サバイバルゲーム 1
「弘法にも筆の誤り」。どれほどその道の達人、名人でさえ過ちを犯すことがあるという、慰みの意味で用いられる。平安時代の三筆、弘法大師が応天門の額を書いた際、応における心の上の点を書き落としたことから来ている。
修学旅行も無事終わり、夏休みを迎えたある日。香月達五人は、香月の家で宿題合宿をしていた。夏樹は弘法について書かれたパートを素早く解答していくと、指先でシャーペンをクルクルと回す。
「弘法。弘法ねぇ。弘法にあたる人なんか私達の身の周りにいるかしら」
そう朴訥と零した夏樹の言葉に美穂と朱美が返す。
「あらぁ、いるじゃない。全国中学生陸上大会昨年度2位」
朱美も言葉を重ねる。
「夏の美術コンクール優秀賞」
二人の雪崩の如き、自己アピールに夏樹は鬱陶しげだ。
「だぁー。分かった、分かった! 美穂と朱美が凄いのは認めるわよ。私が言ってるのは周りのオ・ト・ナ・タ・チのこと」
朱美は宿題に今一度向き合って、訥々と話す。
「そういや、いないわねぇ。弘法と呼べるほどのその道の達人は」
美穂もその言葉を引き継ぐ。
「まぁ、弘法ほどの名人さんを、身近な大人に求めるのは酷ってもんでしょ? 夏樹」
そう美穂に諭されて夏樹も納得げだ。その三人の話の間中、黙々と宿題に取り組んでいた元旦と桜は、相次いで声をあげる。
「ヤッタぁ。これで二週間分は終わった!」
「香月さんも終わりましたか? 私も大部分終わりました」
夏樹は順調に宿題をこなす二人に不服げだ。
「ぶー。何よ。二人とも。あっさり先に進んじゃってさ。と」
「と」と言葉を留めて、そこまではまったりとしたペースで、宿題に取り組んでいた夏樹が、ポツリと零す。
「ところで、今度の休校日。学校に誰もいないんだって」
「誰もいないってことは、無人の校舎だね」
香月は夏樹の話に興味を惹かれたようだ。夏樹は本気を出せば五日もあれば仕上げられる宿題を放り出すと、何気なく付け加える。
「何かしたいわねー。校舎全体を使って」
夏樹の不穏な目論見に美穂が勘付いたのか、言葉を返す
「あんまり問題起こさない方がいいわよ。夏樹」
「うーん」とうなる夏樹に美穂が念を押す。
「ただでさえ修学旅行のことで加賀先生とかに、私達目をつけられてるんだから。おまけに消火器、放水器。最近の私達、暴走し過ぎよ」
その言葉を引き継いで朱美も口にする。
「そうそう。これ以上トラブルを起こすとさすがにね」
だがそんな二人の制止を振り切って、夏樹は机に身を乗り出す。
「『トラブル』って何よ。人聞き悪いわね。私は誰もいない校舎を使ってひと夏の想い出を作ろうって言ってるだけよ」
「その発想が危ないのよ」
美穂がすかさず盲点を突く。するとそのやり取りを聴いていた香月が、麦茶を一口含んで夏樹に尋ねる。
「で、何かしたいの? 夏樹」
その大らかな気質で、何事も受け入れてくれる香月を前にして、夏樹はニンマリと笑う。
「ふふーん。ちょっと興味湧いてきた?」
香月は無垢なだけに夏樹に毒されやすい。
「湧いた、湧いた」
香月がそう言葉を合わせると、夏樹は得意げにとあるアイデアを口にする。
「校舎全体を使ってのサバイバルゲームなんてどう? 面白いかも」
「サバイバルゲーム!」
香月は全身の毛を逆立たせて、沸き立つ。美穂と朱美もやや興味を惹かれたようだ。美穂が夏樹に確かめる。
「サバイバルゲームってあれ? センサーと銃を使った奴?」
「そうそう。よく知ってるわね。美穂。本格的なのはもうちょっと大掛かりだけど、それはお金が掛かりすぎるから却下して」
朱美がすかさず、夏樹に訊く。
「なんでそんなに詳しいの?」
夏樹は宿敵の朱美が興味津々なのを見て、上機嫌だ
「へへー。興味があったから前もってネットで調べといたの」
「ふーん」
朱美はあえて関心なさげに頷く。校舎全体を使ってのサバイバルゲーム。しかもその校舎には、休校日には人は誰一人としていない。
そのアイデアに香月が真っ先に乗る。
「私、それ大賛成!」
夏樹は喜色満面だ。
「でしょ? 香月。校舎全体を使ってっていうのがまた」
丁々発止で頷く香月。
「うんうん」
夏樹と香月のやり取りを目にした美穂も心が動いたようだ。
「そうねぇ。それなら誰かを傷つけるわけでもないし。面白いかも!」
「でしょ! 美穂もそう思う?」
夏樹はシュザッとポーズを決めて美穂を指さすと喜んだ。だが朱美はやや慎重な物言いだ。
「私はあんまり賛成出来ないなぁ。もし誰かがケガでもしたら大変だし」
夏樹は念を押す。
「大丈夫よ! 朱美。銃は光線銃、胸元のセンサーを狙うだけなんだから!」
「いや、そういうことじゃなくてね」
夏樹と朱美が、そうこうやり取りをしていると、突如として大きな声をあげる女の子がいた。桜だ。
「サバイバルゲーム! 何だか楽しそうですね! 私、わくわくしてきちゃいました!」
意外な人物の意外な言葉に四人は止まった。桜。香月を含めた五人組の唯一の防波堤。紛うことなき常識人の桜の同意。それを前にして朱美も渋々とだが賛成せざるを得ない。
「分かった。私もやるわ。ただし! 度が過ぎるようなら真っ先に降りるからね」
「大丈夫だって。朱美!」
夏樹は向こう見ずな様子で元気よく、安全を約束した。朱美はしようがないといった様子だ。
「仕方ないわね」
夏樹の宿敵。朱美、籠絡。こうして今度の休校日、校舎全体を使ってサバイバルゲームをすることが決まったのだった。




