お人形 2
香月達三人が手傘を差して見る向こう。そこには一度帰宅して着替えてきたのか、私服姿の桜が小気味良く走っている。香月は目を大きく見開く。
「あ! ホントだ。ん? 彼女、学校に行くみたい。忘れ物でもしたのかな?」
目を細めて、桜を遠目に見ていた夏樹が眉をしかめる。
「違うんじゃない? ほら左へ曲がった。学校とは反対方向だ」
香月も首を傾げる。
「うーん。違うのかな?」
思わず香月が腕組みをしているその間に、桜は先に左に曲がったはずの十字路へと舞い戻り、今度こそはと学校の方角へと向かっていく。夏樹が右眉を吊り上げて、若干引きつる。
「ひょっとして物凄い方向音痴?」
「まさか。それにしては間違え方が大胆過ぎるでしょ」
さすがの修正上手の朱美。彼女は両手を広げて首を左右に振ると、それをやんわりと否定する。しばらくすると香月が声をあげる。桜が十字路にまた戻って来たのだ。香月は桜に釘づけだ。
「あれ? もう戻ってきた。用事澄んだのかな? 早い」
「早すぎない?」
夏樹が香月の背中に触れて、前傾姿勢を取ると合いの手を入れた。三人がよくよく桜を観察していると、桜は十字路を少し進んだところで軽くつまづいて転ぶ。
『あっ、転んだ』
香月達三人は口を揃えた。桜は立ち上がり、恥ずかしげに、遠慮がちに、服に付いた埃を払う。夏樹は歯に衣着せない。
「鈍くさい子ね」
周りを少し見回して、自分が余り注目されていないことに、ほっと胸を撫で下ろした桜は、そそくさと十字路を立ち去っていく。その光景を見て香月は一層桜に魅了されたようだ。大きく息を吐きだす。
「普通に歩いてて『転ぶ』なんて! 何てカワイイんだろう! 桜さん。ますます惹かれちゃった。見た目も人形みたいだし!」
香月の言葉に夏樹と朱美は声を揃えて頷く。
『人形みたい。ホントね』
香月達に、桜が鮮烈なイメージを植え付けた翌日。学校で香月は、より詳しく、詳しく桜を観察する。宮沢桜。その子の仕草は愛らしく、授業もそつなくこなす。際立つ容姿、容貌は当然の如く及第点以上。
「だけど」と香月は呟く。そこまで非の打ちどころがないパーソナリティであるにも関わらず、桜。彼女は目立たないのだ。香月は独り言のように零す。
「桜さん、魅力あるのになぁ。もったいない!」
日本において元旦は最もおめでたい日。皆に注目され、陽の目を見る祭日。その元旦的思考が年がら年中続く香月は、ひっそりと暮らしたい子も中にはいる、という事実に、間抜けなことに気が付かない。
昼休みになると香月は、いよいよ桜の個性を全開に花開かせるべく、彼女に声を掛けることする。
静かに、それは静かに弁当箱を開けて、一人昼食を摂る桜の顔を、香月はそっと覗き込む。
「あの、こんにちは。宮沢さん」
「あっ、こんにちは。高樹さん」
香月はほっとしたように手を叩いた。おめでたい、お花畑思考の香月でも多少の不安はあったらしい。それはそうだ。元旦でも曇りの日はあるのだ。
「嬉しい。私の名前、覚えててくれたんですね!」
「高樹さん。『365日』って自己紹介が」
桜は、そう指を口元にあてて、思い返すように笑った。香月は言葉を選び、選び会話を進める。
「宮沢さん。『桜』なんて素敵な名前ね」
桜は、香月が口にした突然の褒め言葉に、戸惑ったように、顔を伏せて首を横へ振る。
「そんなことないわ。第一、私。名前負けしてるし。それに」
「それに」の言葉のあとを香月はしばらく待ったが、桜の口から次の言葉が出てくることはない。彼女は黙りきってしまったままだ。
香月は、自分が話していいタイミングかどうか計りながら、意を決して桜に訊いてみる。そう。元旦でも雲行きが怪しい日はあるのだ。
「桜さん。どうしていつもそう遠慮しちゃうの?」
香月は極々やんわりと、雨でずぶ濡れになった子猫へ触れるように、尋ねたつもりだったが、その言葉は桜の胸を深く傷つけてしまったらしい。桜はたまらず口をつぐんでしまった。
「ゴ、ゴメンなさい。つい出過ぎたこと言っちゃって」
香月はすぐさまその場を取り繕おうとするも後の祭りだ。桜は精一杯の作り笑顔を見せるだけだ。桜には自分を認めるメンタリティというものが少しどころか、だいぶ足りないらしい。
「『出過ぎた』だなんてとんでもないです。香月さん。きっと何か思い込んでるんだと思います。私、そういう子じゃないです」
「えっ」
口を開けて、桜の言葉の意図をはかりかねる香月を残して、桜はいてもたってもいられないといった様子で、弁当箱を仕舞うと席を立ち、教室から出ていってしまう。
香月は「桜さん!」と口にして、差し伸ばした行き場のない手を、ゆったりと降ろしてこう零すしかない。
「あ、あぁ」




