内申書 1
穏やかな陽気が肌に心地よく、高橋の授業の余韻がほんのりと残る美術の時間。美術の女性教師、田上は授業が始まるなりこう口を開く。
いつもは優しく懇切丁寧に、美術史等を繙いてみせる田上にしては、やや辛辣な口振りだ。
「みなさんは内申書というものがあるのをご存知ですか」
内申書。それはもちろんクラスのほぼ全員が知っている。だが、なぜこのタイミングで。その田上の意図が分からないクラスは、少し静まり返る。
田上はやや控えめでありながらも、自分の狙いをはっきり口にしようとする。
「これは通知表から割り出される点数の他に、普段の生活態度、素行、出欠の数などを書いたものです」
話を聞いていた俊哉は、田上のやや上から目線の口振りに少し違和感を覚えている。田上は生徒を上から抑えるようなタイプの教師ではない。それがなぜ。
その多くの生徒の疑問に答えるべく、田上の話は続く。
「その他にも英検のランクや部活動での様子なども加味されます」
ここまで来て、田上の言わんとするところが分かってきた健も、「困った」という様子で右の頬を軽く掻く。田上はクラス中の不穏なムードにも構わない。
「これらをまとめて点数化したものを内申点と言います」
いよいよ目的が分かり始めた田上の話に俊哉は強い苛立ちを覚える。内申書。それは知っている。だがこの時期、このタイミングで居丈高に話す内容ではないと俊哉には思えたからだ。
生徒達の不評にも関わらず田上は話をまとめにかかる。
「皆さんは今年、高校受験ですね。内申書は受験した高校に送られます。それで、どうなるか」
俊哉はやむなくだんまりを決め込む。田上はこの種の話に生徒が反発するであろうことを予測しながらも、話をまとめに掛かる。
「同じ得点の人が二人いた場合、高校側は内申点の高い方を合格させるのです」
俊哉は、ようやくここに来て、田上の言いたいことが全て分かった。健も、田上のような、どちらかと言うと生徒の味方であるはずの教師から、こういう調子、口振りで内申書の話が出てきたことにやや幻滅している。
田上はそんな生徒達の思いを知ってか知らずか、話を締める。
「高校受験はあなた達の将来を決める一つ目の関門です。そこでつまずかないように。内申書の存在を忘れないように」
緊張で引き締まる教室。中には田上に反発心が剥き出しの生徒もいる。田上はその雰囲気に気が付いたのか、あえて苛烈な言葉を使ってみせる。
「あなた達は教師達に監視されてるの。それを忘れないようにね」
さすがの俊哉も思い余って、田上に何か意見しようとした瞬間、それに先んじて手をあげる女生徒がいた。夏樹だ。
「はーい。先生。内申書のことは分かりました。だけど『監視されてる』って生徒を脅かすのはどうかと思います」
田上はにっこりと笑って答える。だが自分のスタイルを崩すつもりもないらしい。
「『監視』という言葉は良くなかったわね。じゃあ『いつも見られてる』に表現を変えましょうか」
夏樹は不満げに香月の耳元へ囁く。
「どっちも似たようなもんでしょ」
香月はなぜ田上が上から抑えるような言葉を選んでいるのか分からない。ミス元旦にとっては、普段人当たりのいい田上でさえ、時に鬼になるという一面に気が付かない。
だから夏樹の言葉にただ「う、うん」と頷くだけだった。
「監視する」。田上がその日、引き合いに出した痛烈な言葉の響き、余韻もあったせいか、授業は暗く重たいムードで進み、終わった。




