15.仕方のないひと
農園の片隅に、白いティーテーブルと2台のチェアが置かれることがある。
それを使うには、女子操士や若い女性基地員の間で管理される予約簿に名前を書く必要がある。
使用するのは、二人限定。その用途も、二人きりの秘密のおしゃべり限定。
誰が呼んだか、星見席。もしくはアルビュー、アルヴとも。
夜。
わたしは再び、ファレンに呼び出されてそこに来ていた。
もちろん、あのヘアピンはまた引き出しの奥にしまったし、特別な日のための服も着ていない。支給私服は清潔でオーバーサイズで画一的だから、歩くように着こなせるのが素敵なところだ。
ひんやりとしたチェアに座り、わたしを呼び出した人を待つ。
星見席に座るのが2度目になっても、星空を見上げようという気持ちにはなれない。
ファレンの用事は分かりきっている。ここのところのわたしの態度についての話だろう。
それを話そうとすると、どうしてもサムエルの話、誰にも話せないことに触れてしまうから、この場を使うことにも納得がいく。
(そういうことにここを使うことが、だめ、なんだけど……)
あれこれと考えるが、心はまとまらず、思考は夜の草むらのように静まり返る。
わたしが悪いのだ。
その悪さは、ファレンがもう謝罪を済ませているのに、わたしがそれを許さずにいること……ではない。
惰性でむかむかしているんだという自覚があるのに、それをやめられないところが、良くない。
別に本気では怒っていない。
アルギアに乗っていないファレンが、考えなしのぽんこつだということはよく知っている。
ちゃんと自分から謝ってきたんだから上出来なほうだ。そりゃあ、腹も立ったけど、あれで同じ間違いはそんなにしないから、いつまでも怒っていたってしょうがない。
しょうがないんだけど。
(……けど、むかつくし)
すべての事実の波打ち際に、まずその感情が流れ着いている。
怒りが収まって、いつものように眠り、目覚め、食事を取り、訓練をして。
ずっと平坦な気持ちでいるのに、思い出したようにイヤな気持ちになる。むかつく。腹が立つ!
それはファレンを見るととか、声を聞くととかではない。普通に何か話を聞いていたり、廊下を歩いていたりする時に、むらっと来てわたしの心を塗り潰す。
きっかけがファレンのことであるのは間違いなかった。
ただ解決方法は分からなくて、だからってそれを態度に出して、彼を萎縮してしまうことは、間違いなく悪い。
わたしが悪いのだ。
ざり、じゃり、と、足音。
見るまでもなくファレンが近付いてくるのが分かった。ただやっぱり、すぐに振り向くのは嫌なので、その足音がわたしの近くで止まるのを待つ。
沈黙。
「あ「なに?」
振り向く。ファレンが何か言いかけていたのに、わたしの問うような、応じるような言葉で追い返してしまった。
彼はぎくりとした顔で、手を組み、結局何も言わず、わたしの向かいの椅子に腰を降ろした。
沈黙。
わたしもファレンも、あまりおしゃべりな方ではないから、二人で並んで座って特に何も話さない、ということは、そんなに珍しくない。
だけれど今日の沈黙に、普段の心地良さはなかった。
苦しくて、口を開けて息を吸いたいのに、そのために空気を吐くことができなかった。
ただ。
「あのな」
そういう時はだいたいファレンが、滞った空を動かす風を吹かせてくれる。
「この前の……ええとだな。お前が調べてくれたのを、役に立たないみたいに言った件は、もう謝ったろ」
「……そうだね」
相槌は、自然に打てる。歩くように。
「アレは本当に悪かったと思ってる。何もできない俺の代わりに色々気を回してくれて、まあ結果は……いや、ええと……」
沈黙。
話の流れから、『役には立たなかったけど』ということを言おうとして、それでわたしの機嫌を損ねないかを考えているんだろう。
実際に口にする前に止められたんだから、それはいい。
「……ともかく、悪かった! んだけどさ」
「うん」
「一応、俺、謝っただろ。なのにお前は、ずっと機嫌が悪いまんまだ」
「……だね」
そういうことを正面切って言うのはどうなの、と思いはするが、それもいい。
