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33.在るべき場所、居るべき場所

「一応、お茶はお出ししたんだけど、他に何かした方が良いかしら」


 話す前に身支度をする、と言ってファレンに背を向けたわたしに、カテラナは小声でそんなことを訊いた。


「……いらないよ。そんな気遣い」

「そう? でも大事なお客様なんでしょ」

「ぜんぜん大事じゃない」

「そーう?」

「そう」

「でもレミアが来るまで緊張してたよ?」

「それは知らない人に緊張してたんでしょ」


 階段を登って自室へ。

 いつもより強めにドアを閉じてしまい、ガタン、という音が部屋を揺らした。



 扉に背中をぴったりつけて、息を吐く。

 そして、思い出す。

(……………………何?)


『おう、レミア!』

 おう、って何?


『久しぶりだな!』

 久しぶりって、あんな別れ方して、2年ぶりにあって、それでいいの?


『少し背、伸びたか? 髪は伸びたな~』

 わたしを見て一番に言うことが、何が伸びただ伸びてないだって? しかも背は伸びてないし。



(何、何、何。何なんだ……何なんだ)

 いっそわたしは、怒りを通り越して混乱していた。あのファレンの、たまたま通りがかりにちょっとした知り合いの家に寄った、みたいな顔を見て、何かわたしが致命的な誤解をしたのじゃないかと思った。

 だが、そんな誤解が存在しないということに気付くと、今度はふつふつと怒りが沸き上がって……


(……ファレン)

 ということはなく。

(生きて……生きて、元気だったんだ)

 力が抜けて、ベッドに座り込み、そのまま上半身を倒してしまう。

 眼の裏から熱っぽいものが溢れてきそうになり、あわてて手で押さえた。あんな人に、これはもったいない。


 けれど、それでも。

(よかった…………)

 深く、じんわりとした安堵が、心を満たしていく。

 それだけは、どんなにしても止めようがなかった。



   *   *



 それはそれとして、である。


「レミア。もういいのか?」

「別に、準備って言ったって、クリップ外しただけだし」


 髪を降ろして階下に降りていき、ファレンの正面に座ったわたしは、努めて不機嫌な表情を作っていた。

 元気でいて良かったということについてと、久しぶりのファレンが相変わらず無神経だということについては、まったく別勘定の別感情なのだ。


 久しぶりのファレンは、ジャケットとスラックスを身にまとい、偉そうにタイまで巻いて、すっかり商人のような出で立ちをしていた。

 クツも帽子もいかにもお高そうで、何か悪いことに手を染めてしまったのではないかと心配になるほどだ。


 だが、

(……まだ着慣れてない感じ、する)

 肩に入っているパッドの固さとか、左右で高さの違う袖口とか、所在なく帽子をいじる手とか。

 そういう所を見ると、まだファレンにその服は過剰な感じがする。『着られている』、というやつだ。

 それに気付いた時、わたしはなんとなく、ざまあみろという気持ちになり、少し心が軽くなった。



「……へ、ヘンか? この服。そんなにじろじろ見て……」

「見てない」

 ぴしゃりと言って紅茶をすする。誰がじろじろ見ているというのだ。

「そうか。俺も正直、まだ着慣れてないんだよな」

「支給私服よりは高そうだけど。どうしたの、それ」

「グレゴール……ああ、ええと、雇用主兼身元引受人だな。そいつに買ってもらったんだ。仕事するなら一張羅あった方が良いって」


「……仕事?」

 私が問うと、ファレンはまたきゅっと背を伸ばして答えた。

「シュストラール商会、グレゴール・シュストラール付秘書、ファレン・シュストラール! ……が、今の俺だ」

「シュス、トラ……聞いたことない」

「魔法品と、その関連の材料を扱う商会だからなあ。それに本拠地はアンディナーとか……東の方だ」

「ふうん」


 ラーヴェには苗字がない。

 なので、大体その身元引受先の姓を名乗るのが通例となっていた。わたしならレミア・ソールとなる。

(……なんか、やだな。ファレンよりずいぶん短い)

 長ければ良いというものではないにせよ、である。



「で、エッフェレテには仕事で来たの?」

「それもあるが、それだけじゃない。さっき言った通りだ。……またアルギアに乗るつもりはないか?」

 別に冗談だとは思っていなかったが、ファレンの表情は真剣そのもので、やっぱり冗談ではないようだった。


「……アルギアはもう封印されてるんでしょ。乗れるの? 悪いことでもして?」

「乗れるし、悪いことでもない。中央の方で、アルギアを民間に払い下げる動きがあるらしくてな」

「払い下げ?」

「研究用だよ。軍事利用……つまり、他人を攻撃したりするのは絶対禁止だし、事前申請なしで起動するのも禁じられてるらしい」

「そんなの、意味あるの?」

「少なくともあると、グレゴールは見てる。で、その研究のために操士(ドライバー)が必要だろ?」


 そこで俺だ、と自分を指差すファレン。

 わたしの方はと言えば、そんな話は全く初耳なので、何も判断できない。


(……っていうより、ファレン、なんでそんなこと詳しいの。サムエルの話はなんにも分からなかったくせに……)


