よぉ~んの2
リビングの入口には見覚えのある美人が驚いたように私を見ていた。
緩やかなパーマをかけた茶色い髪。いつもは薄化粧だったはずだけど今はモデルのような化粧をほどこして紅い口紅を塗っている。胸の大きくあいた黒のカットソーにピッタリとしたキャラメル色のズボンをはいて、そのスタイルはまるでモデルのような存在感を放っている。けれど手には食料品が詰め込まれたビニール袋を下げていた。ちょっとミスマッチかも。
この美人は、私が通っていた高校の英語教師をしている、高野先生だった。私が2年生の時の受け持ってもらったことがある。ちょっとキツイ物言いをするけれど生徒に対して真剣に向き合ってくれる良い先生だったと思う。
「どなた?」
我に返った高野先生が私を睨みながらそっとつぶやいた。声にも警戒心が表れていてピリッとした空気が流れている。
高野先生が、橘先生の部屋にいる?
その時、別の疑問が浮かんできて、そちらに意識がいってしまう。
あれ?ちょっと待って?なんでだ?鍵はちゃんと閉めてたよね?
私、開けっ放しにした?
何があるか分からないから、玄関の鍵は必ず閉めるというのは幼い頃から巽に躾けられたことだ。だから身に染みて身についている習慣のハズなんだけど。
開けっぱなしにしていたとしたら、巽にバレたら殴られちゃうよ。
「あなた誰?ここで、何をしているの?」
答えない私にしびれを切らしたのか、もう一度問いかけられた。高野先生は私が分からないらしい。
まぁ、随分と印象が変わったから分からないのも無理ないんだけどね。
思わず、ボーッと見てしまって自分の考えに没頭してしまい返事をしなかったからか、イラついた声音で再度質問された。
「あなた、誰?」
棘があるその声音に、我に返る。
「…………鍵、かかっていませんでした?」
先に気にかかっているほうが、言葉にでてしまう。
結果的に質問に答えていない私に、高野先生が両眉をひそめて不快感を示した。美人が不機嫌な顔をすると怖いよっ!!
「かかってたわよ?それがどうしたの?私は、彼から鍵を貰っているの。貴方は誰?と聞いているのよ。答えなさい」
威圧感のある言い方だ。
だけど、私は首をかしげた。巽から橘先生に鍵を渡すほどの彼女がいることは聞いていない。
もちろん本人も今彼女はいないって言ってたし、いたら私にアルバイトなんて頼む訳がない。だって彼女にやってもらえばいいんだからさ。
イラついて足でリズムを取り始めた彼女に気づいて、私は目をこすりながら答えた。
「アルバイトですけど」
「アルバイト?私は聞いてないわよ。和臣さんが留守の間に、あがりこんでいったいなんのアルバイトよ」
「掃除と夕食づくりですよ」
簡潔に答える。
わざとゆっくり。
私はどうしようかと考えていたのだ。
だって、おかしいんだもの。
高野先生がなぜ鍵をもっているのか、それが気になる。
そして、私はあの話を思い出していた。
裸エプロンの同僚。
まさかね。
だって、高野先生は男の人が放っておくはずがないほどの美人だ。
そこまで捨て身になる必要がない。
べつに、橘先生じゃなくても、よりどりみどりだろう。
てか、橘先生の素顔を知っているくちかもな。
素顔、神々しいから。一目で天国いけるしなぁ。眼福っていうんだよ、アレは。
「ずいぶん躾のなっていないアルバイトなのね。仕事中にコーヒー飲んで読書?その上居眠りなんて」
そう言って、カフェテーブルの上にあるコーヒーカップを見ると、わざとらしく大きなため息をついた。
「こんな仕事の仕方をするのなら、辞めていただかなくてはね?私から、和臣さんに言っておくわ。全く私がいるのに、家政婦を雇うなんて何を考えているのかしら」
……やっぱり、話の内容は彼女を匂わせる。
ビニール袋をもって、冷蔵庫に向かう姿はとても自然でこの家に初めて来たわけではない事が解る。
今、彼女じゃないなら元カノ?
でもなぁ、橘先生が同僚とお付き合いしたって話しは聞いたことないよなぁ。
二人とも基本合コン、もしくは歩いてて告白されたとかそんなんだったと思うんだけどなぁ。
だいたい、あの二人は顔がいいからって一晩限りのお付き合いが圧倒的に多いんだよね。まぁ、聞いてないってだけで実際には高野先生と付き合っていたのかもしれないけどさ。
「高野先生は、橘先生の彼女なんですか?」
私は、直球勝負で行くことにした。回りくどいことはあまり好きじゃないし、私のスキルでは無理だ。
「そうよ。鍵貰っているっていっているじゃない。なにしてるの、ささっと帰りなさい」
あら、やっぱり彼女さん?
