「ち、違っ……!」
そう言ったきり、桜は頬を赤らめて黙り込んでしまった。夏樹達はその様子を目を細めて見ていた。
最後に夏樹が香月に話を振る。
「香月は? 誰かにあげる予定はあるの?」
香月は無邪気に答える。
「うん。一人男の人にあげるの」
『えー!』
美穂達は声を揃えて驚いた。夏樹が身を乗り出して尋ねる。
「誰誰? もしかして? 西島?」
「いやいや、違うよ。そういう感情はあんまり、というか、良く分かんないや」
香月のはっきりしない態度を見て、夏樹があらためて訊く。
「へー。じゃあ、誰?」
すると香月は珍しく隠し事をするように振舞う。
「秘密」
「あら、そう。それは楽しみね」
夏樹は香月から訊きだすのを諦めたのか、そう言って笑った。美穂達も何が起こるのか期待満載の心持ちで香月を見守っていた。




