よぉ~んの3
高野先生は、私がここにいる事の不自然さ、そして自分に対する不誠実さを捲し立てていた。
橘先生は、黙って深呼吸を繰り返して自分を落ち着かせているように見える。
顔を伏せていても怒りが伝わってくる。しばらくしてから顔を上げて高野先生を見た。
「落ち着いてください。そんなに興奮なさっては、話も出来ません」
ピシャリと言い放って、高野先生を黙らせるとまず、私を助け起こしてくれた。
そう、私は間抜けにも突き飛ばされたまま、座り込んでいたのだ。
「怪我はないか?大丈夫そうなら悪いけどお茶淹れてくれ」
心配をしてくれたのか一通り怪我がないか確かめるようにポンポンと両手で腕を叩かれた。見えるところに怪我がないことが分かるとホッと息を吐き出して私にそう言った。ほんの少しだけ橘先生の纏う空気が緩んで私も体に入ってしまっていた力をすっと抜いた。
このなんとも言えない緊張感、逃げ出したい、うん、もうっ、切実に!
「あら、お茶なら私が淹れますわ」
橘先生にピシャリと言われてもケロリとしている高野先生が、台所へ向かおうとするのを橘先生は止めた。
「僕は、嘉月に頼んでいるのです。高野先生はややこしくなりますから少し黙っていてください」
私は、戸惑ってしまった。
橘先生が帰ってきたのなら、私が居ないほうがいいのではないのかと思ったのだ。
名前の呼び方も先生仕様で、嘉月になっているし。
どう考えても修羅場だし、修羅場だし、修羅場だし。
逃げたいし。しまった、本音がっ!
「えっと、じゃあ、お茶淹れたら帰るよ。なんか込み入ってそうだし」
高野先生にものすごい目で睨まれてるしさ。これは、ほら、邪魔よって言われてるんだよ。
私もソコまで空気読めなくないから。
「いや、もうすぐ巽も帰ってくるはずだし、こっちはすぐに済ますから、嘉月はご飯を食べられるようにしておいて。今日は唐揚げっていってだろ?」
でも、私は帰りたいんだよぉぉぉぉ!
よっぽど情けない顔をしていたのか、ニヤリと悪そうな笑みを浮かべた橘先生が、私の頭を撫でる。表情と違ってその手は優しくてすごく安心してしまい、それ以上帰ると主張せずに私は台所へいってお茶の用意を始めてしまった。
あれ?丸めこまれた?
「とりあえず、そちらにお座りください」
向かい合ってダイニングテーブルに座った先生達は、なんだか恋人同士に見えない雰囲気が漂っている。
見た目は穏やかだけど、橘先生は確実にまだかなり怒っていると思う。
だって、巽が怒ってる時と同じ黒いオーラがまた出てきてるもん。
私はおそるおそる、緑茶を二人の前に置いて、台所に戻った。
あの雰囲気無理だから。
いたたまれないというか、 恐い空気なんだよ。
リビングとキッチンはカウンターを挟んで繋がっている。
見たくなくったって対面式キッチンだから、先生達が丸見えだし、丸聞こえ。
これから何の話をするのか興味はあるけど、私は唐揚げを揚げることにして、同時にミネストローネにも火をいれた。
緊張感が漂う中、先生達の話が始まった。
「まずお聞きしたいのは、貴方がなぜ僕の部屋にいるのかです?」
「あら、当然ですわ。お付き合いしているのですもの。お夕飯をつくって差し上げるために伺ったに決まっています」
高野先生は、上品に緑茶をすすった。さすが、美人は何をしても、さまになるなぁ。
「それよりも、私のほうが聞きたいですわ。なぜ嘉月さんが、家政婦のまねごとなどなさっているのですか?言ってくだされば私がいたしますのに」
あれ、やっぱり付き合ってるんだ。じゃぁ、私余計なこと言ったのかも。
「いいかげんにして下さい。僕は貴方の戯言に付き合っている時間はない。僕たちはただの同僚です。親しくお付き合いなどしていないし、これからもするつもりはない。」
…………絶対零度ってこんな感じ?橘先生の後ろに氷で出来た仁王像が見えるよ?
「だから、僕が嘉月とどんな関係だろうが、貴方には関係ない事だ。僕のプライベートな時間に踏み込んでくるのは止めていただきたい。迷惑だ。」
……あら?やっぱり付き合ってないんだな。
口調の冷たさといい、丁寧な言葉遣いだけど内容はキツイし。
と言う事は、高野先生ってあの噂の危ない人ってことだったりして。
なんて思っていたら、橘先生のきっつい言葉にも、高野先生はびくともしない。
「なにをおっしゃっているの?私達、結婚を前提のお付き合いじゃないですか」
話を聞かずに、自分の都合のいい解釈しかできないタイプなのか、現実をみたくないタイプなのか、見事に橘先生の意見はスルーだ。
ここまでくると天晴れだな。いっそ清々しさまで感じる。
橘先生は、目を大きく見開いて、まるで化け物をみるような目つきで高野先生を凝視した。
これは、危ない人決定だな。裸エプロンの同僚で間違いない。今、本当に今、親しくお付き合いしてないって言われたばかりなのに。なぜかブルッと体が震えた。
「なぁ、あの美人誰?結婚前提のお付き合いとか、聞こえたけど?」
飄々とした声が耳元で聞こえる。ドキッと心臓が大きな音を立てた。
あっぶない!取り出した唐揚げを油の中に思いっきり落とすところだった。油が跳ねて火傷したらどうしてくれるんだっ!
「びっくりした。気配殺さないでよ。てか、本当に帰ってきた。今日は残業なかったんだ」
私の後ろにはいつの間にか巽が立っていた。
全く、どうやって入ってきたんだか。
さっきの橘先生といい二人とも気配がなさすぎだよ。
「同僚の高野先生。なんだかちょっと変な人みたい。話を聞かないというか、聞こえてないっていうか。橘先生はお付き合いしてないっていってるんだけどね………」
私が小声で言うと、巽は納得したように頷いた。
「だけど、あの美人さんは、結婚前提の付き合いをしてるって言ってんのか。なるほどね」
小声でつぶやくと、巽は揚げたばかりの唐揚げを、口に放り込んだ。
「ちょっと、つまみ食いしないでよ」
私の抗議なんて聞かずに、巽はリビングにふらりと入っていった。
当然のように橘先生の横に陣取って、先生のお茶に手をのばした。口の中のものを、お茶で流し込む。
「カズ、ただいま。お客さん?」
そうして、高野先生に営業スマイルで微笑んだ。
「同僚の高野さん」
短く紹介されて、巽は高野先生に握手をもとめた。
「こんばんは。うわさは聞いていますよ。美人の同僚がいるって。本当にお綺麗だなぁ」
そのいかにも人の良さそうな無邪気さを装う巽の姿に、私は悪い予感しかしなかった。
この笑顔、ぜったいロクな事考えてないからっ!




