23.霞みゆく空白
コンコン、とノックの音。
「よ」
扉の覗き窓が開き、気楽そうなエリオットの顔が見えた。
「久しぶりだなあ謹慎室。居心地はどうだ?」
「……ベッドが硬かった」
「寝れなかったか?」
「寝たよ。出撃後で、もう一働きして、統括官に捕まって、散々怒鳴られて、ここに放り込まれたんだぞ。もう寝る以外のことはできねえよ」
「だよなあ~。お疲れ!」
エリオットに話した通り、俺はあの後、ダウロス統括官に事務所の破壊と盗難未遂の名目でキツく絞られ、その後この謹慎室に放り込まれた。
硬いベッドと小さな机しかない、狭く暗い部屋である。
口頭注意では済まない悪さをした操士への罰則として使われる場所で、まだまだ反抗的だった頃の俺やリサなんかはしばしば世話になったものだ。
「実際、ここ何ヶ月か謹慎室なんて使われてないはずだぜ。久しぶりに厳しい罰が来たなあ」
「ああ。ダウロス統括官もちょっと迷ってたよ」
実際、珍しいものを見たものだと思った。
いつだって厳しく力強く、刃のような決断を振り下ろす統括官が、昨日ばかりは他の基地員と俺の処遇を審議していたのだ。
「俺なんかもう、一年……半? ぶりくらいか? 昔より狭い気がする」
「お前が成長したからだろ」
エリオットがドアに背を預ける気配があった。
「お前、結局どう話したんだ? ティルチェはまあ説教食らってたけど謹慎室送りじゃないし、俺に関しては無罪放免っぽいんだが」
「別に。主犯計画全部俺って感じで話しただけだよ」
「だけって、お前なあ……そうするしかなかったとは言え、お前にやらせたのは俺らだろ」
「そもそもを言ったら言い出したのは俺で……もっと遡るならサムエルか」
「あいつを連れてきてここにぶちこまなきゃな」
忍び笑いを交わす。
昔もそうだった。エリオットは操士のまとめ役として大人たちにも信用されてるから、こうして謹慎室に放り込まれたバカと話をすることを許されていたのだ。
だから、俺が言い出したから俺だけで罰を被ったという、さっきの動機も嘘である。
俺が罰を受けることと、こいつが罰を受けることでは、意味合いがまったく違う。エリオットが動き回れることは、この東方アルギア部隊において大きな意味があると判断したのだ。
もう、俺とリサとの三人で計測器を弄り回していた頃とは違う。
(ティルチェはまあ……あいつの魔法で侵入できたようなもんだから誤魔化せないし、仕方ない。あいつは普段チクり魔の良い子ちゃんだから、ここで少し信用を失っても問題はないだろ……)
「まあ、実際やって意味はあったっぽいしな」
ふと、エリオットがそんなことを言い出す。
「今日の夕方、全員を集めるように言われたよ。重要な話があるって」
「……大事な話? それって、ゼフの話と関係あるのか?」
「タイミング的にそうじゃねえの? 統括官どのもマジの顔してたし……何が見つかったんだ?」
尋ねられて、俺は初めて、俺が見たものをエリオットが知らないという状態に思い至った。
(こいつ、何だかんだで俺のことはなんでも分かってる印象だったからな……)
改めて、あの事務所で見たものを手短に話す。ゼファー・マクシミリアンの所属基地のみが空白のスコアシートに、『北方部隊所属』と印字するための金属活字フレーム。
そして。
「……あんま関係ないんだけどさ」
「おう」
「俺、最高速度でゼファー抜いた」
ばっ、と音がした。エリオットの顔が覗き窓に貼り付く。
「マジ!!?」
「おう。……総合ランクは相変わらず3位だったけど」
「エッいや、すげ~~な! 抜いたのか、ゼフを……!!」
「一個だけだけどな。まあ、一個だけだしな」
「めちゃくちゃニヤついてんぞこの野郎……! 謹慎室出たら祝おうな!!」
バチバチバチ、と力強い拍手をしてくれる。
また口元がにやけてくる。謹慎室でこんなに嬉しくなるのも妙な話だ。
「ともあれ、これでハッキリしたな」
ひとしきり祝った後、エリオットは元の口調に戻った。
「スコアシートのゼフの所属欄は空白で運ばれてくる。で、大人たちが手元で所属欄を追記してた!」
「……なんでだと思う?」
「分からん。中央から転属してきた奴にも聞いたんだけど、ゼフはやっぱりずっと北方部隊所属で変わってない……つまり、スコアシートは同じだったわけだからな。全部首都で印刷すれば済むはずの話なんだ」
(……ん?)
エリオットの言葉にささやかな引っかかりを覚えた。
が、それが具体化する前に、エリオットが慌てた声を上げる。
「いけねえ、長居しすぎた!」
「何だ。用事か?」
「ノンキしてんなよファレン。集樹焼いたんだから残党狩りだ!」
そうだった。集樹を滅ぼした後は、そこを拠点としつつ、その時集樹から離れていた翼樢を掃討するのが恒例だ。
(ダウロス統括官、だから俺を謹慎室に入れるか迷ってたのか……?)
