第四話: 影で狩る陰
ミナがサラから離れるとお互いうなずいた。後ろに振り返り、ミナは右足を少しさげ、姿勢を低くした。そしてさっき落ちて死にそうになった穴に向かって全速力で走る。足の肉が傷むくらい、学校の五十メートル走で出した痛みや力の何倍も。穴の直前で大ジャンプ。走り幅跳びだ。体が穴の上を跳び、反対側まで行く。だが落ちているわけなので向こう側の床が彼女の胸のあたりにぶつけられた。
「うっ!」
ミナは衝撃と同時に床を手でつかみ、よじ登ろうとした。そしてそれを指をかじりながら見るサラ。ミナは今度、握力測定で出した最高よりも何倍も強い力で床をつかみ、体を引き上げた。振り向いてサラを見ると彼女の顔はサスペンスで疲れていた。しかし次は彼女の番。サラは同じく全速力ダッシュし、反対側まで跳んだ。そしてこれをミナがサラの腕をつかみ、彼女を引き上げた。
「それじゃあ行きましょう!」
なぜ死にそうになってまであの大穴を超えたか、それは階段が崩れて上に上がれなかったからだ。そのため反対側まで跳び、こちらの階段を使わなければならない。しかしさらに大きな問題に直面する。ミナとサラがつくと、こちらの階段も崩れていたのだ。シェリーを助けるため上に上がる階段、二つともが崩れてしまっている。
「ミナ!非常階段!」
二人はサラの提案により、急いで非常階段へ向かった。しかし、外への扉を開けると階段が登れないほど足がすくむ光景が目の前に広がっていた。あの大きな怪物が読んだのか、音か。何が原因かはわからないが、町中の怪物がそろって近づいてくる。ウルフなどのおなじみの怪物もいればほとんどの怪物は全く知らないものばかり。知らない怪物は戦うのが難しい。逃げるのだけでもあんなにいては一苦労、食べられてしまう可能性がとても高い。あの大きな怪物から逃げ切れたとしても、このショッピングモールから出れなければ全く意味がない。
「サラさん…」
「うん。やばいねこれ。」
二人は口をぽかんとあけ、目を恐怖と驚きで大きく開けていた。丸まる一分近く、呆然として立っていたあと、二人は階段をシェリーのいる階と同じ階まで駆け上がって行った。
「急ぎましょう!シェリーを助けたら一刻も早くこのエリア一帯から離れる方法を見つけなければなりません!」
階段から建物の中に入った瞬間、非常階段全体が上がれ落ち、地面にガシャンと音を立ててバラバラになった。もう階段は全部使えない。降りる時は別の方法を考えなくてはならない。音に一瞬振り返った二人だが、すぐにまたシェリーの元へ走り出した。
最上階はあまり崩れていない。直線上にいたシェリーに辿り着くのは十数秒しかかからなかった。
「シェリーさん!」
ミナはシェリーの隣にしゃがみ込み、応答を求めた。
「意思を失っているだけよ。」
サラが確認をとった。
シェリーの体は全身あざだらけで、両腕は手首あたりが腫れていた。
「なんてひどい…」
二人はシェリーを運び、壁に寄りかからせた。
一方で、怪物を引きつける役の四人は天井から崩れ落ちてきた怪物を引きつけている、と言うより全力で逃げていた。音を鳴らし怪物の注意を引いたが、そのあとは音なんて鳴らさなくても怪物はちゃんとついてきた。最初は一階で逃げ回っていたが、怪物の巨体に通路をふさがれながら追いかけられ、引き返すことはできなかった。そのまま走っていた四人はすぐにショッピングモールの端につき、二階まで階段を上がった。怪物はすぐに階段を破壊しながら同じ階まで登ってきた。達夫は先頭を走り、地面に落ちていた金属棒を拾った。後ろに振り返り、怪物に向かって槍のように思い切り投げると再び走り出した。投げた金属棒は怪物の口下部分に突き刺さり、大きな雄叫びを挙げて速度を増してきた。
「どうなってんよこれ!」
レイラが祐一と一緒に走りながら文句を言った。
ヨルルは新しい靴で絶好調なのか、達夫とレイラがもめている間にヨルルは先にみんなが合流したキャンプ用品店についていた。左手にはガスバーナーを持ち、大きなガスボンベをいくつも通路に並べていた。達夫たちが通れる隙間を少し残し、ヨルルは再び走り出した。
「そういうことか。ヨルル!」
