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水棲の契約  作者: 采火
龍江編
5/23

契約の成就

 イシュカが川の氾濫を未然に防ぐと、レントは歩けないくらいにぐったりしてしまった。


 自分じゃ一歩も歩けなくなってしまったレントを、イシュカが抱き上げて村へと戻る。服もあちこち破けてすっかりと泥だらけ。さらには髪までざっくり短くなってしまったレントが見知らぬ青年に抱っこされて現れたのを、村の誰もが驚愕の表情で迎えた。


「レント! 無事か!? 大丈夫か!?」

「ちょっとー、うるさいよ。レント、寝てるでしょ」


 言葉を発するのも億劫だったレントは、イシュカの長い髪を引っぱって、起きてるやいと抗議した。イシュカがきょとんとしてる間にもパズーを筆頭に、レントに何かと目にかけてくれた者たちが集まってくる。


「可哀想に、こんな傷だらけで……!」

「おい、風呂を沸かしてやれ!」

「傷に効く薬草も!」

「あ、あと食べ物を用意してあげて? このままだとレント、お腹すきすぎて死ぬよ? こんながりがりじゃ、気力体力呪力すっからかんで、すーぐ死んじゃうじゃん」


 ばたばたと慌ただしくする村人に、イシュカも口を出しはじめた。パズーがそんなイシュカの肩を叩いて。


「兄ちゃんがレントを助けてくれたのか! ありがとう! ほんっとうに悪運の強い奴だなぁ、お前……っ」


 パズーが涙まじりにそんなことを言うものだから、レントは面食らってしまった。パズーがここまで感極っている理由が分からなくて、戸惑ってしまう。


 そんなパズーが鼻をすすって「うちに来い」と言い出した。


「ん? レントの家?」

「あぁ、そうか。兄ちゃんはレントのことを知らんのか。だが、今のレントにこのことを話すのも酷だ。黙ってうちに来てくれ」

「ふーん……レント、それでいい?」


 レントはこくりと頷く。とにかくレントはもうすぐにでも横になりたかった。それくらい身体はしんどいし、なんだか段々と身体も震えてきて。


「あっ、まずい。熱出てきた」

「なんだって?」

「ほらほら、ぼーっとしないで、早く休ませてやって」

「お、おう」


 それからレントは、川に落ちる前なんかよりもずっと優しく村人たちに看病された。


 泥だらけになっていた身体はきちんと清められて、傷も手当てをしてもらえた。服もお古ではあったけれど、丁寧に繕われたものを与えられ、柔らかい麦の粥を食べさせてもらえた。夜中には高熱になったけれど、誰かがずっとひんやりとした手でレントの額や頬を撫でてくれたから、つらくはなかった。


 浅い眠りを何度か繰り返すうちに、なんとなくその手がイシュカであることに気がついた。一度イシュカの存在に気がつけば、目を瞑っていても彼との繋がりを感じられるようになった。






 三日もすればすっかり熱も下がる。熱にうなされながらも感じたイシュカとの繋がりのことを本人に聞いてみれば、あっけらかんと話してくれた。


「それは契約の繋がりだね。今の僕とレントは呪力が繋がってるんだよ。言ったでしょ、僕らは契約者から呪力をもらって力を行使するって」

「力って……イシュカは今、その力? ってやつを使っているのか?」

「使ってるよー。そもそも僕らがこの世界で呼吸するにも力を使わないといけないし、この姿になるのだってそう」

「どういうことだ?」


 呪力はあっても術者として基礎の基礎すらないレントに、イシュカは丁寧に教えてくれる。


「レントは水の中で呼吸できる?」

「できるわけねーじゃん」

「そういうこと。僕ら幻獣にとってはこの世界は水の中なんだよ。だから呼吸するために力を使ってる」

「はぁ……?」


 水の中から出てきたイシュカの言うことはよく分からない。でもレントが水の中で呼吸するためには不思議な力が必要と言われて、なんとなく理解した。


 ものを知らないレントに、イシュカは自分の知っている色んなことを教えてくれる。


 イシュカの種族は水棲馬ケルピーといって、川に棲む生き物であるとか。


 ケルピーが本来棲んでいる幻種の国(ティル・ナヌグ)には、レントたちが神や幻獣と呼ぶ生き物がたくさん棲んでいるとか。


 稀にその世界とレントたちの住む世界が繋がり、二つの世界の生き物が行き来してしまうとか。


 そういう不思議な世界のことを、たくさん教えてくれる。


 しかもこのイシュカというケルピーはとても社交的で、余所者に手厳しかった村人たちにもすっかりと溶けこんでしまった。ちゃっかりレントの置かれた立場のことも把握したようで、川の氾濫がなくなったのはレントが河神を鎮めたおかげ、という話にしてしまった。