「ま、続きはおいおい話そうや。統括官の話もあるし、夕方には出してもらえるよう掛け合っとく」
エリオットは覗き窓を閉じる。
「なんか色々変わる気がするぜ。その変化が良い方向だと良いんだけどな……!」
* *
謹慎室は暗い。
物もない。当然何一つやることはなく、俺はただ座り込んで考え事をしていた。
『中央から転属してきた奴にも聞いたんだけど、ゼフはやっぱりずっと北方部隊所属で変わってない』
『つまり、スコアシートは同じだったわけだからな。全部首都で印刷すれば済むはずの話なんだ』
そうエリオットに言われて、考える。
我らが東方部隊でも、そこと交流がある中央部隊でも、ゼファー・マクシミリアンの所属部隊は変わらず、スコアシートの内容は同じだった。
では、北方部隊と西方部隊では?
……確かめることができない。なぜか?
(東方部隊と人員の移動があるのは、中央部隊だけだからだ)
思えばそこからして妙な話だ。
一時期、北方部隊のアルギア操士の損耗は目を覆わんばかりの速度だった。であれば、うちの部隊からだって操士やアルギアの移動があってもおかしくない。
だが結局、それはなかった。西方部隊からの移動や、新規人員の補充でなんとかしたようだ、ということがスコアシートから伺われたのみだ。
何故か?
(……ゼファー・マクシミリアンは存在しない、か)
サムエルの言葉を反復する。
そして、迷路を逆走するつもりで考える。現状の情報から、サムエルの答えに至るには、どう考えれば良い?
(もしスコアシートが事実であれば……もし北方部隊や西方部隊と交流があれば)
イメージする。あの激戦の北方部隊から操士が来たとする。エリオットやティルチェは歓迎するだろう。あのゼファー・マクシミリアンと戦っていた操士だ!
(……そうか)
もしサムエルの言う通り、ゼファー・マクシミリアンが存在しなければ、北方部隊の操士は困惑する。そんなやつは北方部隊にいない――
(じゃあ北方部隊のスコアシートの1位は……ゼファー・マクシミリアンは……その所属、は?)
不意に、何かが頭の中で繋がった。
(東方部隊では、ゼフは北方部隊所属。中央部隊でも、北方部隊所属。……だがその『認識』を持った操士、北方部隊に行くのがまずいパターンがある。北方部隊に、本当はゼフがいない場合だ)
そして、逆に。
(仮に北方部隊や西方部隊で配られるスコアシートのゼフ所属が中央や東方だったら……やっぱりその『認識』を持った操士が中央、東方に行くわけにはいかない。だからそもそも操士の移動を発生させない……)
「……ゼファー・マクシミリアンが存在しないことを、露見させないために」
知れず、言葉が口から漏れた。
(首都で大量印刷するスコアシートのゼフ所属を空白にして、基地で印字するようにしているのは……万に一つでも『逆』に行ったらまずいから、か?)
もしゼフが存在しない北方部隊に、東方や中央向けの、ゼフが北方部隊に所属しているスコアシートが届き、それが操士の目に留まった場合、混乱は避けられないだろう。
印刷ミスで切り抜ける? だがそれは、その後全ての基地からの公布物が疑われることになる。
事前の検品で察知できたとしても、その場合はスコアシートの到着が大きく遅れることになる。これを技術向上のモチベーションにしている奴は多い……俺だってそうだ。
(……いや、もしかしたら)
それらは、各基地で印字をする積極的な理由としては弱いように思えるけれども。
(既にそういう失敗が起きていて、その再発を防ぐために、そういう手順が最適ということになった、のか?)
薄暗がりで思考を詰めた所で、大人たちの思考を正確に割り出すことなんてできない。
だからこの件は後回しにし、最後の、もっとも重要な問題について考える。
『問題は、大人たちがどうしてそんな嘘をついているかだ』
『俺も結局、答えは見つけられなかった』
(……ようやくお前と同じ疑問に向き合えるな、サムエル)
1ヶ月近くかかってのことだ。サムエルには申し訳ないが、戦闘以外まったく無力な俺にしては上等の結果だろう。
(どこかのタイミングでゼフが戦死し、それによる戦意低下を恐れて、その事実を隠した?)
もっとも最初に思い浮かぶのはそんな仮説だが、スコアシートにまつわる事象とはそぐわない気がする。
(ゼフの所在を隠さなければいけない理由がある?)
翼樢がスパイ活動でもするのだろうか? これもどこか荒唐無稽な気がする。
(そもそも最初からゼフは存在せず、その事実を最初から隠していた?)
これも考えられない。操士の多くが、ゼファー・マクシミリアンに助けられた記憶を持ち、だからこそ操士に志望したのだから。
操士の多くが、そんな記憶を持っている。
記憶を。
(……?)
何か。
何か途方もない違和感を覚えて、頭を振る。
同時、おもむろに謹慎室の鍵が開き、扉が開かれた。
差し込む夕日のオレンジ色の中で、埃が舞う。
そこに立っていたのはレミアだった。
「……レミア?」
一瞬『マスターキー』でも使ったのかと疑ったが、違う。手元にはちゃんとしたカギがあった。
どうした、と尋ねようとして、異変に気付いた。
重く口を閉ざし、息が詰まったような表情。
「何があった」
俺の問いに、レミアは息を吸いながら、か細い声で答える。
「エリオットが死んだ」
本作はハッピーエンドを予定していますが、負荷高い展開入るので週末更新量上げます