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第31話 事変


 最近、街の人たちからの視線が痛い。

 ナシュカ様の失踪に魔族が関わっているとの噂が流れてしまったからだ。

 常連さん達は私たちを信じてくれているが、そうではない人間の方が多い。ほんの一週間前まで笑顔を見せてくれていた人々も、最近は睨んで去っていく。


 私は自分の軽率な行いを反省した。もっと慎重に、誰にも見つからないように行動するべきだった。カウンターに座ってそう溢すと、グレイは首を横に振って「それでもどうせ魔族のせいにされていたよ」と眉を下げた。

 そして、私以上に行動を顧みている人がいた。──ナシュカ様だ。


「父上の言うことを聞いていれば、あなた方を傷付けずに済んだのだろうか」


 とある夜、膝を抱えたナシュカ様はそう話した。いつもは気丈に振る舞う彼女も、流石に罪悪感に押し潰されそうだった。

 ゲームでは、ナシュカ様が公爵の言うことを聞いたところで結局戦争は起こってしまう。だからこうなったのは、ナシュカ様のせいではない。しかしナシュカ様のせいではないと説明しても、彼女は俯くばかりだった。


 そんな状況でも時間はとんとんと流れ、パーティはやってくる。

 私たちはナシュカ様とヴルフ、それからワタとチャッピーを置いてパーティへと赴いた。強い魔族が一人も店にいない状況は、正直不安だ。それでも参加しないと怪しまれるのだから仕方がない。


 私はパーティの間中ずっと店のことばかりが気掛かりで、全然身が入っていなかった。時々グレイが安心させるように私をバルコニーに連れ出しても、それは変わらなかった。リンハルト殿下やダニエルが失踪中のナシュカ様の身を案じるたび、私も一緒に不安になった。

 ナシュカ様にはネックレスを付けてもらっているから、何かあればすぐに分かるけれど……。


 よりにもよって、今日はフリーゼ公爵がまるで監視でもするかのようにホールに鎮座していた。これでは何かあってもすぐに店に戻れない。

 だから私には、どうか何事も起こらないようにと祈ることしかできなかった。


 しかし、悪い予感とは当たるものだ。


 ──ナシュカ様のネックレスから、知らない男の怒鳴り声が響いた。


 見つかってしまったのだ。

 でも、どうして……。チャッピーはゾーイと同じ、物体を隠す魔法を使えるはずだ。そして、私たちはナシュカ様が透明になったのを確認してからパーティに向かった。

 子犬の姿をしていても、チャッピーには人間と同程度の知能がある。彼が勝手に魔法を解除するとは考えにくい。ということはまさか……。


 魔法は、術者が死ねば自動的に解除される。でも、まさか。そんな。


『……グレイ! ゾーイ! ナシュカ様が見つかってしまいましたわ! このままだと連れて行かれます!』

『落ち着いて、ルルベル。君はそのまま経過を追って。後でいくらでも追跡できる』

『でも……』

『今僕たちが動く方がまずいよ。早い馬でも店から城までは二時間はかかる。パーティが終わる方が早いんだ、行動は終わってからでも間に合う』

『…………わかり、ましたわ』


 両耳から流れ込んでくる彼らの言葉に、私は奥歯を噛み締めた。無力だ。ナシュカ様は不安な想いをしているのに。チャッピーの安否をすぐにでも確認したいのに。ワタとヴルフの無事を、確かめたいのに。

 私はこの場から動けない。

 ナシュカ様のネックレスから聞こえてくる声を、景色を、追うことしかできなかった。


「どうされました?」


 魔力越しの声ではない肉声に、一瞬反応が遅れた。

 はっとして振り返ると、そこには髭を蓄えた金髪の壮年……フリーゼ公爵が立っていた。


「お顔色が優れないようですが」

「いえ……少しお酒に酔ってしまって……」

「それなら医務室で休むと良いでしょう。どうぞこちらへ」

「い、いえ……っ、座って休めばすぐに治りますわ」

「遠慮なさらず。客人に無理をさせるわけにはいきません」


 公爵は大きく厚い掌で私の背中を押すと、歩くように促した。物腰は柔らかいのに有無を言わせない迫力がある。


 ……怖い。


 促されるままに歩き、医務室だと言われたその部屋は、まるで物置のようだった。まずい。頭の中で警報が鳴り響く。


「あの……っ」

「そういえば」


 私の言葉を遮るように、公爵は語気を強めて私の右耳にはまった黒い石に触れた。公爵はそのまま力を強めると、ぱきりと石を割ってしまった。

 もう片耳も掴まれると、同じように耳ごと捩じ切られるような勢いで押し潰された。


「やめ……」

「魔族の方は、魔力を宝石のように偽装して、会話ができるそうですね」

「……っ」

「娘は失踪前、黒いネックレスをしていました────貴様が拐かしたのだろう」


 否定する間も無く、腰の剣を抜かれていた。そしてその剣には黒い霧が付着しており、私はそれを見て初めて自分の右腕が無くなっていることに気が付いた。

 遅れてやってきた痛覚に叫ぶが、蹴り倒されて腹這いになったせいで叫び声すら上手く出せない。痛覚を遮断するために呪文を唱えようとすると、公爵は私の背中を踏みつけ、首筋に剣を突き付けた。


