反抗 4
軽装の「彼女」は大きな二重の瞳を、より大きく見開いて香月に訊く。
「どちら様?」
彼女の声はよく通る声だ。長い黒髪が彼女の長身にとても似合う。香月は、小ざっぱりとしていながら、大人の魅力を際立たせる彼女に、少し引け目を感じながらも、勇気を出す。
「あの! 高樹香月と言います! 夏樹さんのクラスメートです」
「彼女」は優しく笑みを浮かべると上体を少し大げさに逸らしてみせる。
「ああ、あなたがあの香月ちゃん。夏樹に会いに来てくれたの? それはありがとう」
香月は「あの香月ちゃん」と言われたのが凄く嬉しかった。それは何かしらの形で、自分の話題が夏樹の家庭で上ったのが分かったからだ。香月は「彼女」の顔をやや確かめるように見ると訊く。
「お母さんですか? 夏樹さんの」
「彼女」は少しおどけてみせる。相当に陽気な女性のようだ。彼女からは自立した女性の余裕とゆとりが出ている。
「そうよ。何かおかしな所でもあった?」
「いえ! とんでもないです!」
香月は両手を顔の前で交差させ、慌てて取り繕う。「彼女」。いや、夏樹の母親は涼しげに笑うと自己紹介をする。名前は「彩」だという。
彩は香月を家へ招き入れる。彩は髪の毛をかき上げながら、香月を連れて廊下を歩く。
「あの子も困った子ね。塞ぎ込んじゃって」
「はぁ」
軽やかな足取りの彩に、香月はついていくしかない。
「今、夏樹の部屋へ案内するわね。いらっしゃい」
彩は階段をのぼると、二階の、とある一室の前で足を止めて、扉をノックする。
「夏樹。起きてる?」
彩はたしかに今、夏樹と呼んだ。ということは、この部屋。扉がやや少女趣味に可愛らしく装飾された、この部屋が夏樹の部屋なのか。それは夏樹の学校でのイメージとは程遠い。
すると部屋からは愛想のない、くぐもった声が返ってくる。それは香月の持つ夏樹の印象を覆すに十分だった。
「うん……。何?」
彩は「仕様のない子」と呟くとにこやかに微笑み、夏樹に伝える。
「お友達が来てるわよ。香月ちゃんって子。こんなカワイイ子を友達にするなんてあなたもやるじゃない」
「カ、カワイイだなんて!」
そう言って香月は顔を赤らめる。その仕草がまた彩には愛らしく見えたのか、彩は笑みを浮かべて、夏樹に告げる。
「部屋にあがってもらうわよ。いい? 折角来てもらったんだから」
夏樹の険のある返事が届く。
「いい。帰ってもらって」
不愛想な夏樹の声にも臆することなく、彩は半ば強引に扉の把手を回す。それは彩と夏樹の、絶妙なバランスの力関係、信頼感を表してもいた。彩は扉を開ける。
「まぁそう言わないで。開けるわよ」
「勝手に開けないでよ!」
ややヒステリックに夏樹が返す。彩は香月の背中を押すと、香月を夏樹の部屋へと入れて、軽く目配せする。
「それじゃ、ごゆっくり」
そう声をかけられて香月は、恐る恐る夏樹の部屋へと入る。香月は一先ずは夏樹の部屋を見渡した。マンガ、ゲーム機、お菓子の空き袋などが散らばって、掃除をした気配すらない。おまけに部屋のカーテンは閉めっぱなしだ。
一方、当の夏樹は毛布を頭から被りこんでベッドの上に座っている。夏樹はしばらく黙り込んで何も話さない。香月が「あの!」と声をあげようとすると、夏樹はそれを制する。
「何しに来たの?」
香月は自分を保つので精一杯だ。
「えっ? 『何しに』って。夏樹が、学校来ないから」
夏樹は香月の言葉を冷たく跳ねつける。
「そんなのあんたに関係ないじゃん。私の勝手でしょ」
夏樹は不愉快極まりないといった様子で、やや光が射しこんでいた窓を塞ぐように、より深くカーテンを閉める。香月はちょこんと腰を降ろして夏樹に訊く。
「学校、来ないの?」
「うん。行かない」
即行で返ってくる夏樹の答え。香月のお蔭か、特有の朗らかさが包む部屋で、香月は間を少し空けて訊く。
「どうして?」
「一々うるさいわね! 詮索しないで! 理由はないわ」
夏樹の勢いに気圧され、一瞬体を逸らす香月。髪の毛も少し逆立ったほどだ。それでいながら香月は自分を奮い立たせて、静かに夏樹へ伝える。
「学校。来た方が、楽しいよ?」
またもしばらくの沈黙。すると一瞬の間隔を空けて、香月に浴びせられる集中砲火。
「どうしてそう言えるわけ? 香月、あんたの頭って本当に年がら年中お正月ね」
夏樹は自分の言葉のリズムに勢いづいたのか、一気にまくし立てる。
