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第33話 これからの話


 あの惨劇の夜から一日。町は完全に元の活気を取り戻していた。


 私とグレイ、そしてホームから魔力の強い者を連れて来て、一晩で町を元通りにしたのだ。元々破壊魔法や瞬間移動を多用していた私とグレイはほとんど干からびそうになっていたが、住民たちから「ヴルフと一緒に森の奥で取ってきた」と魔力の実を貰いながらどうにか生きて朝を迎えることができた。

 初めは大勢の魔族を前に怪訝な表情を浮かべていた人々も、彼らが本気で家を直し(元はと言えば壊したのはグレイだが)、真剣に治療にあたったことで、態度はかなり軟化していた。


 パーティを台無しにされた貴族諸侯も、人死にがあったというのにその態度は柔らかく、同情的なものだった。

 その背景には、災害が収まるまでのゾーイの気遣いだとか、リンハルト殿下やダニエルからの説得があったからだ。そしてゾーイの話によれば、私が彼らの元を離れた後、正気に戻った衛兵がゾーイたちに矛を向けるのをやめさせたのは、意外にもギルベルト団長だったと言う。


「二百年前の過ちを繰り返す気か?」


 兵たちの前に立ち、その一言でその場を収めたギルベルト団長は、私達が合流するまでの間ずっとゾーイたちに寄り添い、攻撃されないよう守ってくれていたらしい。

 私とグレイが戻った時、ギルベルト団長に対するゾーイの態度は、いつもの猫を被ったそれでも冷笑的なそれでもなく、純粋な敬意を表したそれだった。


「グレイもギルベルトさんの寛容さを見習った方が良いよ。爪の垢分けてもらえば?」

「いやゾーイ殿……今回のグレイ殿の行動は察するに余りある。先に一線を超えたのは我々の方なのだから、この処置は妥当だ」


 ナシュカ様は軟化したギルベルト団長の様子に驚いていたが、魔族嫌いと人間嫌いの二人がこうして心を開き始めている様子は、間違いなくグレイが望んでいた景色の一端だった。


「町を戻してくれたのだろう? 最後に城を直してくれたら、それでいい」

「働かせるねぇ」

「最大限の譲歩だ」

「……ありがとうございます、ギルベルト騎士団長」


 こうして私たちは巨大な城の復興に取りかかった。災害から丸一日が経過し、そろそろと日が昇り始めた頃。私たちはようやく全ての修復を終えることができた。

 過集中と莫大な魔力を使った反動で、私とグレイは城のぴかぴかのタイルの上に倒れ込んだ。


「グレイ……生きていますか……?」

「かろうじて……? いや、どうかな。ちょっと手握ってみて、ちゃんと腕ある?」

「ありますよ」

「本当? もう腕の感覚ないんだけど」

「相当ですね……町を簡単に塵にできるくせに、直すのは苦手なんですか?」


 そう尋ねるとグレイは首を横に振るった。


「違うよ。壊す魔法っていうのは単純で簡単だから、見た目ほど魔力を使わないんだ。でも何かを直すっていうのは、複雑だ。信頼と同じだよ。壊すことより、直したり作ったりする方がずっと難しいんだよ」


 この世にあるほとんどのものはそうなんじゃないかな。

 そう言って静かに笑ったグレイは、どこか満足げだった。窓から射し込む白い朝日に照らされた彼の表情はあまりに穏やかで満たされていて、なんにも未練なんて無いとでも言いたげで──私は思わず彼の手を強く握った。

 消えてしまいそうなこの男を、繋ぎ止めたくて。


「……グレイ、死にませんよね?」

「死なないよ。君が望んでくれたからね」


 グレイは微笑んだ後、目を瞑った。私もだんだん眠くなってきて、ゆっくりと目を閉じた。



 ──十二月のはじめ。最後のパーティの朝、窓の外には初めてこの世界に来た時のような銀世界が広がっていた。一面の雪に日差しが当たって、あまりの眩しさに私は目を閉じた。


「晴れましたねぇ」


 城の一室から窓を覗いた私の隣で、ヴルフはそう言って笑った。

 ヴルフの店は完全に焼け落ちていて、元に戻すことはできなかった。材料があれば記憶を頼りにどうにか復元できるかもしれないとグレイは話したが、この材料というのが中々に厄介で、ヴルフの店の復元にはまだしばらくかかりそうだった。

