第27話 白猫のロージー
あのパーティでの告白以来、ナシュカ様はヴルフの店に寄らなくなった。理由は不明。
せっかく恋人……になれたのに、なんで今までより来なくなってしまったんだろう。私は最近盛況となってきた診療サービスをこなしながら内心ため息を吐いていた。
「ルルベル様、あの子の様子はどうですか?」
しかしナシュカ様が店に来なくなったことで悶々としているのは、私だけではなかったらしい。
客がはけた頃合いを見計らって、ヴルフは私にお茶を出した。
「ありがとうございます、グッドマンさん。ナシュカ様は相変わらずお忙しそうですわ。最近来なくなった理由までは分からないですけど……あっ、でももしかしたら冷房が必要無くなったから来なくなったのかも……」
「寂しいですか?」
「……はい。少し」
「自分もです」
ヴルフは温かな紅茶を啜ると、ほ、と息を吐いた。
「明日のパーティーは昼間開催ですし、また顔でも見に行きましょうかね」
そうか、明日は昼間開催……中庭か。
前回は夜の室内だったから密会ができたけど、明日はちょっと難しそうだ。ヴルフは鋭いところがあるから、気を付けないと関係がバレそうで怖いな。
しかし私ももうルルベルの演技を初めてはや五ヶ月。演技力にはだいぶ自信が付いた。ナシュカ様の前で挙動不審になっていたあの頃とは違う。今ならヴルフの目だって欺ける! ……と思いたい。
*
そして十回目のパーティ当日。
天気は快晴。十月下旬の気候は穏やかで心地良い。今までは薄手のドレスだった人々も、少し厚手のものに切り替わっていたり羽織ものを着ている人が増えていた。
私もその一人で、いつもの菫色のドレスの上に紺色の薄い羽織りを纏っていた。
各々衣替えを行う中、ナシュカ様は──。
「あっ……る、ルルベル殿……っ、久しぶりだな」
初めて会った時と同じ青のドレス。そして、何故かいつもと違うハーフアップに青い花を刺していた。
「えっ! 髪型……どうされたんですの? すっごく可愛いですわ……!」
「本当か? それなら良かった」
ナシュカ様は照れ臭そうに笑うと、「実はな」と声を顰めて私に耳打ちした。
「ルルベル殿にそう言ってもらいたくて、メイドに無理を言ったんだ」
「えっ……可愛い……」
なんでこんなに可愛いんだこの人……。というか、めちゃくちゃ浮かれてるな。でも浮かれてるナシュカ様……可愛い……。
「メイドさんも何か言ってませんでしたか?」
「ふふ、綺麗だと言われた」
「ナシュカ様……でもそんな急におめかししたら疑われてしまいますわ……」
そう言われて、ナシュカ様はハッとしたように辺りを見渡した。そして視線の先にヴルフとグレイを見つけると一歩後ろに下がった。
「……そうだった。気を付けないとな」
「あの、もしかして最近店に来ないのって……」
「ああ。あの二人……特にヴルフは勘が良いからな。プライベートで会ったりしたら絶対にボロが出る」
「もう出かけてますけど……」
でもちょっとポンコツなナシュカ様も可愛い。ゲームではこんなポンコツな一面見せたこと無かったせいか、私は今ギャップ萌えというものを実感していた。
「少し離れておくか……」
「いつも一緒にいるのに急に離れたら逆に怪しいですわよ」
「それもそう、だな……じゃあ、このくらいで……」
ナシュカ様はぎくしゃくしながら私と人一人分ほどの距離を空けた。心の距離は縮まっているはずなのに、物理的には若干遠ざかってしまった。
そのせいか、すれ違ったダニエルから「……あの後喧嘩でもしたんですか?」と怪訝な目を向けられる羽目になった。
*
「やあやあ、フリーゼ公爵令嬢様。お久しぶりですね。ルルベル様が寂しがっておいででしたよ」
「えっ!」
ああ……ナシュカ様すっごい嬉しそうな顔してる。ダメですよそんな分かりやすい顔しちゃ……! いつもみたいに「そうか」って微笑むくらいに留めてください……!
しかしナシュカ様には魔力経由の便利な通信機能など無い。私の気持ちは伝わらないまま、ナシュカ様はブンブンと目に見えない尻尾を振っていた。
絶対にバレる……!
そもそもナシュカ様は嘘が得意ではない。そのことを完全に失念していた。もちろん社交においての最低限の嘘や隠し事は問題無いが、彼女は楽しい気持ちを隠すという経験をほとんどしたことがないのだ。
しかしバレて困るのは私よりナシュカ様だ。ここは上手くフォローしなくては。
「そうですわね。でももう冷房も必要ない季節になりましたし……店と城を往復するのも結構大変ですものね」
「え、いや……あ、うむ。そうだな……最近は涼しくなってきたから」
一瞬「いや」って言っちゃった……。
ヴルフは人の感情の機微に恐ろしく鋭い。今の問答だけで気付かれた可能性もゼロでは無い。不幸中の幸いは、ヴルフは貴族ではないからバレたとしてもギリギリ問題が発生しないという点だろうか。彼ならナシュカ様に汚名を着せることもないだろうし……。
「でも雪が降ったらいよいよ往復が難しくなるんですから、今のうちにたくさん遊びに来てください」
「一理あるな……」
確かに一理あるけど流されないでくださいナシュカ様……!