ファレンの態度を採点したいわけじゃない。わたしたちは、テーブルを挟んで同じイスに座っているんだから。
「正直、やりづらいし。なんでかって思ったんだけど……多分、あれだよな」
組まれた指が波打つ。
「『ここ』のことで怒ってるんだよな?」
組んでいた手が解かれ、白いティーテーブルを指していた。
「いや、ここってその……アレだろ? すごく親しい友だち同士とか、特別な男女とか、そういうので使う所だったんだな」
「そうだね」
「おかしいと思ったんだ。秘密の話をするなら、もっとしっかりした部屋とかのほうが良いだろって。そもそもそういうのじゃなかったんだよな」
その指先が、丸いテーブルのふちをなぞる。
これといった特徴のない、凡庸な手だと思う。アルギアに乗れば東方部隊最強でも、ファレンという人はこうなのだ。
「でなあ。結構ここ使う連中もいるんだって?」
「いるよ。別に、恋愛ばっかりじゃないけど」
「俺、俺ら……ラーヴェにそういうのあるってマジで思ってなくて。ずっと何かの比喩だと思ってたんだよ、それ。マジだったんだな……」
あんまり神妙な表情のファレンに、思わず笑いそうになってしまう。
アルギアに乗っている時の強気ぶりを思うと、本当に別人みたいだ。
「……だから、お前もあんまり、良い気分じゃなかったよな」
「良い気分じゃない、って?」
「だって俺ら、そうじゃないだろ? なのにここに呼びつけたりして」
わたしは少しだけ考えて、そっと返事をする。
「少しびっくりしただけだよ」
「でもやっぱりそういうの、大事なんだろ。そうじゃなかったらお前の不機嫌に説明がつかない」
そうなんだろうか。どうなんだろうか?
わたしが考えていると、ファレンはすがるような顔になった。
「っていうか、そう……そうであってくれ! もうそれ以外にお前がトゲトゲしてる理由が思いつかないんだ! で、そこを謝らせてくれ……!」
はあ、と、肺から空気がこぼれ落ちる。
ばかばかしい気分になってしまった。
こんなに仕方のないひとに、わたしが機嫌を損ねてぎくしゃくし続けるなんて、不毛すぎる。
本当に、わたしが悪いみたいじゃないか。
事実として、わたしもどうすれば良いのか、ずっと悩み続けている。
ここを収めどころにしよう。
「ファレン」
「あ、ああ」
「謝らなくていいから、一個覚えておいて。『バンレイシ』」
「バン……なんて?」
「バン、レイ、シ」
噛んで含めるように言う。
「香油の名前。あの日、ティルチェから借りて使ってたの。ファレンが変な匂いって言ったやつ」
「……言ったっけ」
「え?」
「あっいや、言った言った! バン、バンレイシだな! バンレイシ!」
「それだけ覚えててくれればいい」
わたしは言う。目の前のファレンと、わたし自身に。
「それを覚えていれば、全部反省したってことにするから」
「分かった。分かった。忘れない。バンレイシだな、バンレイシ……!」
バンレイシ、バンレイシと繰り返すファレン。
わたしが悪いのだ。
本気で怒っているわけでもないのに、なんだか腹を立てて、トゲトゲして。
だからわたしは、ファレンがバンレイシの名前を覚えていてくれれば許すと、今決めた。
それでいい、それで決まりだ。ムッとするわたしの中の不機嫌は、そのルールで黙っていてもらう。
(……謝らなきゃ)
そうすると、自然にそういう気持ちになる。
アルギアでの出撃中はそういう感情もなく完璧に仕事をこなしたつもりだが、だからってわたしの態度が許されるわけじゃない。
ここで一つ頭を下げて、この数日の色々を、綺麗に水で流そう。
「あのね、ファレン……」
「じゃ、次の話なんだが」
出鼻を挫かれる。
え、と言いかけたわたしに背を向けて、ファレンは手を振る。
「待たせて悪い。来てくれ、エリオット!」
「え」
もう一度、ぽかんと開いた顎からそんな音が漏れる。
はたしてファレンの呼んだ通り、建物の影からおずおずとエリオットの長身が姿を表した。
「悪い、レミア」
とんでもなく気まずそうな顔で。
「この野郎、俺が思ってる以上にデリカシーないかもしれん」