「店が燃える音は聞いたか?」

「な、にを……言って……」

「聞こえていたのだろう? 八時きっかりに様子が変わったのは、貴様だけだった」


 襲撃時間をぴったりにすることで、盗聴器を持っている人物を炙り出したのか。


「あんな店、もっと早くにこうするべきだった。他の奴は死んだろうな」

「なんとも……思わないんですの……っ?」

「何が」

「人を殺すことも、娘の自由を奪うことも……!」

「魔族には分からん」


 冷たい剣が、私の首筋に入り込む。


 "コール"。そう叫ぶより早く、公爵の剣が私の首を斬り落とした。



 …………はずだ。その、はずなのに。私は生きていた。見れば、右腕も元に戻っている。

 自由になった身体を起こすと、ドレスにべったりと赤い血が付着しているのが目に入った。


「え……?」

「ごめんね、ルルベル」


 声のする方を見上げれば、そこには銀髪を赤く染めたグレイが立っていた。そしてその足元には、血塗れで倒れ伏した公爵。


「し、死ん……?」

「もう死んでいるよ。だから、治す必要はない」


 生きていても治す必要なんてないけどね。

 そう言うと、グレイは公爵の遺体を踏み付けた。


「な、なんで……」

「なんで? おかしなことを聞くね。大切な人を護りたいって、そんなに変なことじゃないはずだよ?」

「で、でも……人を殺したら……もう、共存は……」

「……うん、そうだね。ごめんねルルベル」


 グレイは悲しそうに笑うと、壊れた扉の方を向いて指差した。その一瞬後、衛兵達がなだれ込み始めた。


「フリーゼ公爵! ご無事……ひっ!」

「お勤めご苦労様」


 先頭にいた衛兵と、その後ろに列になっていた数人が、グレイの魔法で纏めて弾け飛ぶ。廊下へと一歩踏み出したグレイを邪魔する者は、いなかった。グレイを中心にして道を開け始めた衛兵たちは、皆怯えきっていた。

 私も恐る恐る廊下に顔を出すと、そこには既に死体の山が出来上がっていた。グレイはきっと、この部屋に来るまでに……衛兵を殺す他無かったのだろう。


「死にたくないなら退いて」

「ひっ……ひぃ……」

「ぐ、グレイ……」

「ねえ、ルルベル。……人間と共存なんて、やっぱり俺には無理みたいだ」

「そんな……い、いい人たちだって、たくさんいますわ」

「……そうだね。でも、一度殺人を犯せば、当然彼らは俺を許さない。俺は、もう許されないんだよ」


 グレイは私の左耳に触れると、再び小さなピアスを付けた。そのまま、声には出さずに魔力越しに言葉が送られてくる。


『でも君は違う。君はまだ許される。俺を殺して、君は英雄になるんだ』

「え……?」

「じゃあね、ルルベル」


 それだけ言って、グレイはこの場から消えた。


 直後、爆発音が響いて城全体が揺れた。


『早く逃げないと、城が潰れるよ』

「なっ……」


 衛兵は皆怯えたままだ。私が彼らを振り向くと、再びびくりと震えた。指一本で複数人を同時に殺せるような相手を、間近で見たばかりなのだ。しかし彼らには、彼らにしかできない仕事がある。


「……っ、お願いしますわ! 城にいる全員に避難誘導を!」


 怯えていた衛兵たちは未だ困惑から抜け切れていないが、それでも皆声を上げて避難を促した。

 彼らの去っていく背中を見て、私は左に触れた。私も、私のやるべきことをやらなければ。


『グレイ! 今どこにいるんですか!』

『城の上。君がみんなを逃すまで、潰すのを待っててあげるよ』

『やめてください!』

『どうして。どうせ許されないのに』


 グレイの声は、もはや何もかもを諦めたように冷めきっていた。


『それよりルルベル、ちゃんと人間達を導かないと。君まで疑われちゃうよ』

『……っ!』

『……本気になってくれないなら、君の好きなナシュカ様も殺してみようか? そうすれば、少しはやる気も出るでしょ』


 その言葉に、耳を疑った。

 私がナシュカ様を好きなように、彼だってナシュカ様や人間に対して、それなりの情を持っているものだと思っていたからだ。それを、目的のためならこんなに簡単に切り捨ててしまうなんて。