達夫たちの少し先に走っていた祐一がヨルルからガスバーナーを投げられ、自分の服をちぎって輪に結んだ。それをガスバーナーにかけ、達夫に今度は投げた。達夫は祐一の作った輪を取り、ガスバーナーのレバーとともに全体にひっかけた。こうすることで常にレバーは押された状態で固定され、ガスバーナーは付いたままだ。ガスボンベの壁を抜けた達夫はタイミングを見計らい、ガスバーナーをボンベの壁に向かって投げた。バーナーはボンベと接触した直後、大きな爆発と音を出した。目がなく、聴覚が発達している怪物は大きい音と爆発により一時的に止まったが、体が燃えながらも再び四人を追いかけ始めた。怪物の体は焼け、ところどころでこぼこの皮膚がなくなっているようにも見えた。
祐一とレイラは右側から、達夫とヨルルは左側から店の物などを怪物に投げつけたり、通路に投げ捨てたりして怪物の行く道を邪魔しようとした。爆発と障害物で速度が落ちた怪物だが、四人を追いかけることにはあきらめていないようだった。そしてまた四人はショッピングモールの端についてしまい、逃げ場がなくなっていた。しかしミナとサラがどの階で何をしているのかわからない以上、上に上がることは選択肢に入れづらかった。四人は階段を降り、再び一階で逃走を続けた。このまま次ショッピングモールの端についてしまったらもう逃げ場がない。そう思い、四人は出口に向かって走り出した。駐車場の出口。建物にくっついている駐車場ならば屋根があり、柱も多く、怪物は彼らを追いかけづらいだろう。滑るようにして方向を曲げて着いてくる怪物。駐車場には車が一つ、二つあるだけでそれ以外はガラ空きだった。怪物たちが最初に出てきた時にみんな車で逃げようとしたのだろう。あの時は親も子も関係なく自分だけが生き延びればいいと他人のことなんて誰も考えていなかった。
祐一はみんなを誘導し、一番近い車に走った。彼に続きレイラ、ヨルル、達夫が窓の割れた車に乗り込む。幸い、車の鍵は刺さっていた。すぐにアクセルを踏み込み祐一は出口までとばした。しかし曲がってすぐに大量の車の山が出口を塞いでいることを目の当たりにした。
「クソッ」
四人は車から降りるとコンクリートの壁を越えて駐車場から出ようとした。
その時、外から怪物たちの唸り声が聞こえる。四人はコンクリートの壁に寄りたかった。そこにはミナとサラが見たと同じ光景が広がっていた。見渡す限りの怪物。そして人間の匂いとショッピングモールの崩壊音などにつられ、ぞろぞろ集まって来ていた。
後ろを振り返れば火の玉が駐車場の柱に衝突しては方向を変え、また衝突して柱を本ドン破壊していった。爆発機能で聴覚がやられて今は外の怪獣音と紛れて達夫たちが見えないと推測できる。これをもとにできるだけ足音を立てずに四人は燃え盛っている怪物を置き去りにして再びショッピングモールにもどって行った。あのまま燃えていればいずれあの怪物は焼け死ぬ。再びショッピングモールまで戻ってこなければ害も全くない。これで彼ら四人はミナとサラと合流しに行った。
ミナとサラはシェリーが起きるまで彼女のそばにいてあげていた。
「ん…?」
二人に挟まれ、彼女は目を覚ました。
「大丈夫だったんですね!よかった!」
ミナがほっとすると強くシェリーを抱きしめた。
「ミナさん、まだちょっと傷が…」
「わっ、ごめんなさい、つい…」
シェリーを離す。
「お二人さんともありがとうございます…本当は私が治療する側のはずなのに…」
シェリーはとても落ち込んでいるようだったが、サラが元気づけてやった。
「そのために二人いるんでしょう?私たちも人間よ。治療人だって治療されないと。立てる?」
「は、はい…」
ミナとサラはシェリーの腕を自分たちの肩にかけ、シェリーを支えながら非常階段を下りて行った。再び外の怪獣の鳴き声が耳に入ってくる。三人が非常階段を使って一階まで戻ると達夫、祐一、レイラ、そしてヨルルの四人が待っていた。
「どうするよ、この大群。」
レイラが話している間に怪物の進行は続き、何匹か駐車場によじ登って来た。怪物たちは待ってくれず、どんどん入ってくる。
「とりあえず上にもどりましょう!」
