どう見ても付き合ってると言われ続けた幼なじみと、本当に付き合うまでの話
「おい海斗、お前らもう付き合っちゃえよ。見ててこっちが気恥ずかしいわ」
昼休みの教室。俺の弁当箱に当たり前のように自分の卵焼きを放り込み、代わりに唐揚げを奪っていった幼なじみの栞を見て、親友の健太が呆れたように言った。
「は? 寝言は死んでから言え。こいつとはただの幼なじみだっつーの。パンツ被ってる頃からの腐れ縁なだけだ」
俺、吉澤海斗は、鼻の中に入ってしまった卵焼きを必死にかっぽじりながら適当に返す。
「そうそう。海斗なんて手のかかる弟みたいなもんよ。朝だって私が起こしに行かないと遅刻するし、ネクタイだってまともに結べないんだから」
栞もケラケラと笑いながら、俺の乱れたネクタイをキュッと直してくる。
俺たちはいつもこんな調子だ。家は隣同士、幼稚園から高校の今までずっと一緒。お互いの黒歴史も知り尽くしているし、一緒にいるのが当たり前すぎて、今さら「男と女」として意識するなんてあり得ない。
周りの連中は「夫婦漫才」「熟年夫婦」などと冷やかしてくるが、俺たちにとってはこれが日常であり、心地よい距離感だった。
放課後。
今日は俺と栞の二人が日直だった。クラスメイトたちが部活やバイトへと散っていき、夕日に染まる教室には俺たちだけが残された。
「あー、疲れた! 黒板消すの海斗ね。私、日誌書くから」
「お前な、少しは手伝えよ。チビだから上のほう届かないのは知ってるけどぉ?あ?」
「チビって言うな! まだ成長期だもん!」
プクッと頬を膨らませる栞を横目に、俺は黒板消しを手に取る。チョークの粉が舞い、オレンジ色の西日がそれをキラキラと照らしていた。
グラウンドから微かに聞こえる野球部の掛け声や、吹奏楽部のトランペットの音色が、妙に遠く感じられる。
日誌を書き終えた栞が、黒板の前にいる俺の隣にやってきた。
「終わったー。海斗、まだかかってるの? 貸して、下半分やってあげる」
「おお、サンキュー」
俺の手から黒板消しを受け取ろうとした栞の指先が、俺の手に触れた。
普段なら、どうということもない接触だ。手をつないだことだって過去には数え切れないほどあるし、今朝だってネクタイを直してもらったばかりだ。
だけど。
ひょんなことだった。栞が黒板消しを受け取ろうと俺を見上げた瞬間、その前髪に白いチョークの粉がついているのが見えた。
「お前、髪に粉ついてるぞ」
「え? どこ?」
栞が手で払おうとするが、見当違いの場所を撫でている。
「違う、そこじゃない。ちょっとじっとしてろ」
俺は自然な動作で手を伸ばし、栞の前髪に触れた。親指でそっと粉を拭い去る。
その時、俺の指の背が、栞のおでこから頬にかけて、軽く滑るように触れた。
ピタリ、と。お互いの動きが止まった。
至近距離にある栞の顔。
いつも見慣れているはずの顔なのに、西日に照らされたその横顔は、なぜかドキッとするほど大人びて見えた。
大きく澄んだ瞳、長いまつ毛、そして、うっすらと赤く染まっていく頬。
(あるぇ……?)
