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風の行方  作者: 藍月 綾音
本編
30/61

じゅ~いちの3

諦めかけたその時、ガラスが割れる大きな音がして、バタバタと大きな足音が続いと思ったら、木村の体が吹っ飛んだ。突然解放され、空気が肺に入って咳こむ。あぁ、猿ぐつわが邪魔だ。


「きらっ!無事か?」


橘先生の声が飛び込んできた。

咳こみながら、必死に頷く。


助かった。生きてる。

さすがに今回は人生終わったかと思った。


橘先生は、私に駆け寄って来ると、猿ぐつわを外してくれる。


あぁ、やっと空気が思いっきり吸える。


「きら、きら、おい、大丈夫か?」


聞いたことがない、ほど狼狽した橘先生の声が聞こえるけれど、なにか返事をする余裕はなかった。

橘先生はソファで丸まってしまっている私の背中を大きな手で優しくさすってくれる。

やっと咳がおさまりかけた頃、床に落ちていったナイフを見つけた橘先生がロープを切ってくれ、そのまま勢いよくギュッと橘先生が抱き締められた。

橘先生の胸に抱きこまれて、その暖かさに、収まり始めていたはずの震えに襲われた。


「怖かったな。もう大丈夫だ。無事で良かった」


優しく頭を撫でながらそう言ってくれて、なにか答えなきゃと思うけれど嗚咽が込み上げてきて、頷くことしか出来なかった。


玄関が開く音を何処か遠くで聞くように感じていた時、大きな音でリビングの扉が開かれた。


「晶っ!何があった!」


合鍵でドアを開けた巽が飛び込んできたのだ。

橘先生の腕の中から、巽を見る。

巽は部屋を見渡して、一瞬で状況を呑み込んだのか、さっと血の気が失せた。


「巽、遅いっ!きらが殺されかけてたぞ!」


橘先生の怒声に巽の視線は、まだ痛みでうずくまる木村にそそがれた。


「…………木村?」


私と同じで、いる筈のない木村を凝視して、呆然とつぶやいた。


「知り合いかよ」


事情を知らない橘先生が巽に投げかけた言葉は、間違いなく巽にスイッチをいれたと思う。

みるみる、生気を取り戻してそれはもう、嬉しそうに笑った。その笑みは獲物を見つけた捕食者の笑みでどうにも物騒なものだったけれど。


「知り合いだぁ?まぁ、知ってはいるな」


「ぐぇっ」


問答無用で、まだ起き上がれない木村を蹴り飛ばした。


「コイツ、七年前にも晶を殺そうとしたんだよ。病院に入ってた筈なんだがな。性懲りもなくまぁた結婚式ごっこか?」


ぎゅうぅぅぅと木村の頭を踏みつける巽。


「おいっ変態!今度も心身耗弱が通ると思うな。ドレスまで用意して、ふざけやがって!」


踏みつける足に体重を徐々にかけていく。木村の口からカエルが潰されたような音がで始めた。

木村は、完全に萎れている。もう、抵抗する気も全くないようだった。そんな様子の木村を見て、安心すると同時に、今までの恐怖が一気に襲いかかってきた。縋るものを求めて、橘先生の胸に自分の顔を押し付けた。自分が生きていると、橘先生の体温で確かめたかったのかも知れない。


「……こわっこわっ!」


怖かったと言いたいのに、上手く言葉が出ない。


「うん、分かってる。怖かったな。よく頑張った。間に合って本当に良かった」


背中を撫でてあやしてくれて、橘先生も私を確かめるように肩に顔をうずめて抱き込んでくれる。

どれくらいそうしていたのか分からないけれど、遠くから、パトカーのサイレンが聞こえてきた。誰かが呼んでくれたんだ。


ようやく、落ち着いてきた私は顔をあげ、まだ巽に踏まれている木村を睨みつけた。

木村が連れて行かれる前に、これだけは言っておかなきゃならない。

私は呼吸を整えて、大きく息を吸った。


「私、貴方の事大っ嫌い!けっ結婚式とかわけわかんない!!変態!ピーーーーー(お下劣なので自主規制)」


ぶはっと巽と橘先生が吹き出した。


「お前、このシリアスな場面でそれはないだろっ」


「殺されかけて、それかよ」


巽と橘先生はひとしきり笑ってから言った。


「だって、結婚がどうのこうの言うけど、結局は私に純潔のまま死ねってことなんだよっ!私のこと、どうこうする度胸も無いくせに殺す度胸があるんだから立派なピーーー(自主規制)でしょうがっ」


いきなり、木村が顔を上げる。


「僕の……僕の晶がっ。そんな汚い言葉を使うなんて!駄目だよ!天に帰れなくなってしまうじゃないかっ!」


まだ震えが残る手で橘先生のシャツを握りしめながら、私は叫んだ。



「私はっ!普通の人間なのっ!あんたの話を聞いてると、頭がおかしくなる!おならだってするし、トイレにだっていくんだからっ!」



「嘘だっ!晶はトイレになんか行かないだろっ!」


…………何となく神格化してるな、とは思ってたけど、ソコまでかっ!