ミナに続き全員が非常階段を使ってショッピングモールを屋上まで連れて行った。この屋上はかつて小さな緑の公園かつ休憩所が設けられていた。そこまで上がると七人は待ち構えた。ショッピングモールをよじ登ってくる怪物や下で体当たりをして建物を下から崩そうとしている怪物、そして互いに戦っているもの。見渡す限りあたり一面が怪物で埋まっていた。
すぐに七人のいる屋上まで怪物が迫って来た。前方後方、左右、そして上がって来た非常階段からも来ていた。もう逃げ場がない。ここでミナ達の旅は終わってしまう。そう思っていた。
グォォォーッ
突然全員の耳に大きな鳴き声が入った。同時に全員体が固まった。どんな巨体ならそんな声を出せるか。遠くのビルに少し影が見えた。よく見えはしないが、とても大きかった。固まったのはミナたち七人だけでなく、その七人を襲おうとしていた怪物たちも同様にその場に凍り付いたように動かなくなっていたのだった。見知らぬ巨大怪物の鳴き声の後、怪物たちは散るように逃げて行った。あたりを埋め尽くしていた怪物の数は減り、うまく隠れながら進めば脱出できるかもしれないくらいと思うくらいだった。
「何が起こったんだ?」
と言ったのは達夫だったが、全員が同じことを思っていた。
幸い厄介な怪物がいなくなったのでミナたちは再びシェリーを少し寝かせてあげる。シェリーから聞いた話によると、正男がシェリーを襲ってきたらしい。腕を掴まれ、ふりほどこうともがいているうちに怪物に見つかり、正男はそれから生存者から外れた。ということだった。これには達夫は当然激怒していたが、もう犯人は怪物の腹の中。罰しようがない。
薄暗かった空は今では真っ暗に近い。七人はそこでキャンプをすることとなった。ミナとサラがシェリーを休ませる間、四人は寝袋を持ってきた。
「これで足りるかな?」
祐一が寝袋を二つ広げ、伸ばして整えた。レイラと達夫、ヨルルも同じく
祐一のしいた寝袋にあわせて隣に並べた。七人はすぐに寝袋に潜り込み、そのままぐっすりと寝た、ただ一人を除いて。
ミナはなかなか眠りにつくことができなかった。正男が悪人とはいえ、リーダーのミナにも正男が死んでしまった、シェリーがひどい目にあった責任があると感じている。
ミナは寝袋から体を出すと屋上の端に座り、足をたらした。過去の記憶と責任感、そしてこれからどうみんなを導いていけばよいのかわからないという思いが彼女の中を混在していた。彼女はこんなことを望んではいなかった。誰も世界が終わるなんて思っていなかった。しかし事実は事実、世界の終わりが始まったのだ。必死に生き延びようとしていたミナだったが、次第に生き残った人たちが現実から目を背けていることを悟る。怪物に抵抗していた松本やほかの街でもそういうような人はたくさんいた。すべてを放り出して、怪物に抗おうともしない人々。ミナはそんな人達が死んでいくのを黙ってみていられなかったのだ。ミナは会う人に希望を見せ、怪物に、世界の終わりに抗えと伝えた。そうしていくうちにミナの元、人類の未来は再び人類の手にもどった。自分の未来は自分が作る、そんな考えをよみがえらせた。人を助けている、そんな感覚に浸ってミナもまた、希望というものを見ていた。しかし、この世界でリーダーになるとわかることがいくつかある。その一つは、全員は助けられないということだ。一人が逝けば、ミナの記憶にカノが引っ張り出された。人を助けられなかったという失敗感が毎回ミナを襲った。
夜風に当たっていた彼女の視界で、何かが動いた。遠くの建物の影、何かが入っていくのが見えた。怪物にしてはやけに人間っぽく見えた。
「もしかして…?!」
チャーリーたちだと思い込んだミナはすぐに非常階段を駆け下りた。できるだけ眠っている怪物を起こさないように、かつ謎の影のもとへ素早く。車や倒れた電柱の陰に隠れながら数々の怪物の間を抜けていく。眠っているのがほとんどだが、中には半目開けているものや、周囲をパトロールしている怪物もいる。しかし、ミナが二度も非常階段で見た数とは全く違った。あの時の一割、いやそれ以下だ。ほとんどすべての怪物が何かにひかれて行ったようだった。今は考えずにひたすら進んだ。大通りを進み、建物に近づく。