心臓が、トクン、と大きく跳ねた。
いつも嗅いでいるはずの、栞のシャンプーの甘い香りが、やけに鼻腔をくすぐる。
栞も動かない。俺の手が頬の近くにあるまま、彼女は大きな瞳でじっと俺を見つめ返していた。その瞳の奥が、かすかに揺れている。
「……海斗」
栞の唇が、小さく震えた。
その声の響きが、いつもの「幼なじみ」に対するそれではなく、どこか熱を帯びているように感じられて、俺は反射的に手を引っ込めた。
「んご、わりぃ……取れたぞい」
「う、うん。ありがとう……」
気まずい沈黙が落ちる。
いつもなら「何照れてんのよー!」とふざけて背中を叩いてくるはずの栞が、俯いてモジモジと自分のスカートの裾を握りしめている。
その女の子らしい反応が、さらに俺の動揺を煽った。
(なんだこれ。なんで俺たち、こんなに緊張してんだよ)
俺は気づいてしまった。
さっき、指先が触れた時の熱。近づいた時に感じた甘い匂い。速くなる自分の鼓動。
思えば、俺たちはあまりにも多くの時間を共有しすぎていた。だからこそ、「好き」という感情が「家族への愛着」のようなものにすり替わってしまっていたのだ。
でも違う。俺は今、こいつを「幼なじみ」としてじゃなく、「一人の女の子」として強烈に意識している。
沈黙を破ったのは、栞のほうだった。
「……ねえ、海斗」
俯いたまま、栞がポツリとこぼす。
「昼休み……健太くんに言われた時、海斗、『ただの腐れ縁だ』って言ってたよね」
「あ、ああ。言ったけど……」
「私ね、あの時……ほんとはちょっと、モヤモヤしたんだ」
栞が顔を上げる。その顔は、夕日のせいだけではなく、林檎のように真っ赤だった。
「ずっと一緒にいるのが当たり前だと思ってた。でも……海斗が『ただの幼なじみ』って言い切るのを聞いたら、なんだかすごく寂しくて。さっき、海斗の手が触れた時……私、心臓が爆発しそうだったよ」
栞の言葉が、まっすぐに俺の胸に突き刺さる。
俺と同じだ。こいつも、たった今、チョークの粉を取るというほんの小さな切っ掛けから、自分の中にある本当の気持ちに気づいてしまったんだ。
「……海斗にとって、私はずっと、手のかかる妹みたいなものなのかな」
不安げに見上げてくるその顔を前にして、俺の口から出た言葉は、自分でも驚くほど素直なものだった。
「……違う」
「え?」
「だ、か、ら。ただの幼なじみじゃねぇよ。……俺だって、さっきお前に触れた時、頭が真っ白になった」
俺は、照れ隠しに頭を掻きながら、それでも栞の目から絶対に視線を逸らさずに言った。
「お前が他のヤツと付き合うなんて想像しただけで腹が立つし、これからもずっと俺の隣にいてほしいって思ってる。……近すぎて、今の今まで気づかなかった。遅くなってごめん。俺、栞のことが好きだ」
オレンジ色に染まる教室。
時計の秒針の音だけが響く中、栞の目からポロリと大粒の涙がこぼれた。
やがて彼女は、両手で顔を覆いながら、嬉しそうに、そして少しだけ怒ったように笑った。
「……バカ。気づくの、遅すぎ」
「バーロー。お互い様だろ」
俺は苦笑しながら、今度こそ明確な意志を持って、栞の頭をポンと撫でた。
栞は逃げずに、心地よさそうに目を細めた。
翌日の朝。
いつものように並んで登校する俺たちを見て、校門前で健太がニヤニヤしながら近づいてきた。
「お、今日も夫婦登校か? ほんと仲が良いこって」
いつもなら「違う!」と声を揃えて全力で否定するところだ。
だが、今日の俺たちは違う。
俺が隣を歩く栞と顔を見合わせて微笑むと、栞は俺の手にそっと自分の手を重ねてきた。俺もその小さな手を、しっかりと握り返す。
「ああ。まあな」
「うん。私たち、付き合うことになったから」
「……ほげっ!?」
朝の通学路に、健太の素っ頓狂な声が響き渡る。
呆然と立ち尽くす親友を置いて、俺たちは繋いだ手を揺らしながら校門をくぐる。
周りから見れば「やっとかよ」と思われるだろう。でも、俺たちにとっては必要な時間だった。
ただの幼なじみから、世界で一番近い恋人へ。
俺たちの本当の日常は、ここから始まるのだ──




