忘却の川 4
さて、いざライブの始まった客席では、エディ・ヴァイの過激なパフォーマンスが繰り広げられている。生血に模したトマトジュースの飲み干し、口から吐かれる濃霧。
様々なパフォーマンスも際立っていたが、何より印象的だったのがヴォーカルのアジテート、煽りだ。彼は、香月にはどこか聞き覚えのある声で、聞き覚えのあるセリフを客席に呼びかける。
「ロックなんてクズみてぇな音楽じゃねぇかぁ!」
さすがの騒音は、予想以上だったのか、夏樹、俊哉、そして香月を除く四名は耳を塞ぐ。おまけに客同士が体を寄せ合う「モッシュ」にもみなは巻き込まれて、忘却作戦どころではない。
夏樹は夏樹で、ハードロック好き魂に火がついたのか、一人、拳を振り上げ、酔狂に溺れている。これは趣味嗜好の違いでやっていけない。
そう判断したのか朱美、美穂、桜、健の順番で客席から、たまらずに逃げ出し、騒音から脱出する。
「これは! 耐えられないわ」
「だね」
「アカン」
「うん」
ライブから抜け出した四人は、客席に残った夏樹と香月、そして俊哉を気に掛ける。美穂が先手を打つ。
「夏樹はハードロック好きだからいいとして!」
その言葉を朱美が引き継ぐ。
「俊哉君には、音楽で全てを忘れてもらうからいいとして!」
最後に桜が鮮やかに締めくくる。
「問題は香月さんです! 香月さん。あの騒音の中、大丈夫でしょうか?」
健が自分の耳を指さして、思わず助け舟を出す。
「『大丈夫』じゃねぇよ! きっと! 見ろ! この耳鳴りを!」
「耳鳴りは見えないわよ。健君」
そうあっさり切り捨てられて、健は言葉に詰まる。だが、唯一無二の親友、俊哉と、香月を助け出したい気持ちは昂る一方だ。
「とにかく! もう一回! 客席に入って二人を連れ出してこよう! ハードロック大好き人間は置いておいて!」
「そうね!」
朱美がそう同意すると、四人は意を決して客席に再び入ろうとする。だが騒音であえなく追い出されてしまう。健は左手甲で額の汗を拭う。
「こ、これは! 敵わん!」
朱美と美穂、そして桜も苦戦げだ。
「ここは一先ず、撤退するしかないわね」
そう朱美に号令を掛けられて四人はライブハウスの外で三人をひたすら待つことにした。
その頃客席では、一通り楽曲が終わり、ライブMCに入っていた。香月は目を輝かせ、ステージを仰ぎ見ている。
「素敵ー。面白いね! こういうのも! 何だかワクワクしちゃって」
その香月に隣り合った俊哉が、右耳を塞ぎながら香月に訊く。
「まっ。そだな。それより耳鳴りは大丈夫か? 俺は、ヒッデーんだけど」
「大丈夫。平気だよ? 私、朱美から耳栓、貰ってたから」
その知られざる事実を聞いて、俊哉は苦虫を噛み潰す。
「『耳栓』。なるほどね。女性陣だけか。さては男性陣をいたぶるためのイベントだったのかな? と、思いきや」
そう口にして俊哉は、香月を挟んで反対隣りの夏樹を見ると、そうでもないらしいことに気付く。夏樹はヴォーカルの扇動に大声で応えている。俊哉は首を捻る。
「そうでもねぇのか」
すると香月が、不意に俊哉に話してみせる。
「私ね。今の学校に転入した初日。こんな感じの夢見たんだ。ライブハウスでみんなに体を押されているの。それで『ぐるじい』とか言ってさ。おかしいよね」
するとその言葉を聞いた俊哉が、意外な言葉を漏らす。
「あれ? 高樹もか? 俺もあの日、おんなじような夢を見たよ。ライブハウスの海に今にも溺れそうだった。俺も『ぐ、ぐるじい』とか言ってたよ」
「アハッ。俊哉君も?」
香月は嬉しそうだ。俊哉の頬もほんのり上気する。
「偶然ってあるんだな。偶然。それにこれってまさに」
俊哉の言葉を香月が引き継ぐ。
「正夢って感じ?」
「うん。そだな」
その言葉で二人は少し心を通わせたのか、うっとりとしてしばらくステージ上を見つめていた。




