第26.5話 グレイとルルベル
俺はただ、話し相手が欲しかったのかもしれない。
日常の細やかな出来事を、くだらない悩みを、話せる誰かが欲しかった。俺を恐れず、敬わず、それでいて、ずっと俺と一緒にいてくれる人が欲しかった。
「──魔力の分散……」
ある日、古い魔術書の中に、人工的に魔族を生み出す方法が書かれているのを見つけた。
弱くなれば、周囲からの敬いも恐怖も次第に薄くなっていくかもしれない。俺と同じだけの強さを持った奴なら、俺と対等に接してくれるかもしれない。
そんな期待を込めて、俺はホームに咲いた美しい青い花に魔力の半分を注いだ。
そうしてできたのが、ルルベルだった。
しかし期待とは裏腹に、ルルベルは対等とは程遠いところにいた。何せ、感情も常識も言葉も何も持っていなかったのだから。
だから俺はルルベルを教育した。できる限り俺と同じ価値観を持つように、俺と同じことが得意になるように。人好きのする笑顔やジョークだって教えた。
でもルルベルは、愛嬌のある人形にしかならなかった。彼女は自分で何かを考えることがなかった。俺と同じになったんじゃなくて、俺を肯定するだけの存在になっていた。
虚しかった。
でも、人間たちを滅ぼした後。俺を恐れず、敬わず、肯定してくれたのもまた、彼女だけだった。それでもやっぱり、それを虚しく思った。
「ごめんね、ルルベル」
白く細い首に噛み付いて真っ黒い魔力を啜ると、俺は元の一人になった。莫大な魔力を持っているだけの、孤独な男に戻った。
孤独な男はその魔力を使って、時間を巻き戻した。
すると、男はまた二人になった。
でも、何回繰り返しても。何をしても。争いは起こって、最終的に俺の隣にいるのはいつもルルベルだけだった。
誰もが誰かを虐げたがって、優位性を確かめることで安心したがった。生まれた時から自分より強いものに会ったことがない俺には、無縁の感情だった。だから共同体として一枚岩になっていく魔族たちに安堵しつつも、内心馬鹿馬鹿しいと思っていた。
……でも。
「グレイが正しいと言うなら、正しいと思いますわ」
その馬鹿馬鹿しい景色を肯定したルルベルの言葉に、俺は全てがどうでも良くなった。
彼女は俺の言葉だけしか聞かなかった。言葉の裏で考えている事には、気づきもしなかった。俺の言葉を肯定してくれても、心を理解してはくれなかった。
結局、どんな未来に行こうが俺を理解してくれる人はいない。俺の半身だろうが、俺を理解するわけじゃない。
だったら、もういい。最後だ。次で最後にしよう。
最後にするから、この人形にも心というものを与えてみようか。そうしたら……また二人ぼっちになった時に、今度は話ができると良いな。
*
ルルベルの中に入った常盤鈴という人物は、なんだか変わった女だった。
俺を時々怯えた目で見る癖に、平気で俺に意見する。今まで誰からも指摘されたことのなかった俺の悪いところだって、躊躇いながらも教えてくれる。彼女と話していると、新しい発見が多かった。
彼女の世界の話やゲームとかいう謎のお伽噺のこともそうだが、それ以上に俺自身についての発見が多かった。
俺は自分を寛大で余裕があると思っていたけど、ルルベルがフリーゼ公爵令嬢やヘルマンド卿と親しくしていると疎外感を感じて寂しくなった。俺って案外心が狭かったんだ。
俺は人を困らせる趣味なんてないと思っていたけど、ルルベルが俺のことで困ったり悩んだりしているのを見るのはなんだか心が踊った。俺って結構意地悪なのかもしれない。
そして何より、俺は今まで人と深く付き合ったことがなかったんだと気が付いた。
今まで対等な存在がいなかったのだから仕方のないことかもしれない。そう思ったが、今のルルベルは魔力こそあれ、促してやらないと強い魔法なんて全然撃てっこないし、戦ったら簡単に俺に平伏すだろう。
要するに、俺と彼女の間には優劣があった。
それでも。時々俺から庇護や教育を受けながらも、彼女は俺を心配したり褒めたり、時に鬱陶しそうにした。彼女は明らかに、俺と対等だった。……力の差なんてものは、友人を作るのには関係無かったんだ。
それに気付いてからは、ゾーイやヴルフたちとも随分と打ち解けられたように思う。
まあ、ゾーイはまだ少し俺を警戒しているような素振りはあるけれど、昔に比べてかなり態度が明け透けになった。彼が俺をうざったいと言ったりあからさまに眉を顰めたり反対意見を飛ばすたび、何故だか満足感を得られた。それを本人に伝えたら「キモい」と言われたけど。
一見すると関係が悪化したようにも見えるけど、俺たちは昔よりずっと話らしい話ができるようになっていた。気心が知れる、というやつなのかもしれない。
それでもやっぱり、一番気が楽なのはルルベルだった。彼女と過ごすのは心地良かったし、彼女が人間に好意的なおかげで俺たちも今までになく平和な暮らしを保てていた。
でも……彼女は人間に好意的すぎる。元々人間だったからだろうか。その上一度自殺しているせいか、自分の命を何とも思っていない。最悪、何かを得るために自分の命を投げ打ってしまいそうで、何度も底冷えがするような気持ちになった。
失いたくない。
一度得た幸福を、手放したくない。
彼女は人間との共存を望んでいる。俺だってそうだ。でも俺は、共存とルルベルの命のどちらかを選べと言われたら迷わずルルベルを取るだろう。
大義のために彼女が命を落とすくらいなら、共存なんてしなくていい。