 店が完成するまでの間、私たちはフリーゼ城の一室を借りることになった。ヴルフは初め、「こんなところに住むなら野宿の方がマシ」と話したが、それでも心置きなく妹に会いに行けるこの環境を案外気に入っているようにも見えた。


「……嬉しいですわ。最後までパーティができたことも、晴れたことも」

「ええ。日頃の行いってやつですかねえ」


 ゲームではこの日の天気は吹雪だった。そしてパーティの終了と共に戦争が起こった。

 でも、きっと今のこの世界では、凄惨な戦争は起こらない。目を焼くような晴れ渡る空を見上げ、私はそう確信していた。この世界ではもう、ナシュカ様が命の選別をする必要などないのだ。


「最後ですから、ヴルフも参加しませんか?」

「……そうですね。来週にはここを発つわけですし、売り尽くしセールでもしましょうか」


 ヴルフはお気に入りのシルクハットを被って笑うと、私に背を向けた。


「ルルベル様も早く準備しないと。ナシュカが待っていますよ」




「ルルベル殿!」


 ホールに降りた私を見つけると、ナシュカ様は目を輝かせて私へと飛び付いた。まるで何年も会っていなかった恋人同士のようだったが、私たちはここ連日寝食を共にしていた。

 それでも今日この日に予定通り揃ってパーティを開催できたことが、何よりも嬉しかったのだ。

 リンハルト殿下がホールの一際高い舞台に上がると、彼は凛々しくも明るい声を響かせた。


「皆様! 本日はお集まりいただき誠に感謝いたします! 先日の災害の復興も終わり、こうしてまたここに集まれたこと、心より嬉しく思う。今日でパーティは終わりとなるが、これからも魔族は皆の、いや、我々人間の隣人としてディグニスに在り続けるだろう」


 復興を機に、フリーゼ領には魔族達が何人か滞在していた。恐る恐る彼らに触れていた人間たちも、今では庭に小さな魔族を招いたり、茶色い猫に混じって白猫が闊歩するのを気にしなくなったりしていた。

 そんな現状をリンハルト殿下が国王に進言したことで、国王も多少は、本当に多少だったけれど、私達に理解を示すようになった。国王は今回の事件を客観的に判断し、グレイに罰を与えはしたものの、それでも魔族のディグニスへの滞在を許した。私たちは、この緑溢れる美しい土地に繋がることを許されたのだった。

 もっとも、ディグニスに暮らす上で魔族にはかなり多くのルールを要求することになったが、それでも良かった。これは人間にとっては限りない譲歩だ。それに今のフリーゼ領の様子を見ていれば、きっといずれは時間が解決するだろう。


 グレイはディグニスに滞在する魔族たちに分厚い本となった魔族用の法律を、四日、五日かけて説いていた。彼の話を聞く群衆の中には、黒髪や茶髪、金髪の魔族の姿もあった。

 ディグニスに住む魔族は気付かれていなかっただけで案外多く、隣人や同居人、果ては家族が魔族だったと初めて知った人間たちもその分多かった。彼らの間には積み重ねられた信頼があった。だから驚きこそすれ、互いに寄り添おうとする姿勢が見られた。

 ……きっと大丈夫だ、人間と魔族は。一緒に暮らしていける。二百年前より昔の時代のように、相手が魔族と知らなずに過ごした日々のように、私たちは人間と、人間は私たちと一緒に暮らしていけるのだ。


 リンハルト殿下の話が終わると、今度はナシュカ様が舞台に上がる。彼女はそこで、これからの騎士団は無差別に魔族を攻撃することはしないと語った。そして刑は死によってではなく、罪状に応じて人間と同じように裁判で決定すると。

 それら全てを話し終わった後、「それから──」と私を見た。彼女は一度舞台を降り、私の手を掴むとまた上がった。


「私は暫しこちらのルルベル殿と国中を回ろうと思う。国を回りながら、魔族と人間が共に暮らせるよう、手助けしていくつもりだ」

「フリーゼ公爵令嬢、大丈夫なんですか? 公爵もいないのに公爵令嬢まで……」

「私が行っていた政務は全て部下に引き継ぎをした。父上の仕事も既に振り分けた。……この土地はいずれ、領主を持たない領になるかもしれないな」


 ナシュカ様が晴れやかにそう言うと、他貴族からは「またまた」「ご結婚なされば大丈夫ですよ」と茶化された。しかしナシュカ様はヴルフによく似た、人をからかうような笑みを浮かべると、私を抱き寄せ──。