このころ、もう一人起きていた。ヨルルは眠りの浅いほうで、ミナが非常階段を下りて行ったころにはもう起きていた。ヨルルはすぐに起き上がると何か武器になりそうなものを探し、もともと張る予定だったテントの支えの金属棒を抜き出し、すぐにミナの後を追うように階段を駆けて行った。
例の建物につき、影を追うようにして裏路地に入って行ったミナと、そのあとをつけるヨルル。
ミナは感覚だよりに曲がりくねった道を進んだ。そして、そこから五十メートルほど離れたところでヨルルが後をつけている。ヨルルは少しづつミナとの距離を縮めていった。窓ガラスの割れた、今にも倒壊しそうな建物や、ライトの割れている、また完全にひっくり返された車の陰に隠れて、二人は慎重に進んだ。
「チャーリー…」
ミナは少しペースを速めた。まだチャーリーと確信したわけではないが、このままでは謎の影を失ってしまう。そうなればもしかしたら永遠に見つからないかもしれない、そんな気がした。駆け足になってもギリギリ先の交差点で影の跡が地面に少し移るだけ。月明りもそう強くない中、ミナはこけそうになりながらも急いだ。
しかし、影がギリギリのところで曲がることには変わりはないが、曲がり角が頻繁になっていき、距離は確かに縮まった。また、ヨルルもミナから二十メートル離れていない。
そしてついに行き止まりの路地。ミナが曲がった先には暗闇の中に立つ背の高い男性。それはまさに彼女の知るチャーリーの姿だった。
「チャーリ―!」
このとき、後ろにいたヨルルはミナがまずやるべきだったことを知っていた。最初に誰かと会ったとき、必ず声を出させ、それをもとに人間かどうかをちゃんと確認する。しかしミナはこれを怠った。自分だけ人間だと声を出し、これでは相手が怪物だったら自分を夜食として差し出しているのと変わりない。
「チャーリ―、もう一人の…」
ミナがもう一人の安否を確認しようと近づいた時、一瞬にしてチャーリーと思われていた人物の手のひらから真っ赤な針が一本ずつ伸び、ミナに襲いかかった。
チャーリーだと安心してしまい、油断していたミナは驚き、彼女は背中から地面に倒れてしまった。
顔の歪んだチャーリーらしき見た目をしていた怪物は両手を倒れ込んだミナを刺しにとびかかった。
ヨルルはどうにか尊敬しているミナを助けたかった。隠れていたところから手を地面に滑らせ、手元を見ずに最初に触れた石かコンクリートの破片かを拾い上げるとすぐに怪物に投げた。しかし狙いも定めず、思いっきり投げたので見事に外し、建物の壁にコンッ、と小さな音を立てて当たった。ヨルルはチャンスを逃した、ミナは今の自分のミスで殺されてしまう、と思っていたが、壁に当たった音が一瞬だけ怪物の注意をミナから逸らしたことがミナが生きる理由になることは想像もつかなかった。
次の瞬間、全員の上を影が走る。いきなり何者かが上から飛び降り、短剣二本で怪物の背中を刺した。深く抉り込まれた短剣を背中いっぱい引きずり、二本の大きな傷を残すと、怪物は地面にぐったりと倒れた。
ミナの命を救った短剣使いは夜の暗さとボロボロの茶色いローブで顔を隠していた。短剣を腰の鞘にしまうと背を向けたまま、何が起こったのかまだ処理できていないミナとヨルルに話し始めた。
「私はナトル。あなた達に手伝って欲しいことがあるの。今は詳しく説明できないけど、とりあえずあの城に来てほしい。」
ナトルと名乗る女性の指す方向には松本城があった。あの城に、七人全員明日の夕方までに集まって欲しいのだという。
「明日の夕方には、動き出す…」
ミナ、ヨルルが質問攻めできる前にナトルは建物の壁を簡単そうに登り、屋根の上を走って消えてしまった。
ふと後ろを振り返り、ヨルルと目を合わせるミナ。
「あ、えっと…」
どう話しかければ分からないミナの代わりにヨルルが話を切り出した。
「後をつけてごめんなさい!」
とヨルルは頭を下げていった。
「え?全然!むしろそのおかげで私の命を救ってくれたよ!」
とミナはこれに応えた。
「でもほとんどあのナトルさん、と言う人でしたけど…」
「全然そんなことないよ、ヨルルちゃんもあの怪物の注意を逸らしてくれた。十分私のヒーローだよ。」
ヨルルは涙を垂らし、ミナを強く抱きしめた。