……それほどまでに想っているのに。
「あの、なんか……すみません。ナシュカ様と付き合える未来を提示しておいて、私が付き合ってしまって……」
ルルベルには何も伝わっていなかった。
確かにフリーゼ公爵令嬢と結婚したいとは思っていたさ。ほんの二ヶ月前までは。でも、俺の中を占めるルルベルの重要性が増していくにつれ、他の女と恋人になるのは無理だと思った。恋人より、ルルベルを優先してしまうだろうから。
俺の中にある特別な椅子の上には、ルルベルを座らせたかった。
でもルルベルが"特別"な椅子に座らせたのは、俺じゃなかった。
ルルベルはその椅子にフリーゼ公爵令嬢を座らせたし、ルルベルもまた、フリーゼ公爵令嬢の用意した特別な椅子に座った。彼女たちは結ばれ、お互いに特別な存在になった。
……良い関係を築けていたと思っていたけど、俺は彼女の"特別"にはなれなかった。俺の椅子は空のまま。きっとこれからも、空のままなのだろう。
「私が好きなのはナシュカ様ですわって言わないの?」
ふと、以前俺がルルベルに言った言葉を思い出した。俺はあの時の彼女の気持ちを、ようやく理解できた。
見込みが無いから言わないんじゃない。迷惑をかけたくないから、言えないんだ。
あーあ。残念。……取られちゃった。
相手がフリーゼ公爵令嬢みたいな誠実な人じゃなくて、もっとどうしようもない相手だったらな……。そしたら、俺の方が良いよってアピールもできたかもしれないのに。相手がフリーゼ公爵令嬢じゃあ、どう考えたってそっちの方が幸せにしてくれそうだ。
……仕方ない、かぁ。
最後に意地悪として俺とフリーゼ公爵令嬢を選ばせた時に、凍りついたみたいに動かなくなったルルベルを見れただけで満足だ。
ありがとうルルベル。俺を、特別な存在と同等に扱ってくれて。それだけで十分だ。でも、君のための椅子はきっとこれからも空いているから。いつか遠い未来、気が変わったら座ってね。
*
「ねえゾーイ、俺って分かりにくいのかなぁ」
自室に戻り、ベッドにうつ伏せになって本を読むゾーイにそう問いかける。
「は? うざ……何?」
「ちょっと、今傷心中なんだけど?」
「知らないよ」
「ベッド詰めて」
「入ってこないでよ」
「だってチャッピーもワタも寝てるしさ、君しかいないんだよ」
「お前も寝れば?」
「冷た……ルルベルなら良いですよって言ってくれるのに」
「ルルベルに夢見すぎじゃない? 今のあいつなら絶対僕と同じこと言うよ」
そうかもしれない。
「良いですよ」と笑って布団を空けてくれるルルベルより「流石にそれは……」と眉を顰めるルルベルの方が想像に容易い。
「慰めてもらいたいならまた機能弄れば?」
「ええ……? 嫌だよ。ちょっと冷たくあしらってくれるのも気に入ってるんだから」
「……ルルベルも変だけど、アンタも最近変になったよね」
「そうかも。でも俺は気に入ってるよ、今の変な俺のことをね」
ゾーイは理解できないと言わんばかりに嫌そうな顔をしたが、俺は笑顔を返した。
「はぁ……ここに来てから身近に変な奴ばっかりで、僕まで馬鹿になりそうで嫌になるよ」
「いいじゃない。誰かの影響を受けるっていうのも、悪くないものだよ」
「あっそ」
短く返事をすると、ゾーイは俺をベッドの外に蹴飛ばして本に集中し始めた。
釣れないところは相変わらずだが、俺に対する妙な遠慮や畏怖のようなものはすっかり無くなっていた。
自覚があるかは分からないが、ゾーイだって既にかなりルルベルやヴルフの影響を受けている。毒気のない感情と裏に毒を孕んだ感情を飲み下すうち、ゾーイ自身人間との付き合い方に変化が生まれていた。
人間嫌いは変わらないけど、それでも客に時々軽口を叩くようになった。全てが猫被りというわけではなくなって、今では多少ユーモアさが見られる。
良い変化だ。俺も、ゾーイも、他の人たちも。最初の三回とは全員違っている。
何もかもが変わった。
しかしだからこそ、これから何が起こるか予測がつかなくて恐ろしい。
俺の知ってる未来は三つ。
ルルベルの知ってる未来は八つ。
そのほとんどで、共通していることがある。
──十二月になると、戦争が起こる。
今は十月の上旬。あと、二ヶ月だ。あと二ヶ月で、戦争が起こる。……かもしれない。少なくとも俺の知る三つの未来では全て十二月に戦争が起こっている。俺が起こしたものと、ゾーイが起こしたもの、そして人間が起こしたもの。
今のゾーイに争いを仕掛けるだけの怒りは無いように思うけど、人間の出方が全く分からない。リンハルト殿下は親魔族派の人間が増えてきていると言っていたが、それは精々ゼロが一になっただけだ。ディグニスに住む人間の大半はまだ、魔族に対して敵意を持っている。
だから、油断はできない。争いが起こらないに越したことはないが、十二月になったら戦争が発生すると考えておいた方がいいだろう。……できれば、取り越し苦労に終わってほしいけど。
……もし。もし本当に戦争になったら、ルルベルはどうするのかな。
人間対魔族となると、フリーゼ公爵令嬢との対決は避けられないだろう。ルルベルは、ちゃんと身を守れるだろうか。攻撃できるだろうか。もしかすると、恋人を傷付けないように無抵抗を貫くかもしれない。
……嫌だな。
もしフリーゼ公爵令嬢がルルベルに剣を抜くことがあったら、その時は…………俺が、代わりに相手をしよう。
たとえ恨まれても、俺はルルベルに生きて欲しいから。