「学校行っても上林みたいなヤな奴に目つけられるだけだし! 私みたいなのは問題児扱いされるだけだし! 目立てば目立ったで嫉妬されるだけだし!」
香月は少し寂しげな表情。憂いげな瞳で、黙って夏樹の言葉を聴いている。夏樹の吐き出される言葉はやむ気配はない。
「学校行ってもいいことなんかひとっつもないし! ヤな思いするだけだし! それにっ! だから学校行かない。高校も行かない。高認試験受かって、大学に行くつもり」
香月は、夏樹の言葉をしっかりと聞き届けると、一度小さく深呼吸をして夏樹に伝える。
「上林先生のことだけど」
即、跳ねつける夏樹。
「あんなヤな奴の話なんかしないで」
香月も控えめだが引けない。
「あの」
香月は時に言葉に詰まりながらも、はっきりとした口振りで、上林と話したことを夏樹に伝える。
「上林先生、夏樹に本当はすごく期待してるんだって。『自分は不器用だから、ああいう形でしか気持ちを表現出来ない』って。そう言ってた」
夏樹は言葉に棘を持たせる。
「それが何!」
慎重に言葉を選びながら香月は続ける。
「それで『悪かった。謝っておいてくれ』って。『もうあんな授業はしない』って」
「……」
その言葉を聞いて夏樹はしばらく黙り込んだままだ。動く様子すらない。香月は精一杯の笑顔を見せて、身を乗り出すと夏樹に話しかける。
「夏樹。ねっ。だから学校。一緒に行こ? 楽しいこと一杯あるし、いい想い出も一杯出来るし。それにそれに」
そこまで必死の想いで口にする香月の言葉を、夏樹は遮ると毛布を弾き飛ばし泣きわめいた。彼女の瞳は涙で濡れている。
「楽しいことって何よ! 学校行ったって楽しいことなんかないし! 勉強するだけなら家で一人でだって出来るし! 友達も一人もいないし! いい想い出なんか一つも出来るはずないし! それに……!」
勢いに任せて、思いの丈を全て吐き出して、言葉を失う夏樹。その夏樹の気持ちへ添えるように香月はポツリと伝える。
「友達ならいるよ?」
「どこに!」
香月は優しくにっこりと笑って自分を指さす。香月特有のあどけなさが、その言葉をより柔らかくする。
「ここ」
その瞬間、夏樹は大きな声をあげて泣きじゃくる。涙を零し、泣いて泣いて、涙が枯れるまで泣き尽くした。香月はその夏樹の様子をそっと受け止めて、黙って見守っていた。
夏樹と香月の二人だけの時間が穏やかに過ぎて行く。やがて夏樹は泣き止むとポツリと零す。
「ねぇ、香月。私みたいなのに、いい想い出、出来るかな」
「当たり前じゃん」
次の瞬間、夏樹は「わっ!」と声をあげて、香月に抱き付いていた。気付けば香月は、夏樹の長い艶やかな髪を一撫でしていた。
それから2日後、学校に再び来るようになった夏樹は、香月や朱美と一緒に楽しげに廊下を歩いていた。彼女は鼻をツンと尖らせてすこぶる上機嫌だ。
「上林も私に期待してるのねー。私って何かと多才だから」
調子に乗りっぱなしの夏樹に、朱美が朴訥とツッコミを入れる。
「絵も上手だしね。夏樹画伯」
「ちょ! 私が絵下手なの知ってて!」
「ゴメンゴメン」
朱美は夏樹の平手打ちを軽やかにかわすと笑った。香月も口元に手をあてて、笑い声を立てている。
するとそこへ例の上林が、三人の傍を通りかかる。上林は香月達と出くわすと少し気まずそうな驚いた声をあげる。
「お、おお」
「こんにちは。上林先生」
香月と朱美が軽く会釈して先に挨拶をした。
「あ、ああ。こんにちは」
上林もぎこちないが、挨拶を返す。夏樹だけは上林に挨拶をしないでそっぽを向いている。上林は申し訳なさそうに三人から離れていく。その去り際、彼は少し振り返り、言葉にして直接夏樹に謝る。
「その、なんだ。今村。悪かったな。いろいろと」
その言葉を聞いて夏樹は、喜色満面の笑みを浮かべると髪をさらりと溶かす。
「いいえー」
夏樹の髪は、窓から廊下に吹き込む風に揺れている。夏樹は、上林がほっと胸を撫で下ろして歩き去っていくの確かめると、にんまりと笑う。
「余裕ねー。何事も」
そこにはいつもの明るさと自己過大評価、暴走気味の夏樹がいた。朱美が「単純ね」と香月に囁きかけると香月は、朱美の口元をそっと塞ぐ。
そんな二人の様子、やり取りを知ってか知らずか、夏樹は大きく足を前に踏み出していく。五月の終わりに差し掛かった廊下には、色濃く輝く陽射しが射しこんでいた。




