13.星の下、二人の秘密
集樹東33号焼却戦が始動する、数日前のこと。
東方アルギア部隊基地の農園。
その片隅の軒下に、白いティーテーブルと2台のチェアが置かれることがある。
打ち捨てられていたのをティルチェを始め何人かの操士の要望で購買所員が直してくれたものだ。
普段それらは物置に大事にしまわれていて、特別なときにしか出されない。
それを出すには、女子操士や若い女性基地員の間で管理される予約簿に名前を書く必要がある。
使用するのは、二人限定。その用途も、二人きりの秘密のおしゃべり限定。
誰が呼んだか、星見席。もしくはアルビュー、アルヴとも。
わたしはその夜、ファレンに呼ばれてそこに行き、サムエルの告発を聞かされた。
スコアシートの一番上を飾る名前、ゼファー・マクシミリアンが本当は存在しないのではないか。
大人たちは何か重大な嘘をついているのではないか。
サムエルは転属ではなく、大人たちに消されるのではないか。
理由は分からない。根拠は『スコアシートを見れば分かる』だけ。
「…………」
なんと。
なんとわたしは相槌を打ちながら、最後の最後まで邪魔することなく、ファレンの言葉を聞いてあげたのだ。
口惜しい。ここが秘密の場でなければ、きっとみんな褒めてくれるのに。
喋ることを喋りきり、さっぱりとした顔のファレンを見てそう思う。
「……ところで、その髪のこれ、なんだ?」
ファレンが自分の頭、わたしがヘアピンを差した辺りを触りながら言う。
「お前、寝る前そんなの着けてるのか。なんか妙な匂いもする気がするし……」
「5秒待って」
「え?」
ファレンが聞き返すのを無視し、じっと目を閉じて考える。
わたしが悪いのか?
この星見席に呼ばれたから、何か特別な夜になるんじゃないかと想像したわたしが?
このファレンに、今までそんな素振りを一切見せなかった彼に、そんな展開を想定したわたしが?
アルギアに乗っていない間はエリオットと騒ぐか教本を読むか運動するかしかないファレンに、そんな展開を予想したわたしが?
リサから誕生日に貰った、小さな翡翠が可愛い金の髪飾りを引き出しの奥から取り出して、ティルチェに夜のための香油を使わせてもらったわたしが?
ファレンは気付いていないけど、いつか必要になった時のために購買所で買っておいた清楚可愛いワンピースなんて着てしまっている、わたしが?
(………………わたしが、悪い)
結論付ける。
なるほど、確かにファレンが口にしたことは『秘密』だ。
わたしもここ数日、アルギアの思考リンクで、ファレンが何か抱え込んでいることには気付いていた。ファレンも、わたしが気付いていることに、気付いた。
『秘密』を知られるにしても、思考リンクで流されるがままでなく、自分の意志で話そうと決めたのだろう。
だけどそれを話すなら、誰にも知られないところで、じっくり二人きりで話さなければいけない。
基地内にそういう場所は意外と少ない。いや、なくはないのだけど、ファレンは知らないはずだ。
そこで多分、いつかどこかで小耳に挟んだ『秘密のおしゃべり』をするための場所のことを、思い出した。
なるほどそれは都合が良いと、ファレンは段取り通りにそこを予約し、わたしを呼んだ――
(わたしが悪い)
ファレンに何か、この星見席にふさわしい、秘密で特別な何かを期待したわたしが、悪い。
間違いなくわたしが悪い。
わたしが悪いけれど。
(――納得できない――!!)
「……眠いのか?」
ファレンが恐る恐る訊ねてくる。
「とりあえず大事な所は聞いてもらったし、あとは出撃の間にアルギアの中ででも……」
「いい」
わたしは短く返して、ヘアピンを外す。
少なくともこの場にはいらないものだ。本当は服だって、柄も飾りもない支給私服に替えてしまいたかった。
でもそこまでやったって、香水の気配をつまんで捨てることはできないから、やめた。
「納得できないけど」
「え?」
「納得できないけど、わかるから、いい」
「俺はまったく分からないんだが……」
「いいよ」
ファレンは困った表情をしていた。
溜飲が下がる。こういうのは悪い子の感覚だと思うが、今日くらいはいいだろう。
「……やっぱりサムエルの考えすぎだと思う」
それから、わたしは結論を口にした。
「だって意味が分からない。全然。ゼファーが嘘だとしたら、みんなを救った『英雄』は誰?」
「…………だよな」
「サムエルは、思慮深いのが良いところだったけど。何かを疑ったり、考えすぎたりすることも多かった」
「今回も結局、それか」
手を組んで俯いて、視線を落としている。目を細め、眉間には浅く皺が寄って。
(納得しようとして、納得の行っていない顔だ)
不器用な彼は、しばしばそういう顔をした。
「本当だとしたら……どうしたいの?」
彼の考えを整えるために、問う。
「サムエルの言っていることが本当なら……それをばらす? 大人たちがついてる嘘を、みんなに?」
「……分からない」
「分かんないの?」
ファレンがわたしを見た。
「そりゃ良い思い出ばかりじゃない。怒られて、叩かれて、戦いに放り込まれて、大人は安全な所で俺たちの背中を眺めてるだけ」
「そうだね」
「昨日隣で誰かが死んでも、忘れて戦えと言われたことだってあった。……あったけど」
視線を落とす。指が落ち着きなく揺れる。じっと何かを思い出しながら、がんばって考えているファレンだ。
「水や食料を準備して、部屋を掃除して、アルギアを点検して、予備装甲を取り付けて、作戦を考えて、アルギアもないのに前線に出て命を張って……」
「投石機を使う時とか、遠征の時とか」
「ああ。大人ってのはそういう奴らだ。いつも俺たちを味方するんじゃないけど、敵じゃない」
リサがくれた文法の本を思い出し、味方は『する』と動詞なのに、敵は名詞なのが面白いな、となんとなく感じた。
「でもサムエルだってそれは分かってるはずだ。あいつは頭が良いから」
「うん」
「その上で、俺にその話をして……俺に知るべきだと言った。……俺も同じ気持ちだ」
ファレンがもう一度、わたしを見る。今度はその目に、迷いはない。
「まずは知りたい。マックス・ゼフに関する嘘があるなら、それを調べたい。その後のことは、その後だ」
「いいと思う」
素直な感想だった。
その結論になるとは、思っていた。ファレンらしい結論だ。ファレンだって、内心ではそうするしかないと思っていたと思う。
どうしたって結論は一つなのに、義務のように迷う。
今回は、大人たちを疑うなんてひどいことだ、という良識に対して、迷ったというアリバイを支払う必要があった。
だからわたしは、迷いの先に進めるように、背中を押してあげる。
(アルギアではいつもファレンの背中側に乗っているんだから、こういう時くらいね)
「……で、さ」
「え?」
ささやかな満足から引き戻されたわたしは、目を疑った。
迷いのない目をしていたファレンが、もう迷った目をしている。
「今回の件……一旦サムエルの言葉を信じる」
「うん」
「信じるとなると、エリオットには話せない。あいつから大人に話が漏れたことは前にもあったし」
実際は隠し事が下手なエリオットにカンの鋭いティルチェが突っ込んで、という流れだとは思うけれど、多分重要なことではないので、黙っておく。
「つまりな……」
「うん」
「嘘を調べる、ってのを、どうやればいいのか、まったくわからないんだが……」