 その話をパズーから聞き、よくやったと手放しで褒められたときが一番居心地が悪かったなんてこと、言うまでもない。


「よけいなこと、すんなよ」

「んー? なにが?」

「なんでもない!」


 ぼそりとこぼしたレントはきょとりとしたイシュカに舌をべぇっと出すと、薄い布団を頭からかぶって寝たふりをする。


 イシュカのおかげで、レントはすっかり村人たちにどう顔を合わせたら良いのかが分からなくなってしまった。パズーなんかは嫁さんと一緒にレントを実の息子のように手厚く世話してくれるし、他の村人たちも見舞いといってなにくれと声をかけていく。いつもなら案山子が立っていても座っていても、気にもかけなかったのに。


 そんなレントを、イシュカは笑って撫でてくれた。軍士のアーヴィンなんかとは違って優しい撫で方。それがさらにレントを照れさせているなんて、イシュカはこれっぽっちも気づいていない。


「イシュカ、レントは起きているか」

「起きてるよー」

「それじゃあ飯にしようか」


 そう言って、パズーが小さな部屋の中に食事を運んでくる。パンと、野菜のスープと、焼いた卵。イシュカによって布団から強制脱出させられたレントは、並べられた食事に目を丸くする。


「ねぇねぇ、パズー。お肉はないの?」

「贅沢言うなよ。もう少し川の水が引けば魚が戻ってくるだろうがなぁ。林の獣もここ数日まったく出てこなくて、どこの家も肉が口にできねぇんだって」

「ざんねーん」


 そう言いながらイシュカはいそいそと食事の皿に手を伸ばした。


「はい、あーん」

「えっ」

「熱も下がったし、そろそろこーゆーご飯も食べれるでしょ? ほら、あーん」


 野菜スープを匙ですくったイシュカがレントの口へと運ぶ。てっきりイシュカが食べるものだと思っていたレントは目を白黒させて。


「お、おれ、そんなぜいたく……」

「贅沢? せっかく作ってくれたものを食べないほうが贅沢でしょ」


 首をひねるイシュカに、レントは視線をさまよわせた。さまよわせた先でパズーが苦笑している。


「レントをそんな風にさせちまったのは、俺たちの責任だな。レント、それはお前への駄賃だよ。お前の食いもんだ。食べてくれ」


 そう言われて、ようやくレントは差し出された匙を口に含む。おずおずと食べたスープはあったかくて、柔らかい。


 もぐもぐと咀嚼したレントを見て、イシュカは満足げだ。


 次に何を食べたいかを聞かれて、白と黄色の何かを指差す。


「これ、なに?」

「なにって、卵だが……」

「たまご……」


 イシュカが食べやすいように卵を小さく切ってくれる。白身と黄身を一緒に、口に運んでくれた。


「……もさもさする」

「こぉら、文句言わない」


 イシュカに軽く叱られながらレントは必死に咀嚼する。


 初めてだった。

 温かい食事に、ずっと食べてみたかった卵。誰かと一緒に食事をすることが。


 ぽろぽろと、大粒の涙を流し始めたレントに、イシュカもパズーもぎょっとする。


「レントっ? 飯がまずかったか!? すまんっ、うちの嫁、あんまり料理うまくなくて……っ」

「ち、ちが……っ」


 とめどなく落ちる涙をしきりにぬぐいながら、レントは嗚咽をこぼす。


「おいしいから……! っ、ちゃんと、おいしいんだ……っ!」


 ぐすぐす泣くレントに、イシュカは食事の手を止めた。嗚咽に震える金色の頭をよしよしと撫でてくる。


「あんまり泣くと、また熱がぶり返しちゃうよー?」

「泣いてっ、ねーしっ」

「はいはい」


 まるで兄弟のような二人の様子に、おろおろとしていたパズーもやにわに腰を落ち着けた。


 それからひとつ、咳払いをして。


「なぁ、レント」

「なん、だよ……っ」

「うちの子にならないか?」


 パズーの言葉に、レントはびっくりして涙が止まった。ぱちくりとまばたきをすれば、パズーは真剣な表情でレントを見ている。


「散々、お前にひどいことをしてきたのは分かってる。でも今回の一件で村人らしい扱いをしてこなかったお前に、この村のことを押しつけたことがどうしても俺の中でしこりになっているんだ。罪滅ぼしにはならないが……もう二度とお前につらい思いをさせたくない。だから、うちの子にならないか?」