だってほら、私の血で浄めるとか言って嬉しそうに舐めてたしさ。


「馬鹿だろ。トイレいかねぇのがいいんだったら、現実じゃねぇのにしとけ。いくらでも、いるだろ?そういうキャラ」


「きらもさぁ、大声で女の子が叫ぶことじゃないでしょ。巽、どういう教育してるのさ」


「あ゛ぁ?そりゃお前の授業が悪いんじゃねぇの。思春期の一番多感なお年頃の現国だろ」


「馬鹿いっちゃ困るね。伝統ある女子校だよ。俺があんな言葉を使ってみろ、速攻で首が飛ぶから」


そんな、軽口を叩きながら木村の顔を踏む事に満足したのか、足をはずして巽は木村をロープで縛っていた。玄関で京子さんが大きな声で何かを言っていたかとおもうと、バタバタと大きな足音がいくつかして、リビングの扉から制服をきた警察官が姿を現した。



「警察です。動かないで」



あまりの光景に、警察官のお兄さんが大きな口を開けて私達を凝視していた。


血まみれのウェディングドレスの女。


ロープで縛られて転がる男。


女を抱える男と、ロープで縛られた男をまたもや足蹴にしている男は軽口叩いている。


リビングはめちゃくちゃ。


まぁ、一番異様なのは私か。


「お疲れさまです。犯人コレ。殺人未遂ですから厳重にお願いします。名前は木村 太一。多分執行猶予中か、病院を脱走中。七年前にも彼女を殺そうとしている」


巽の言葉で、職務を思い出した警察官の一人が、私に駆け寄ってきて、傷を調べてくれた。もう一人は木村へと向かう。


「救急車は呼びましたか?深く切れているので呼んだ方がいいですよ。手配しましょうか?」


額の傷を見て、そう言われ顔をしかめてしまった。まだ血が止まっていない、額の傷は押さえているけれど、両腕からもダラダラ血が流れ続けている。

ふと橘先生を見ると、眉を寄せて私をみていた。


「ごめん。もっと早く来ていれば良かった」


あぁ本当に助かったんだ。

また、危機一髪だった。

そう思った瞬間、額の傷があり得ない痛さを訴え始めた。こめかみが、ドクドクと主張まで始めて、橘先生にお礼を言おうと思ったのに声にならない。


なんだよ、さっきまでは大丈夫だったのにぃ!

何だか、なりふりかまっていられる状態でもなく、ウェディングドレスの裾で額の傷を押さえた。


「…………痛そうなとこ悪いんだけど、お前その格好で救急車のるのか?」


…………確かにね。

でたよ。鬼畜な黒巽。

人の怪我には、ほんっとに、異常に冷たいんだからっ!


「…………痛い。痛くてなんにも出来ない。無理」


声を絞りだすと、巽は嬉しそうに笑った。


「そうか、痛いかぁ。そうだよなぁ。結構ぱっくりだもんな。俺が脱がせてやろうか?そのコスプレ」


くっそぉ!楽しそうなのがムカつくっ!


「やめろよ。きらが痛がってるんだからからかうなよ」


「じゃ、カズが脱がすか?これご丁寧に一人じゃ絶対に脱げないぜ」


「馬鹿。どうせ脱がすなら、きらの体調が万全の時だろ」


ニヤリと笑う橘先生が見える。見えないけど分かる。

今、私心配して貰えるとこだよね。

決して、意地の悪いこと言われたり、からかわれたりするトコじゃないよね?

