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09.水流に託す

 この基地で魔力温熱式の浴場を利用したときは、その機能性にびっくりしたものだ。

 わたしは操士になる前の記憶が薄いけれど、それでも驚いたということは、以前はこんなものを当たり前に使って身体を洗うなんてことはできなかったんだと思う。

 事実、こういったものをさかんに作っていた国が翼樢(ヴィスカム)に滅ぼされたせいで、フェリィの中でもここまで良いものはほとんど存在していないらしい。


 サアァ、という音は、さざれ雨のあらわれる時のそれに似ている。

 頭上から、髪へ、顔へ、体へ。余計なもののない、全ての肌に濡れた風が降りしきる。

 レミアという一人の人間の肌の上に、霧の形をしていた水たちが、水滴となって胸元の曲線を形取り、水流となって腰と足を滑り落ちていく。


 温水が噴き出した次は、こんなに水を使って大丈夫なのかとわたしは驚いた。聞けば、この時使った水は後で洗濯や耕作、清掃に使いまわされるのだという。


「それだけ期待されてるのよ。操士は」

 と、ティルチェが言っていた。


 きれいな水を、一番はじめに使える場所。

 川の上流。

 わたしたちはそこに立っている。

 そこに立つように、できている。



「はあぁ、生き返る……」

「このために頑張ってますもんねー」


 頭から霧を浴びて、ティルチェとリサはいつものようにそう漏らした。

 靄が降り注いでは立ち上るここでは、誰の身体もシルエットくらいしか分からない。

 にも関わらず、ティルチェの体は輪郭だけでも丸みと柔らかさに満ちている。対するリサは、研ぎ澄まされた剣のようにしなやかだ。

 わたしはどうにもどっちつかずで、半端だな、と思ってしまう。

 でも、体力が余っているときは、良いとこ取りだな、と思う。



「浴場間に合って良かった。こんな状態で夜まで待つなんて耐えられないもの」

「ごめんなさい、話し込んでしまっていて。待っててくれてありがとうございます」

「いいのいいの。あたしもそうだけど、リサの方が入り損ねたら大変でしょ」


 ティルチェが気にしているのは、髪のことだろう。わたしに比べればティルチェのふんわり肩にかかる亜麻髪も十分長いが、リサの真黒な髪は腰の辺りまで伸びていて、基地内の誰よりも長く目立つ。

 教官や統括官には何度か切るように言われていたけど、さらりとした笑顔で聞き流して、結局手入れ以上のことはしていないはず。

 リサはそういう子だった。


「髪、私がしていい?」

「もちろん」


 シャワーの下を避けるように据え付けられた椅子へ、リサが腰かける。わたしは石鹸を布で巻いて泡立てると、首元辺りから髪を洗い始める。

「レミアちゃんにこうしてもらえるのも今日で終わりですね」

「私も残念」

「転属した後は余裕もって入浴するのよ」

 自分の頭を洗いながら言うティルチェ。わたしがリサの髪を洗い始めたのは、単に時間を短縮するためだけだった。

 他意なく大変そうだと思ったのがきっかけで、リサも最初は遠回しに断っていた。今となってはリサがわたしを断ることはないし、わたしもリサの髪に触れて、清めることが、純粋に好きだ。

 泡と水流に(そそ)がれて、黒い髪がより黒くつやめき始める。この美しい瞬間が。


「シトラスでいい?」

「お願いします」

 洗浄を終えた後は、もう少しシャワーから遠くに座り、櫛にオイルを馴染ませて、洗った髪を磨き始める。

「だからオイルやるなら上がってからにしなってー」

「時間がもったいないですから」

「それをやる場所も決めなきゃいけないし」

「も~」

 ティルチェとしては、この手順は気に入らないらしい。眉尻を下げて笑う。

「最後までリサは、レミアと一緒で全然言うこと聞かないんだから。この不良姉妹」

「善良なレミアちゃんになんてことを言うんです、ティルチェお姉様」

「うん。こんなにリサは優良なのにね」


 年齢はわたしが分からず、背丈はリサが少し高いが、全体的な発育はわたしの方が良いから、わたしとリサのどちらが姉でどちらが妹と言うべきかは分からない。

 ただ少なくとも、みんなのまとめ役で気のつくティルチェには、身長も女らしさも二人揃ってかなわず、だからわたしたちはしばしばまとめて、ティルチェお姉ちゃんの妹たちになった。



(……ああ、でも、そっか。それも最後なんだ)

 木櫛の歯の隙間から、黒い髪が流れ落ちていく。

 何度やってもそれが留まることはない。

 別に留めたいわけではないけれど、ただ、留まらないんだなということだけを思う。


「レミア?」

 ティルチェに言葉をかけられ、いつもより長い時間リサの髪を梳いていたことに気づいた。

「なーに、俯いちゃって。寂しくなっちゃった?」

「ええ~、そうなんですかレミアちゃん?」

「……別に。そうじゃない」


 幸いなことに、ここは霧雨の降りしきる川の上流。

 流れ落ちる一粒一粒の塩分濃度の違いに、誰も気付いたりしない。


「ただ、話……話したいことが意外と、まだあるかもって思っただけ」

「一応、今夜は談話室を遅くまで借りて良いことになってるよ。許可もらったし。スロウドライバー(進戦操士)会のあとね」

「別に、今だって話してもいいんですよ」


 リサは変わらず、穏やかな口調だ。

「今から邪魔者を片付けるので、その後なら」



「レミアならちょっとくらいリサを独り占めしたって……ん?」

 ティルチェがリサの不穏な一言に気付いたその瞬間、


『エッ!? ゲッ! やばッ、あっ、痛だだだだだ!!』


 浴場の清冽さにそぐわない、太い悲鳴が聞こえてきた。

11/3 21時更新分はここまでです

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