じゅ~うの1
お昼に奏が女の子達に、囲まれていた理由は、大学に戻ってすぐに分かった。
今まで挨拶すらしたことのない人達に、今度は私が囲まれたのだ。
結論からいえば、どこぞの御曹司で、大学も日本全国誰でも知っている超難関と言われる、あの大学なんだって。
そういえば、大学がどこかなんて聞いてなかったっけ。
顔がよくて、頭もいい、ついでにお金持ち。三拍子揃った奏のことを、このあたりの大学で、知らない女の子はいないってくらいに有名なんだって。
……まぁ、確かにお金持ちっぽくはあったよね。
着ているものの質がいいし、言われてみれば外車のスポーツカーだし。
いいとこのお坊っちゃんだろうな、くらいには思ってたけど。
まさか、この大学でも有名人だったとは。
どこで知り合ったんだとか、どうやってアプローチしたんだとか、なんであんたみたいのがっとか私の周りはヒートアップした人ばかりで、私は愛想笑いでその場をごまかした。
橘先生の家まで送ってくれた奏に、女の子達から聞いた話をすると、にこやかに肯定された。
「晶は知らないと思ってた。最初から、僕のことスルーだもんね。周りの言うことなんか、放っておけばいいよ」
だってさ。別にスルーしていた訳ではないんだけど、大学の人達が知っていた事を、知らなかったのは確かだ。
奏は橘先生の夕飯の買い物までつきあってくれて、家に帰っていった。
昨日から、随分と奏と一緒にいたので橘先生の家はホッとできる。
奏が嫌とかではなく、ただあまり友達もいないので、長い間誰かと一緒にいるということがなかったのだ。
あぁ、でも橘先生といて疲れた事はなかったか。
アレだ、奏はスキンシップが激しいから感情のアップダウンが多くて、疲れるんだな。
私は、一息つくと橘先生が大嫌いなにんじんを大量にいれた、煮込みハンバーグに取りかかった。どんなに細かくしてもペイッて残すものだから、だんだん意地になってきて、絶対に食べさせてやると決意したのだ。今日は京子さんとの作戦会議で採用された、すりおろしにんじんを混ぜ合わせてみた。
食べてくれるといいけど。
にんじん食べなくても死なないし、嫌だって言ってるんだから出さなきゃいいんだけど。なんかさ、お皿にポツンと残されたにんじんがね。
切ないじゃん。
一度でいいからにんじん完食させたいんだよね。
「ただいま。きら、今日はご飯なに?外まですげぇいい匂いがしてるよ」
橘先生は鞄も置かずに、キッチンに入ってきた。匂いに釣られて台所に直行って子供みたい。
「おかえりなさい。煮込みハンバーグだよ。晶ちゃん特製レシピだから、楽しみにしてて」
私の肩越しに鍋の中を覗き込むと、嬉しそうに、
「うまそうだな」
と言ってくれた。
そーでしょそーでしょ、大量のにんじんはソースとお肉に隠されて色すら分からないからね。見た目は完全にハンバーグだからさ。騙されて完食するがいい!
なにを思ったのか、橘先生は突然私の首筋に鼻を近づけて匂いを嗅ぎはじめた。
なに、汗臭い?!今日は汗かいてないと思うんだけど、汗臭いなんて言われたら軽くへこむよ。
それに、近い近いちーかーいー!
柔らかい前髪が耳をくすぐって肩をすくめた。
「橘先生っ。なに?近い、近いからっ」
「うん。きら香水つけてる?ユニセックスな感じの」
……香水?
「あっ、あぁ。きっと奏の香水だよ」
今日はかなりくっついてからなぁ。もう、鼻が馴れてしまって自分では分からないけれど香るくらいに移ってしまったのかもしれない。自分の腕を嗅いでみたけれどやっぱり分からなかった。
「…………なんで、奏くんの香水が、きらから香るのさ。放っておけって言ったじゃん。だいたいこんなに、強く香るってなに?」
……あれ?何だか黒がきてますか?
