11.サムエル
俺たちの出会いは3年か、4年か、それくらい前のことだ。
アルギアによる対翼樢戦闘のセオリーが確立しきっていなかった頃である。
俺たちは基本的なアルギアの動かし方だけを教え込まれ、実戦で試行錯誤し、偉大なる英雄、マックス・ゼフのように戦果を挙げることを嘱望されていた。
現在49機のアルギアが、まだ100機以上残っていた頃。
最終的にその半数以上のアルギアが戦闘不能となり、その倍以上の操士が死んでいく最中。
その犠牲すら、一般人に対する被害に比べれば些細なものでなかったあの日々。
「力を合わせるべきだ!」
出撃から帰投し、ぐったりと座り込んでいた俺に、エリオットが声をかけてきた。
あの頃の奴は今ほど筋肉質ではなかったが、それでも声の大きさは今と同じだった記憶がある。
俺も当時から、直感と運でそれなりに戦果を残していた。
その一方で、ダウロス統括官にはしばしばそのスタンドプレーを咎められていた。
事情は、今ならば分かる。損耗の大きい時期だったから、それを抑えるための手段を大人たちも必死で模索していたんだろう。
だが当時の俺は、生き残ることに必死な上にさらに努力を求められることに、ただ辟易としていた。
「連携ならしてるだろ」
だからエリオットのその言葉も、俺への苦言かと思い、にべもなく撥ねつけた。
「知ってる!」
しかし、エリオットはこう続けた。
「でももっと協力できるはずなんだ。戦闘の中で、何をどう考えてるのかとか」
「……何をどう、考えてるか?」
「アルギアの動きは人によって全然違ってる。お前は今ここにいる奴らでは一番うまいけど、完璧じゃない……危ない時もある」
当時はまだ、能力査定の評価をアルギア操士に共有する仕組みはなかった。その頃からエリオットは、俺が『東方部隊で一番うまい』ことを見抜いていた。
「一番うまいお前が逃げ損なうと、みんなにとってまずい。お前、マックス・ゼフを目指してるんだよな?」
「そうだけど」
「でもお前はまだ、マックス・ゼフじゃない。完全じゃない。だからもっと……交換するべきなんだ」
「何を?」
「ものの考え方だ。考え方の交換をする。ついて来い! 一人、めちゃくちゃ逃げるのがうまいやつがいる」
あの時エリオットについて行ったのは、半ば奴の勢いに押されてのことだったと思う。
ただそれでも、考え方の交換、という言葉は覚えている。俺が与えるばかりではない。俺も受け取れるのだというのは、大人たちの一方的な説教に比べれば、少しばかり魅力的に思えた。
そして、エリオットに連れられて行った先で、俺は見た。
「痛い痛い痛い痛いやめてやめてやめて!!」
「だからなんで逃げたんですか? あのまま行けば絶対にあと2体は仕留められたのに?」
「だって危なかっ痛い痛い痛い痛いねえやだやだやだ!!」
「だったらそれを伝えて私がそれを攻撃破壊すればいいですよねえ!!」
「でもそれで怪我したらぐぎぎぎぎいぎぎぎぎぐううぅぎぎぎぎ……!!」
黒髪の少女に締め上げられ、逃げられずに悲鳴を上げる細身の少年の姿を。
それがサムエルとの出会いであり、今まで続く関係の始まりだ。
* *
(……あの頃に比べると背が伸びたな)
相変わらず勢いが物足りないシャワーで全身を洗いながら、横目で隣のサムエルを見る。
リサとの大まかな関係性は変わらないが、衝突はほとんどなくなった。
お互い、生存と翼樢の殲滅という大目的は変わらない。何年とすればお互いに良い落とし所を見つけられるものだ。
サムエルが、その山羊のような目を俺に向けた。
「……なんだよ。さっきから」
「いや、最初会った頃に比べれば背が伸びたと思って」
「ファレンもノスタルジーするんだ」
「最後の日くらいはな」
他人に対してあまり積極的に関与しないのは、俺もサムエルも同じだ。
ただ俺が単純に面倒くさがりなのに対し、サムエルの場合は少し根が深い。奴の家族が過去にひどい詐欺に遭い、そのせいで明日も知れない生活を強いられたとかで、根っこが軽く人間不信なのだ。
とはいえ、その猜疑心の強さは観察眼の鋭さにも繋がり、結果としてサムエルとリサの生存に大きく寄与している。
エリオットのような明るく開けた人間関係がなくとも、それが力となって生存できたのなら、操士として考えるならそう悪い顛末でもない、と俺は密かに思っていた。
「俺は憂鬱だよ」
サムエルが漏らす。
「新しい所に行けば、また知らないやつに囲まれる。話しかけてくれと頼んでもないのに話しかけられて、拒むたびに勝手に嫌な思いをされるんだ」
「その辺りはリサが上手くやってくれないのか?」
「あいつは俺が苦しむのを楽しんでる」
「そこまでか?」
「俺が何かに苦しむたびに手帳にチェックマークをつけて、チェックが10個たまるたびにチョコレートを食べるルールを作ってるんだ」
「本当にそこまでか?」