「ナシュカ様が来てくれるとルルベル様も喜ぶと思うのですが……ねえ?」
ヴルフは私に同意を促すように笑顔を向けた。……ここで変に否定するのも逆に怪しいか。
「そうですわね。ナシュカ様の時間の都合が付けば……時々遊びに来てくれると嬉しいですわ」
「……時間を作っておく」
そう言ったナシュカ様は、幸せそうな顔をしていた。これはきっと「行けたら行く」のような曖昧なニュアンスではなく「行けるよう努力する」だ。
完敗だった。きっとナシュカ様は来週か再来週にはひょっこり店に現れることだろう。
そしてその予想は当たった。
パーティから五日後。晴れた日の夕方、ナシュカ様はいつもの黒馬でヴルフの店にやってきた。いつもより、少しだけ緊張したような面持ちで。
私たちは共に夕食を食べ終えた後、珍しく外に出た。
「腹ごなしに少し散歩に行こう。今日は星も綺麗だから」
ナシュカ様はそう言って私を連れ出したが、これは部屋にいるとボロが出た時に見つかるからという彼女なりの配慮だったのかもしれない。
「夜に外を出歩くなんて初めてですわ」
「そうなのか?」
「はい。……夜道で魔族と遭遇したら、きっと人間の皆さんは怖がるだろうと思って」
「……なるほど」
昼間ですら遠巻きにされるのだから、夜道でなんて人間側からすれば絶対に出会いたくないだろう。私だって昼に遭遇する熊より夜に遭遇する熊の方が怖い。人間からすればそんなものであった。
「……私は討伐の要請があれば夜でも出動するんだが、確かに夜の道というのは少し不安になる。目が効かないからな。……そういえば、魔族は夜目が効くのか?」
「いえ、私たちも夜は目が効かないんですのよ。魔法を使えば昼間のように見ることも可能かもしれませんけど……でも、そうしたらこの星空もよく見えなくなってしまうと思うと少しもったいないですわね」
上を見上げれば、満天の星空がきらきらと輝いている。街灯も無く人っ子一人居ない夜道は確かに恐ろしいが、好きな人とこうして空を眺める時間は何にも変え難いものだろう。
「それにもし不審者や魔族が現れたって大丈夫ですわ。私だってグレイから色々魔法を教わっているんですもの」
「頼もしいな、ルルベル殿は。でも……前にも言ったが無理はしないでくれ。魔法の使いすぎは危険だ」
「……あの、ナシュカ様。それは、童話のロージーと重ねているんですの?」
"白猫のロージー"。
人間に拾われた魔族の猫の話だ。人間からいじめられていたロージーは一人の優しい人間に拾われる。その人間に恩義を感じた小さな白猫は、自分の魔力を全て使って彼に様々な幸福をもたらし……最後には一輪の花を残して消えていく。ロージーを失ったその男は嘆き悲しむが、その花が萎れるまで花瓶に入れて毎日眺めたという。
ナシュカ様のお気に入りの一冊だと言うし、彼女がやたらと私の魔力量について気にするのはこの本を読んだためだろう。
「読み終わったのか……」
「ええ。ちょうど先日」
「……どうだった?」
「……? 綺麗な愛の話だと思いましたわ。不吉の象徴の白猫が命懸けで一人の人を幸せにするなんて──」
「ルルベル殿」
隣を歩いていたナシュカ様がぴたりと立ち止まる。一歩先に進んでいた私は、後ろを振り返った。
「あれは綺麗な話なんかじゃない」
その声には怒りが込もっていた。眉を寄せ、空色の瞳は細まっていく。
「迫害を受け入れるな。そして……優しい人間に出会ったからといって、恩など感じなくて良い。本来は、皆がそうあるべきなんだ」
「ナシュカ様……?」
「……ルルベル殿はロージーに似ている。あなたは……人間のために何でも与えすぎだ。我々には、そこまでされる価値はない」
「ありますわ!」
一歩、歩み寄ってそう言うも、ナシュカ様はじ、とこちらを見つめるだけだった。
「……ありますわ」
「無いよ、ルルベル殿。無いんだ。あなたの命を懸けるほどのものは」
「私一人の命で他の人を、ナシュカ様を幸せにできるなら、それだけでお釣りが来ますわ」
だって私は一回死んでいる。
これはただの神の気まぐれで与えられたボーナスステージのようなものだ。私一人が死んで他が助かるなら、何もマイナスが無い。ゼロがプラスになるだけだ。……ルルベルには、悪いけど。
「……そうか、よく分かった。ルルベル殿は猫の視点で世界を見ているんだな」
「ナシュ……っ、ん、んん゛っ……!」
ナシュカ様は突然両手で私の頬を掴むと、強引に上向かせて口付けた。この前と違って、許可なんてものは取らずに。
両頬は抑えられているし、踵は浮いていて逃げられない。私は数十秒と思われるその口付けからようやく解放されると、力が抜けて地面に尻もちを付いた、
「ルルベル殿」
視線を合わせるようにしゃがみ込んだナシュカ様は、眉を下げて呟いた。
「残された人間のことも、考えてくれ。私は花瓶に花を活ける趣味なんてないぞ……」
今にも泣きそうな顔だった。
ナシュカ様は、本気で言っているのだ。本気で、私に死んでほしくないと言ってくれている。優しい人だ。本当に。だから私も好きになったのだろう。
ナシュカ様は私を抱きしめると、鼻を啜った。もしかすると泣いているのかもしれない。
……こんなにも自分を想ってくれる人がいるなんて、私は幸せ者だ。
ナシュカ様の背に腕を回すと、彼女は一瞬肩を跳ねさせた後「酷いことをしてすまなかった」と細い声で囁いた。彼女の言う酷いこととは、たぶん先ほどのキスのことだろう。
驚いたけれど別に嫌ではなかったし、それにきっと……本当に酷いことをしているのは私の方なんだと思う。
ごめんなさい、ナシュカ様。私ちょっとだけ、あなたが私の花を飾ってくれたら嬉しいなんて、思ってしまっているんです。