 そんな理不尽な感想すら抱いてしまう。


「で、アルギアに乗るには操士が二人いるだろ? 俺がファストドライバー(決戦操士)だとして」

「……それで、私を見つけて声かけに来たんだ」

「おう」


「もし私が嫌って言ったらどうするの」

 機嫌の悪さに任せ、ささやかな嫌がらせを口にする。

「他のスロウドライバー(進戦操士)の当てなんかある?」


「ねえよ」

 対するファレンの返事は、実にさっぱりしていた。

「ねえし、お前がその気にならないなら諦める」


「……諦める?」

「ああ。お前と一緒じゃなきゃ乗らない」



 ぞく、とする。

(……ああ)

 ファレンの真剣な眼差しから、思わず目を逸らした。

(ああ、もう)

 身体の内側から、温かいものがじんわりと溢れ出し、震えそうになる。

(嬉しくなるな、わたし。こんなことで)



「正直に言ってくれよ、レミア」

 ファレンの方はそんなわたしに気付いてか気付かずでか、話を続けている。

「もう、このパン屋の世話になってから2年……にはならないけど、それくらいにはなるんだろ?」

「……うん」

「ジャンさんとカテラナさんだよな。二人とも良い人そうだし、ここでの生活に満足行ってるんなら、無理にとは……」


「行く」

 わたしの口から、ぽんとその返事が飛び出た。

 ファレンは目を見開く。わたし自身も、使い慣れた自分の口からあまりにスムーズにそんな返事が出たことに自分でびっくりしてしまったが、意外ではなかった。

「どのくらい待ってくれる? 片付けとかはしたいし」

「え。ああ、うん。2週間くらいは大丈夫だと思うけど、それ以上かかるならグレゴールと話して……」

「いい。十分」


 紅茶を飲み切る。

 少しだけジャムが入っていて、底の方ほど甘い紅茶。

 もしかしたらわたしは、まだここで紅茶を飲んでいる最中なのかもしれない。

 辛抱強く飲み続けていれば、底の方にはほっとするような甘さがあるのかもしれない。


(わたしたちは、生まれた時から枯れていた)

 でも、そんな希望を信じることはできない。

(……枯れ葉のあるべき場所は、きっと火の中なんだ)

 アルギアという名の炎。

 わたしたちはその中で燃えるべく、生み出されたはずなのだから。



「……本当に良いのか」

 ファレンがそんなことを聞くものだから、良い、と答える。

「カテラナもジャンも、わたしたいなくたって仕事は困らない。わたしを引き取ったのも、補助金が目当てだって、前話してたし」

「そう……なのか?」

 正確には少し違うが、大して意味に変わりはない。そう、ともう一度頷く。


「……分かった。じゃあ早めに準備するか。明日にはグレゴールと顔合わせて、段取り決めちまおう」

「うん。……じゃあその時は、ファレンのことも聞くからね」

「俺の?」


 意外そうな顔をするファレン。当たり前だ、


「自覚ないなんて言わせない。ファレン……2年で変わりすぎ」

「おっ、おお……それは、そうだが」

「何があったか、話、聞かせてもらうからね」


「まあ、まあ……時間ある時にな! 時間ある時に」

 半端に笑って、逃げの表情を作るファレン。

「何があったって言われたら、色々……本当に色々あったから。そのうちな!」



   *   *



 そして、一週間後。


「補助金は、今までよりだいぶ少ないけど、入るようにしたから」

「そんな、いいのに」

「必要でしょ。生活分はちゃんと私が受け取ってて、その余りだから」


 朝食の時間、わたしは荷物をまとめてカテラナと話していた。

 大した私物はない。市場で買った鏡なんかも、あの屋根裏部屋に置いていくことにした。


「……気をつけてね、レミア」

「別に気をつけることなんてない。アルギアに乗るだけだし」

「そうね。ごめんね、心配しちゃって」

 カテラナは眉尻を下げて笑う。あまり見覚えのない表情だ。


「ジャンも、今までありがとう」

 興味なさそうに新聞を読んでいたジャンにも声をかけると、ちらりと目線を向けた。

「おう。体には気をつけろよ」

「そっちも」

 最後まで、彼とは大した言葉を交わさなかった。でも今は、その交わりの軽さが心地良かった。



 そうして家を後にすると、待ち合わせの場所でファレンは眠そうな顔をしていた。

「……お前、こんな朝早い時間によく平気だな」

「そう? 普通でしょ」

「いやいや、パン屋時計だろそれ……ふぁ……」


 ファレンはスーツを着こなしているのに、ぐんにゃりとした欠伸をして、なんだかおかしい。

 そんな彼の横を歩く。2年前までずっと変わらなかった、わたしの居るべき場所。

 2年ぶりの場所。


「行こう、ファレン」

「ああ。行こう」


 クリップで留めた髪を、朝の風が揺らしている。

 旅立ちの朝は、やっぱり少しひんやりした空気で、だけど行く手に昇る朝日が、少なくとも今日一日は晴れるであろうことを語っていた。


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