回答ハヤッ。
しかも、早く私を追い出したいらしい。
「アルバイトは今日でお終いでいいから、鍵は置いていってちょうだい。全く…………」
そこで何かに気づいたように高野先生は急に黙り込み、私を凝視した。
何だろう?迫力あるから恐いんだよ、高野先生。
「今、高野先生っていった?私名乗ってないわよ。…貴方、生徒なの?名前をいいなさい」
この人本当に命令しなれてるなぁ。巽も俺様だけど、高野先生も女王様キャラだよね。
巽より数倍嫌な感じをうけるけどさ。
「正確には、今は生徒ではありません。元生徒です。2年の時高野先生に教えていただいていました。嘉月 晶です」
隠すことでもないので、きちんと名乗った。
高野先生は、少し考えるような仕草をして、私を思い出したのか、パチンと手を打った。
「去年の卒業生の嘉月さんね。思い出したわ」
うわぁ、とっても綺麗に微笑んでるのに、目が笑ってないよ。恐いです、はい。
「それで、元生徒さんが和臣さんの家政婦のアルバイト?常識はずれもいいとこね。いかがわしい」
……なんか、ちょっとムカついてきたな。
あんまり上から物をいわれると反抗したくなってくるよね。
うん。
だいたい『いかがわしい』ってなんだよっ。
「……橘先生、彼女いないって言ってましたけど?」
なんだか面白くないのでそう言うと、高野先生は勝ち誇ったような表情をした。
「あたりまえでしょ。なぜアルバイトごときにプライベートなことを話さなくてはいけないのよ。さっさと帰りなさい」
鼻で笑うようなその言い方にとても腹が立つ。
ごとき言ったよこの人。
絶対、高野先生が彼女のわけがない。
巽が知らないのもおかしいし、性格悪そうだもん。
決定。
彼女の可能性なし。
「残念ですけど、私のアルバイトは橘先生といっしょに食事をすることまで含まれているんです。勝手に帰ると橘先生に叱られるので帰れません」
私はなるべく冷たく聞こえるように、事務的な声色で一気に喋った。
「それより、高野先生が彼女なら当然、一緒に食事していきますよね?人数分しか用意していないのですが、食事をなさるなら、今から高野先生の分も用意しますけど?」
喧嘩を売ったような、私の言葉に反応した高野先生は一気に私に近寄ると、力一杯私を突き飛ばした。
私は勢いよくソファから転がり落ちて、カフェテーブルに衝突する。
一瞬痛みで息が止まったよ。
冗談じゃないから。暴力反対。
幸いコーヒーは飲み終わっていたのでカップが転がるだけですんだ。割れなくて良かったとちょっと場違いで冷静な思いが頭をよぎった。
動けないけれど、尻餅をついたような姿勢で高野先生を見上げる。
「なによその生意気な物言い。たかが、アルバイトのくせにっ」
金切り声を上げて、右手を大きく振りかぶる所が見える。
私は、反射的に身をすくませて目を閉じた。
そうだった。
彼女じゃないのに、鍵持ってたら危ない人なんじゃん。
うっかりしちゃったよ。
暫くしても覚悟した痛みがやってこない。
そっと目をあけると、いつの間に帰ってきたのか橘先生が高野先生の右手を掴んでいた。
なんだか橘先生の顔を見るだけで、心の底から安堵した。緊張で固まっていた体の力が抜ける。ズキリとぶつけた背中が痛んだ。
「また、貴方ですか。僕の家でいったい、なにをなさっているのですか?」
橘先生が怒気を露にして、低い声で問いただす。
ヤバい、恐すぎだから。
助けて貰っておきながら、失礼な考えが頭を過る。昔巽とやんちゃしただけあって怒った時の橘先生はもう、周りの空気からして違う。渦巻くように黒いから威圧感が半端ない。流石、巽と親友なだけあるよ。
「あら和臣さん、おかえりなさい。これは、どういう事ですか?私というものがありながら、元生徒に家政婦のまねごとなんて」
おっとこれは、予想外。
やっぱり彼女なのか。
橘先生を見てひるむどころか、くってかかっていく。
だって今、めちゃくちゃ殺気立ってるよ?
橘先生は軽く目を見開くと、怒りを抑えるように、片手でこめかみをもんだ。
私は、次になにが起こるのか分からず、縮こまる事しか出来なかった。
修羅場?修羅場に巻き込まれてるの私っ?!