てか、体調が万全の時に脱がされたらどうなるんだよっ。教職者の言う事じゃないでしょっ。


「…………もういい、巽脱がせてよ。京子さんがいるなら、京子さんがいい」


だいたい、木村が用意したこんな物、すぐに破り捨てたい気分だ。


巽が近づいて来て、私を抱え上げた。


「じゃぁ、救急車の手配頼みます。少し失礼して着替えと血を拭いてきますから。状況はそこの橘から先に聞いておいて下さい」


そう言って、私の部屋へと連れて行ってくれた。京子さんがいいっていったのに。そんな思いは顔にでていただろうに、巽は華麗に無視してくれる。ベッドの上に座らされ、巽は私のクローゼットから着替えを出した。ちょっと待ってろと部屋を出て行くと戻ってきた時には手に濡れたタオルを持っていた。


「ほら、先に血を拭いてやるから顔をかせよ」


隣に座った巽から受け取ったタオルで額を押さえた。先に応急手当だと、タオルと両腕に巻いてその上から包帯をぐるぐる巻きにされる。って本当に大雑把な応急手当だな、もう。その後は、そっと顎に手をあてて、巽は顔を拭いてくれていた。まだ血は止まっていないけれど、先に流れた血は乾いてしまい、肌にこびりついている。拭ってくれる巽が珍しく無言で、真面目な顔をしているから私も何も言わなかった。ひと通り拭い終えると、私の後ろに回ってボタンを外してくれる。


何個か外してくれたところで、手が、止まった。


「…………巽?早くしないと救急車きちゃうよ?」


額が痛むから、さっさと終わらせたい。けれど言い終える前に、ギュッと抱き締められた。回された腕が、微かに震えている。


「…………どうしたの?」


「………良かった。無事で」


さっきまでと違って、弱々しい声に胸の奥がギュッと音をたてた。


「うん」


「…………血まみれとか、心臓に悪いから」


「うん。ごめんなさい」


片手を震える巽の手の甲に重ねてギュッと握った。軽口を叩きながらも心配してくれている。それが嬉しかった。


「巽、痛いんだけど」


「…………うん。もう少しだけ待って」


「嫌」


「お前ムカつく」


小さく呟くと巽は、ため息をついてから体を離してボタンを外してくれた。


だって、めちゃくちゃ痛いんだもんよっ。

マジで抱きつかれてる場合じゃないんだって。


「よし、外したぞ」


「ありがとう。ってなに脱がそうとしてるのよ」


後ろからウェディングドレスに手をかけて、そのまま剥こうとする巽にストップをかけた。


「ん?ほら、滅多にないシチュエーションだし、少し萌えるだろ?これが萌えって奴だよな?」


なにがよっ。さっきまでのシオらしさはどこいった!

男の萌えポイントなぞ知るかっ!


「後は自分で、出来るからさっさと出てけっ!」


クスリと笑う気配と共に、いやぁな気配がただよう。


「さっき俺、もう少しって言ったよな?」


問答無用とばかりに、上半身を露にされてしまう。抵抗する気力もなく、腕を掴まれ袖を抜かれてしまった。そこで気づく。タオルを巻かれた腕はそれはもう太くなっていて、結果人の手を借りなきゃ袖から抜けなかったのだ。やっぱり大雑把すぎんだよっ!


「馬鹿っ!流石にこれは無理!巽!痛いんだからふざけないでよ」


ウェディングドレスをそのまま下に下ろそうとする巽にストップをかける。

後ろにいるから巽の表情は見えなかった。やや、無理矢理袖を通した腕もズキズキと痛みを訴えているし、もう何が何だか痛みで訳が分からなくなりつつあった。


「おぅ、分かってるから。後、これだけやらせろ」


さらりと髪を右に流されたかと思うと左の首筋に顔を埋めてきた。首筋に這わされた、巽の唇の感触にビックリして、逃げようと身をよじった。すぐに、後ろから両手で抑え込まれてしまう。


「だから、それどころじゃなん…………んっ。やっ」


首筋を舐めあげられ、耳たぶを甘噛みされる。


「俺も駄目なほうって、言っただろ。ちょっとおとなしくしてろすぐ済ませるから」


低く囁かれた、いつもより数段甘く響くその美声に力が抜けていく。


…………なんだっ。まさかっ声で腰砕け?嘘っ。



私が呆然としている隙に、さっき橘先生がしたみたいに巽が吸いつかれ、甘い痛みが首に走った。


「秘密だけど、コレ俺の得意技だから。この声で結構な割合で女落とせるんだぞ?」


そう意地悪く言った巽は、いつも通りで私を安心させた。


「少しは痛み忘れられただろ?さっさと着替えろよ。ただでさえノロマなんだからな」


そう言い残すと、さっと立ち上がり何事も無かったように出ていった。


夢?

え?なにアレ。

まるで恋人同士が、やることみたいな。

いくらスキンシップが激しいといったって、今のは違くないか?


着替えをノロノロとしながら、私は回らない脳味噌で近づいてくる救急車のサイレンを聞き、あぁ急がなきゃと他人事のように思っていた。


読んで頂きありがとうございました。

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