「チェックが3日間増えないと機嫌が悪くなって、チェックをつけるために俺に無理難題をふっかけてくる」
「なあそれ全部マジなのか? お前の被害妄想か?」
返事の代わりにため息を吐き、サムエルはごしごしと頭を擦る。
「ファレンが羨ましい」
「俺だって別に、大して人とは話さないだろ」
「でも話して苦痛ではないだろ? 知らない奴に声かけられて、話して、終わった後に疲れたり死にたくなったりしない」
「それはまあ、普通だろ。普通に話してるぶんには」
「俺は普通未満ってこと。いや、普通未満未満未満くらいかな」
「それって今……こうして話している間も?」
口にしてから、少し怖いことを訊いたな、と思った。一方、サムエルは変わらず草を噛むような顔で言う。
「お前らは別」
「……そか」
俺の内心の安堵にも気付かず、サムエルは続ける。
「嫌だな……中央部隊。中央って偉そうだし……」
「偏見過ぎる。中央なら、東方部隊から転属してるやつはそれなりにいるんじゃないか?」
「そうなんだっけ?」
「ああ。逆に中央から来た奴も多い……北方とか西方は全然ないけど。何なら中央から来たやつから話聞くか? 今からでも遅くはないだろ」
「嫌だよ。最後の日だからって誰かと話すなんて」
「そうは言っても、体力残ってる連中とかはお前を放っておかないと思う」
「リサはともかく、俺も?」
「お前もだよ。精鋭がいなくなるんだから」
「そうか……」
サムエルの呟きに、今までとは違う翳りがあった。
そんなに人と話すのが嫌か、と思ったが、シャワーからぬるい湯の降り注ぐ中俺に向けられたサムエルの顔は、真剣だった。
「エリオットが言ってたやつ」
「ん?」
「リサと、レミアとティルチェに。『三人きりで話せるタイミングは、多分ここが最後』ってここで。……本当だと思うか?」
「え? ああ……まあ、そうなんじゃないか? 出発は明日の昼前だし」
「…………そう」
噛みしめるようにもう一度、そうか、と呟くサムエル。
俺もいつの間にか、自分の体を洗う手が止まっていた。
「……サム?」
「エリオットは良いやつだけど」
シャワーの音に紛れて、その語りは唐突に始まった。
「あいつは『大人』に近すぎる。だからティルチェともども、このことは言わないで欲しい」
いつもより早口で、上ずった声。
どうした、と俺が問う前に、サムエルは核心を口にした。
「ゼファー・マクシミリアンは存在しない」
「…………は?」
「スコアシートをよく見て、考えれば分かる。ただ、問題は……大人たちが、どうしてそんな嘘をついているかだ」
理解できなかった。
サムエルの言っていることが、全く。
それはあまりにも突飛で、有り得ない話だ。
「俺も結局、答えは見つけられなくって……それから、多分アルギアに乗った時の思考リンクで、リサに気付かれた。その情報が大人たちに漏れたから、俺は転属させられるんだと思う……」
「お前、何言って」
「もしかしたら、転属なんて嘘で、消されるのかもしれない。だからファレンには……」
「待てって!」
「ファレンには!!」
制止しようと声を上げた俺の声は、それを更に上回るサムエルの声に制止された。
今までに聞いたこともないような大声。
「ファレンには……本当のことを探し出して欲しい。だってお前は……誰よりゼファーに引っ張られてきたやつだ」
サムエルの語ることがまったく理解できない。
奴の悪癖の被害妄想ではないか、と強く疑う気持ちもあり、こんな重要な妄想を最後の晩に告げることがあるか、という考えもあり。
「多かれ少なかれ、みんなそうだろうけど、お前は誰よりも……ゼファーを目指して、ゼファーに近づけた。そうだろ?」
ただその言葉には、呆然と頷いた。
どれだけ頭がいっぱいいっぱいでも、それは揺るぎなく事実であったから。
「だったら、絶対に、お前は――知らなきゃいけない」
「おおーい!」
エリオットの声に、停止していた意識が急に動き始める。
「虫でも出たか? 大声が聞こえたから……」
入口から、こちらを覗き込んでいた。どやどやと後輩の男子操士も連れている。
「なんでもないよ」
俺の代わりに応じたサムエルが、背後を通り過ぎていく。
「待っ……」
「俺を信じないなら、忘れて良い」
落水の音に紛れ、サムエルはささやく。
「だけど、嘘があるなら……それは暴かれるべきだろ」
「……ファレン?」
サムエルと入れ替わりに、エリオットがのしのしと姿を現す。
「どうした、お前」
「…………い、や」
なんとか返事を返す。エリオットは怪訝な顔をしたが、すぐに興味を失い、俺の隣でシャワーを開いた。
ぬるい雨が振り続け、床から跳ねた無数の飛沫が、辺りを曇らせる。
俺は呆然と、その雨に濡れ続けていた。
11/4 21時更新分はここまでです 11/5以降は1日1話ずつ21時に投稿します