 レントは目をまん丸にして、それからイシュカを見上げた。イシュカは金色の瞳を細めて、ただ穏やかに笑っている。


 戸惑うレントに、パズーはへにょりと眉をハの字にさせると頬をかいた。


「まぁ、こんなことを言われても、お前も困るか……だけど俺は本気で思ってる。答えが決まったらいつでも言ってくれ。答えが出るまではうちの家にも居ていいし、飯もちゃんと用意してやる」


 だからそれは全部食うんだぞ、とパズーは言い残し、部屋を出ていってしまう。


 部屋の戸を呆然と見つめるレント。イシュカは野菜スープを匙でぐるりとかき回すと、その中身をすくいあげた。


「ほら、レント。パズーもああ言ってるし、食べちゃいなよ」

「う、うん……」


 弱々しそうに答えるレントに、イシュカは笑う。


「パズー、いいやつじゃない。なんでそんな顔してるの」

「そんな顔って?」

「迷子みたいな顔。いーじゃん。親がいないんでしょ? パズーの子になったら美味しいもの食べほーだい! こんなの二つ返事で良いしかないよね?」


 イシュカの言いたいことはよく分かった。

 パズーの子になれば明日の食事に困らないし、綺麗な服も着られるし、畑の中で寝なくてもいい。それは分かっているし、そういう生活に憧れていた。


 でも。


「……お前はどうするんだよ」

「僕?」

「おれがパズーの子になったら、お前……っ」

「え? レントのそばにいるけど?」


 なにを当たり前なことを? と言わんばかりに首を傾げるイシュカ。レントのほうこそびっくりだ。


「だってお前、村のやつに……」

「あー、たまたまレントを助けた旅人っていうやつ? 別に〜? 旅人が定住しちゃ駄目っていう決まりなんてないでしょ」


 けらけら笑うイシュカにレントが唖然としてると、さらに彼は言葉を続けて。


「契約してるからレントと離れられないとはいえ、ここからあそこの川くらいまでの距離だったら全然離れたことにならないし。もし人として一緒にいるのが駄目なら、川で待ってるしさ」


 そのイシュカの寂しそうな表情を見た瞬間、レントの眦がつり上がった。


「それはダメだ!」

「へ?」

「お前、色んなところに行きたいんだろ! それなのに川ん中にいたらダメだ!」


 レントが興奮して立ち上がる。イシュカを見下ろして、にらみつけた。


「おれも、色んなところに行ってみたい! まだガキだから、無理かもだけど……! でも、おれがお前も連れて行くんだっ!」


 この、瞬間。

 レントとイシュカの目的が完全に一致した。


 レントの灰色だった瞳が青く染めあげられる。

 ぶわりと清廉とした気配が揺らぎ立ち、部屋中に渦巻いた。今まで呪力不足だったせいか、最後の一線で保留にされていた契約の成就が完全に成立したことにイシュカは気がつく。


 レントの瞳の色が変わると同時、イシュカが胎内に取りこんでいたレントの髪が昇華された。本能の中にレントという存在が大きく刻まれる。


 その喜びがイシュカの中に駆け巡る。それに思わず笑ってしまえば。


「わ、笑うなよ!」

「あー、はいはい。レントはほんとーに、お兄さんを喜ばせるのが上手だね〜。あざと〜い」

「なんかそれむかつく!」


 喚くレントにイシュカはへらりと笑うだけ。

 のらりくらりとするイシュカだけど、前足の蹄を打ち鳴らして踊り出したいくらいに嬉しい気持ちだとは言いやしない。


 それでも契約の繋がりのせいか、レントにイシュカがひどく喜んでいることが伝わってきて。


 イシュカの喜びが伝播したレントも、なんだかそわそわと落ち着かなくなってしまった。


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