意見書 7
真希のある種の降伏から二日後。高橋は校長室いた。長椅子に座り、校長と向い合う高橋。高橋は校長である近藤の表情を窺っている。
近藤は意見書と、高橋の書いた同意書にサラリと目を通す。近藤は自分のスタンスを決めているようだ。
「生徒達と高橋先生のご意見しっかりと聴かせて頂きました」
前のめりになって尋ねる高橋。
「で、どうですか? 校長先生。何とかなりますか」
近藤は朗らかに高橋を包み込むようだ。
「私は何か今言うことは出来ません。ただ」
「ただ?」
そう問い返した高橋に、近藤は少し辛い現実を教える。
「難しいでしょうね。去年の失敗が先生方の頭にはあるのです。それに」
そう言って近藤は口元を覆うと、自分の立場を明確にする。
「私も『独裁者』ではないのです。私の一存で何もかも決めるのは難しいんですよ」
「そうですか」
肩を落とす高橋。やはり生徒の多数をもってしても、自分の微かな力添えではどうにもならない。そう高橋が落胆していると、校長室の扉を叩く音が響く。続けざま届く良く通る声。
それは紛うことなき元旦娘。香月の声だ。
「校長先生! 突然失礼します!」
近藤は小首を傾げて訝しむ。
「誰ですか?」
高橋は、僅かばかりの光明を見出したのか、明るい表情を見せる。
「ウチのクラスの生徒です。その『意見書』を書いた張本人ですよ」
近藤は微笑ましげに頷く。
「そうですか。分かりました」
近藤はウェルカムな姿勢を整えたようだ。香月達に呼びかける。
「どうぞお入りなさい」
返ってくる芯のある声。
「はい。失礼します」
その声と同時に扉を開けて香月達五人と俊哉と健が、校長室に入ってくる。香月の手には署名書が握られている。
「どうぞ。お座りなさい」
近藤に促されて席に着く香月達。香月を除く六人が香月の背中を優しく後押しすると、香月が静かに署名書を近藤に手渡す。
集まった署名は合わせて88。学年の半分近くだ。香月は息を一つ飲み、意を決する。
「ホントに私達、生意気だったと思います。でも、これが生徒達みんなの気持ちです。受け取ってください。校長先生」
近藤は穏やかに、署名書にサインされた生徒達の文字をしばらく見つめる。
綺麗に書かれた文字、殴り書きしたような文字、あまり上手ではない文字。一言「自由が欲しいです」と添え書きされている署名など。
そこには生徒達それぞれの気持ちが託されていた。近藤は放任や自由を特別良しとする男ではないが、頑なな男でもない。署名書に託された想いに触れるにつけ、僅かではあるが心動かされたようだ。
近藤は、意見書、同意書、署名書の三つをトントンと机で揃えて、優しく香月達に語りかける
「分かりました。よく検討、いや、改善しましょう」
その近藤の言葉を聞いて、緊張の余り半ば硬直していた香月達の表情は瞬く間に精気を取り戻す。それは俊哉と健とて同じだった。
だが意外にも真っ先に喜びの声を出したのは高橋だった。
「本当ですか? 校長先生」
近藤は微笑ましげに頷く。
「はい、もちろんです」
その了承を得て、高橋は深々と近藤に頭を下げる。
「ありがとうございます」
高橋の姿を見てさすがの香月達も、感じ入るところがあったのか、近藤に深々と頭を下げるのだった。
翌日。加賀の作った要項は撤回された。それは近藤の手早い対応のお蔭だった。
教室で、高橋が修学旅行要項が修正された旨を生徒達に伝えると、みなは喜んではしゃぎまわった。その中には茶目っ気たっぷりに両掌でハイタッチをする俊哉と健もいる。
香月達は一つの仕事をやり遂げた充実感で一杯だったが、この騒動の予想外の功労者が俊哉と健であったことに驚いてもいた。夏樹は右肘をつき、ぼんやりと零す。
「あんな奴でもいいとこあるのね。ちょっとは見直したかも」
「うん。そうだね」
香月は初日の出よろしく、晴れやかな笑みを浮かべて両掌を、顔の前で打ち震えるように握りしめる。そして空く一瞬の間隔。しばらくの沈黙のあと香月達も緊張から解き放たれたのか、手を激しく叩きあうのだった。