 悲鳴とも歓声とも付かない叫び声がホールにこだまする。


 ──口と口が離れていくとナシュカ様は私を見つめ、そして今度は観衆へと目を向けた。


「悪いが、夫を迎える気はないんだ」



 その後はお祭り騒ぎだった。

 ナシュカ様のある種暴挙とも取れる行動により、この場に元々あったルールのようなものが取り払われたのだ。もう何でも有りだった。

 肉を手掴みで食べても良いし、男同士や女同士でダンスを踊っても良い。魔族と人間が屈託無く話したって良いし、ホールのど真ん中で勝手に店を開いたって良い。そうして途中からは、ナシュカ様のお祝いだからと城を解放して外部からも人を招いた。


 私とナシュカ様は貴族の女性達に囲まれて、何故そうなったのか、いつからなのか、馴れ初めはどうだ、もう夜を共にはしたのか、と質問攻めにされていた。女性の輪に入る機会の少なかったナシュカ様は照れてはいたが、どこか嬉しそうだった。

 貴族としてそれはどうなんだと憤慨する声も当然聞かれたが、ナシュカ様は「気に入らないなら身分を剥奪してくれて結構」と笑った。その声に憂いは見られず、ただ幸福な未来を信じる力強さだけがあった。


 私たちが群衆から解放される頃には、既に日が傾いていた。私たち二人はバルコニーへと向かうと、沈んでいく夕日をゆっくりと見送った。


「まさか公にするとは思いませんでしたわ」

「隠し事が苦手なのは知っているだろう? それに後になって暴かれるより、自分で伝えたかったんだ。こんなに歓迎してくれるとは思わなかったがな」

「そうですね……言わないだけで本当はどう思っているかは、分からないですけど」


 ナシュカ様は苦笑いだったが、あの場で宣言するだけの勇気がある人だ。これから先、裏で後ろ指を指されたとしても、受け流していけるだろう。

 それに、これからは彼女の側には私もヴルフもいるのだ。彼女が傷付くことがあればその時は、私たちが寄り添える。いつでも、互いがそう望んだ時に。


「……ねえ、ナシュカ様。私、あなたのためなら死んでもいいって、ずっと本気で思っていましたの」

「物騒な」

「ええ、本当に。……でも今は違いますわ」


 私はバルコニーの柵に背中を預けると、ナシュカ様に向き合った。


「今は、あなたの隣で生きて、苦楽を共にしたいと思っています。あなたの人生を、隣で見届けたいんですの」


 魔族は人間より遥かに長く生きる。ナシュカ様が私を置いていくことはあれど、私がナシュカ様を置いていくことはほぼ無いと言っていいだろう。

 ここに来たばかりの頃は彼女に看取ってもらおうと思っていたが、案外私が看取る側になりそうだ。もっとも、まだ先の、ずっと遠い未来の話だが。


「……それを聞いて安心したよ」

「え?」

「てっきり、私が死んだら後を追うんじゃないかとばかり」

「そ、んなことは……いや、しそうでしたね……ちょっと前の私は」

「ああ、あの頃は危なっかしくて見てられなかった。でも今は……大丈夫そうだな」


 ナシュカ様の手のひらが、私の頬を撫でる。彼女は再び口を重ねると、何度も角度を変えて食むように口付けを繰り返した。

 彼女の口が離れていき、互いにゆっくり目を開ける。ナシュカ様の空色の瞳は、夕日の色が反射して赤みが差していた。


「……私が死んだら、時々思い出してくれるのか?」

「毎日思い出しますわ」

「はは、それなら、できるだけ楽しい思い出を作ろう。私もどうせ思い出してもらえるなら、笑顔を思い出してほしいからな」


 そう言うとナシュカ様はさっそく笑顔を見せた。


 きっと今日のことだって、忘れはしない。彼女が人前で私に口付けたことも、夕陽に照らされた彼女の笑顔も、この問答も。

 私はきっと、これから先の人生でナシュカ様との幸せな日々を何度も思い出すのだろう。


 そして、その幸せな記憶の温もりだけで、遠い未来に訪れる孤独も生きていけるような気がした。


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