内申書 3
「夏の美術コンクール」に朱美が挑戦することになって数日間、彼女は絵の構想に時間を費やした。
構図、テーマ、モチーフなどを決めて、全体のイメージを形作っていく。「やる」と決めたら彼女の意気込みは相当なもので、参考のためにと彼女は、大好きなルネ・マグリットの画集も、これを機会に買った。
朱美は白を基調とした自分の部屋で、窓を開け放ち、カーテンが風に揺られるに任せる。画架と画材道具以外無駄なものは何一つない部屋。
一人だけのその空間で彼女は画架の前に立つ。その姿自体が一枚の絵として完成しているかのような美しさがある。
彼女は筆を一本、スッと立てるとイマジネーションを広げていく。彼女の胸の内に浮かぶ光景。そこには、どこまでも青く透き通る空と二人の女子生徒がはしゃぐ姿が映る。
二人は楽しげにお喋りをしながら帰路についていて、一人は今にも転びそうだ。朱美はいよいよ絵の構図とタイトルを決める。
「タイトルは『永遠の友情』ね」
朱美はそう一息息を吸い込むと、画架に向かい、絵を描き始めた。
一方、その頃俊哉と健の二人は二人で、素材に使うたくさんのパイプやチューブを前に、こちらもあれこれと構想を練っている。
パイプやチューブは俊哉と健の知り合いの車整備士、矢上からもらったものだ。俊哉と健は細心の注意を払った朱美と違い、大ざっぱに話し合いをして、早速道具に手をつける。
俊哉は片手にしたスパナで首筋を軽く叩く。
「まぁとりあえず、見切り発車で行けば何とかなるだろ」
「それもそうだな」
そう健が相槌を打ったのを皮切りに、二人は作品のコンセプトも、テーマもおざなりに、オブジェの制作に取り掛かる。粗雑な二人のことだ。材料の扱いは、ことのほか粗い。
俊哉と健。そして朱美がそれぞれ作品作りに取り掛かって一週間。朱美はじっくりと絵を完成に近づけていく。
その間、ずっと彼女は瞑想しているかのように静かだった。だから香月達は彼女になるべく声をかけないようにしていた。
時折、小生意気にも朱美の同志にでもなった気分だった俊哉と健だけは、陽気に「よぁ澤村、絵は絶好調か?」と話しかけてはいたが。
もちろんその言葉は、朱美のナイフのような無言の視線にかき消されるだけだった。俊哉と健はややたじろいで口を揃える。
『ま、まぁそうトンがるなって』
トンカチやスパナなどの工具を使って、半ばどんちゃん騒ぎで作品を作り上げる俊哉と健。その二人に対比するように筆を刀剣のように構えて、宿敵をさばき斬る侍のように絵を描く朱美。
各々の時間が過ぎゆき、朱美が画題に向き合って十日後。ベッドの上で寝ころび、柄にもなく本などを開いて、時を過ごす香月に電話が掛かってくる。
転がるように電話に出る香月。電話はもちろん朱美からだ。朱美の声は珍しく上気している。
「あっ、香月? 絵、完成したわよ!」
香月の声ももちろん跳ね上がる。
「ホント!?」
二人の会話は丁々発止だ。
「うん。それで、今時間ある?」
「もちろんもちろん!」
香月はベッドから飛び起きると、素早く着替えを済ませる。疾走する元旦が向かうは当然朱美の家だ。
香月が朱美の家に着くと、朱美が興奮した様子で香月を出迎える。
朱美の声は弾んでいて、よほどお気に入りの絵が仕上がったようだ。朱美は香月を部屋へと案内しながら身振りを交える。
「とにかく一番最初に香月に観てもらいたかったんだよね」
「そうなの? 朱美」
喜びの余りハイトーンボイスになった香月と、落ち着いた声の抑揚の朱美。対照的な二人はいよいよ部屋へと入る。
白い部屋。透明感のある澄んだ空気は、朱美がどれだけ心を研ぎ澄ませて絵描きに取り組んだかの証であるようだった。
香月は朱美にエスコートされて画架の前に立つ。香月は少し息を飲んでキャンバスを覗き込む。
そこにはお喋りに夢中になる二人の女学生が青空に浮かぶように描かれていた。一人は右手で口元を覆って笑い、一人は今にもつまづかんばかりだ。
香月は吐息混じりに零す。
「キレイ」
朱美も絵の出来栄えに満足している。
「自分でも想像以上にいい絵が描けたと思うわ」
香月は一しきり、絵を鑑賞したあと両手を広げる。
「明日早速、田上先生に観てもらおうよ! 先生驚くかも!」
「う、うん。少し緊張するけどね」
朱美が少し頬を赤らめて咳払いをすると、次の瞬間二人は呼吸を合わせたように、両手を何度も叩きあった。
その頃、俊哉と健もついに完成に及んだオブジェを前に、腕を組んで考え込んでいた。完成したオブジェは高架線の下にある、ゴミ捨て場に打ち捨てられたガラクタが息吹を吹き込まれたような代物だった。
俊哉が半ば声を失い、感慨深げに呟く。
「何かこう。エラくグロテスクなものが出来上がってしまったな」
健がすかさず自分達の、努力をとりあえずはフォローするように返す。
「ま、まぁそう言うなって。現代芸術はタイトルが重要なんだから。これに『僕の恋の宗教裁判』とかつければなんとかなるって」
「うん。しかしそれにしても」
そう俊哉が言葉を零して、しばらくの沈黙ののち、ついには二人はこらえきれずに笑い出してしまった。
「こりゃムリだな! 健! 『コンクール荒らしは!』」
「だな! ちょっと悪ノリが過ぎたな!」
俊哉と健は互いの髪の毛をくしゃくしゃにしあって、笑い声は絶えることはない。壁に頭をぶつけたり、拳を合わせあったり、発狂寸前の二人だったが、俊哉は一瞬だけ真剣な瞳を見せてこう言うのも忘れなかった。
「一応、田上先生にも見せてやろうぜ。先生なんて言うか」
「意外に好評だったりして」
健の言葉に、俊哉は自分達の作品を嘲りながらも、微かな自信があるのを感じていた。