『やめてください……』

『やめないよ。君が、俺を殺すまでね』


 それきりグレイは何も言わなかった。何度言葉を送っても何も返事は無く、城の上に転移してみても、そこには誰も居なかった。

 私は場内に戻ると、その場にいた全員を他の四人の魔族と協力して城から少し離れた草原まで逃した。草原からは、崩壊していく城がよく見えた。


「ちょっとルルベル、どこに行こうとしてるの!」


 人々の輪から外れて一人森の奥に行こうとしていた私を、ゾーイが追いかける。


「いつの間にかグレイのピアスは無くなってるし、お前とは連絡付かないと思ったら……どうなってるんだよ!」


 あの小部屋での出来事とここに至るまでの経緯を話すと、ゾーイは「意味わかんない……」と脱力した。


「それで……お前、殺すの? グレイのこと……」

「殺したくない、ですわ……でも……まずは会って話をしないと。他の人達のこと、ゾーイに任せてもいいですか……?」

「……あぁ、もう! あんたらほんっとうに意味分かんない! さっさとあのバカどうにかしてきて! この中で一番強いの、お前なんだから!」


 私がその言葉に頷くと、ゾーイは人々の輪の中に戻っていく。人々は魔族であるゾーイに罵倒をぶつけるようなことはせず、聞こえてくるのはただただ感謝と困惑だけだった。

 これなら、きっとここは大丈夫だ。


 私は目を瞑り、次の目的地へと飛び立った。

 次に目を開けた時には、ヴルフの店の前だった。轟々と燃え盛る店は、所々崩れ落ちてしまっている。玄関扉を開けても、溶けたベルはもう音を立てなかった。


「グッドマンさん! チャッピー! ワタ! いたら返事してください!」


 そう広くない店内には既に火の手が回りきっており、魔族でなければとても平気でいられるような状態ではなかった。

 一階には誰もおらず、階段は焼け落ちているから浮遊して二階に上がるも、やはりそこには誰もいない。


 死体もない。でも私は、チャッピーとワタの核が何かを知らない。もしかしたら床に散らばった調度品やコイン、炭になった花や本のどれかが、遺体なのかもしれない。いや、でもヴルフが二人を置いて行くはずない。

 誰の遺体も、ここにはない。きっとみんなで無事に逃げてくれたのだろう。

 それはほとんどそうであってほしいという祈りだった。私は来た道を戻って、崩れ落ちていく店の外に転がり出た。数ヶ月といえど思い出深かったヴルフの店は、私にとっての第二の家は、もう、無い。無くなってしまった。


「うぅ……っ」


 泣いている場合ではないのに、思わず涙が出る。鼻を啜り、息を整える。

 すると、森の中から微かに私を呼ぶ声が聞こえてきた。


「──様! ルルベル様……!」

「…………グッドマン、さん」


 傷を負った煤だらけのヴルフが、腕の力だけで這うようにして私へと近付いた。


「ルルベル様、ナシュカが……っ!」

「それよりまず治療いたしますわ!」


 彼の両足は折れていた。

 治療しながら彼の話を聞くに、突然衛兵が押しかけてきて、吠えたチャッピーを殺した後、ナシュカ様を連れ去っていったらしい。ヴルフはナシュカ様を取り返そうと衛兵と戦ったらしいが、屈強揃いのフリーゼ家の衛兵にはまるで歯が立たず、脚を折られて家に火を付けられたのだと話した。


「……ワタが、自分を森まで魔法で移動させてくれたのです」

「えっ……でもあの子にはそんな魔力は」

「ええ。ですから……これが、ワタの遺品です」


 ロージーと同じ末路を辿ったらしいワタは、ヴルフの手のひらの上で透明で綺麗な石になっていた。ヴルフは、チャッピーの遺品までは回収できなかったと悔やみ、私に頭を下げた。彼が頭を下げる理由など、一つもないのに。


「お力になれず、すみません……っ。あなたの大切な仲間を守れず……」

「……あなたが謝ることではありませんわ。……二人には、後でお墓を作りましょう」

「ええ。それから……ナシュカは、まだ無事でいますか?」


 彼の問いに、私は頷いた。

 ナシュカ様のネックレスからは、彼女の元気の良い声こそ聞こえないものの、口を縛られているような呻き声は聞こえていた。


「大丈夫です。……ナシュカ様は必ず無事で連れ帰りますわ」

「……頼りきりですみません。そうだ、他の方たちは……」

「実はこっちでも色々あって……今は一緒にいませんけど、でも後で必ず揃ってここに戻ると誓いますわ」


 少し離れた場所で、爆発音と地響きがする。泣いている場合ではない。私は涙を拭くと、次の場所へと飛んだ。


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