「え~と。試しに三ヶ月彼氏になったから?ついでに奏、密着度が高いんだよね。移り香には気づかなかった。あまり香水って好きじゃないから、もう少し軽くつけてもらえるように頼もうかなぁ」
「きら?」
あ゛っ、低くなったぞ。黒が増した感じになってきた。
「きら、自分が騙され易いの分かってる?押しに弱いのも自覚あるの?きらが、奏の事を好きなら問題ないけど、三ヶ月ってなにさ?」
なんだ?この圧力。
「え~と……」
「え~とはいらない」
……こわっ。
「三ヶ月の間に好きになってって言われた」
私が恐くて、振り向けずに、火加減を見ていると、橘先生は私の肩で大きなため息をついた。あの、なんで私の肩に顎が乗っかってるの?
「ほら、騙されてない?好きでもないのになんで、付き合う必要があるのさ。相手のことを知るなら、友達でいいだろう?」
「私も、そう言ったんだけど、友達だと口説けないしイチャイチャできないから、お試しで付き合ってって」
その瞬間、ピキーンっと空気が凍るという現象が発生した。これは、黒いっていうか何かしら怒ってる?てか、なんで橘先生に言い訳してるの、私。
「…………イチャイチャ」
う゛ぁぁ。黒さがっぱない。
何を思ったのか、橘先生はコンロの火を消すとヒョイっと私を抱え上げた。
あれ?なんでだ?
橘先生の肩の上で、私はいったい何故抱えられているか頭をひねった。お仕置き?!お仕置き始まる?!巽のお仕置き橘先生バージョンですかっ!それは嫌!!
リビングのソファに下ろされたと思ったら、橘先生が覆い被さってきた。
まてまて待って!!なぜ、こんなに近くに橘先生の顔が?!眼福です!って違う!
「イチャイチャって、どこまでがイチャイチャなの?」
…………知らないよ、そんなの。
何だか、怒っているような、いつもと雰囲気が違う橘先生が少し恐い。なにが原因で怒らせたのかハッキリと分からない。奏と付き合うっていったってお試しだし、奏を知るための期間なんだからそんなに深く考えなくてもいいと思うんだけど。
「きら、キスしようか?」
そう言って、橘先生は私に唇を重ねる。思考が追い付かなくて逃げる暇もなかった。ゆっくりと何かを確かめるようなキスに、熱が上がってゆく。
何故、今、この流れでキスなのか。さっぱり分からないのに、橘先生のキスは、私を蕩けさせて、どんどん思考力を奪っていく。
両手で私の頬を包んで、何度も啄むようなキスをする。
しだいに、激しくなって、私を絡めとる。なんだか食べられているみたいだ。もうその頃には何も考えられずに、必死に橘先生にしがみついてキスに応えていた。
時折、キスの合間に私の名前を切なげに囁かれ、さらに体が熱をもつ。
体に電流が走るような、甘いしびれに支配されて、いつまでもキスを続けていたいとまで思ってしまう。
なぜ、とか。
私の匂いに惑わされてるの?とか。
どうでもよくなってしまうくらいにトロトロに蕩けてしまう。
「…………きら」
甘い響きが心地よく、橘先生の唇から漏れる吐息が肌を滑る。いつの間にか体のライン撫でていた、橘先生の手の動きに、さらに甘い痺れが走る。
「んんっ……センセ」
憧れ、なのだろうか。こんなにも先生の手が、吐息が、ぬくもりが愛しいと感じるのに。
好きって気持ちが、心の底から溢れてきて止まらない。
突然ピタリと橘先生の動きがとまった。
脱力して私に体重をかけ、肩に顔をうずめてまるで何かを逃がすように大きくため息をついた。
「…………ホントに、きらはヤバい。ちょっと頭を冷やしてくる」
掠れた声で、橘先生はそう言って最後に私の額にキスして頭を撫でるとお風呂場へ消えていった。すぐに、シャワーの音が聞こえる。
びっくりした。自分が自分じゃなくなるかと思った。腰が抜けた。心臓が爆発するし。
なんだったんだ今のはっ。先生が色っぽくて、私は変な声がでて…………え?えぇ~!
なんで、なんで、なんでぇぇ。
奏とお試しで付き合うってとこから、なんでキスになるんだ?二回目?でも、今回は巽にキスされた訳でもないのにっ。
スゴい、男の人だった。
どういうことでしょうか。
誰か教えてっ。




