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第26話 もしもの選択


 パーティから店に帰った後、私はグレイを引き()るようにして二階部屋へと連れて行った。

 グレイは以前そうだったようにベッドの一つに腰掛けると、素知らぬ顔で私を見上げた。


「何か用かな?」

「…………聞いていましたか?」

「何を?」

「……ナシュカ様との、やりとりを」


 グレイの表情はいつもと何も変わらない。にこにことした人好きのする、しかしどことなく裏がありそうな微笑み。祝福しているようには見えず、かといって怒っているようにも見えない。


「君たちが城の外で出会って、キスして、結ばれるまでのやりとりのこと?」

「……全部聞いてたんですね」

「うん」


 驚いたよ。と言って仰け反るようにわざとらしく笑うグレイだが、その声は落ち着いている。


「あの、なんか……すみません」

「うん?」

「ナシュカ様と付き合える未来を提示しておいて、私が付き合ってしまって……」

「えっ?」


 そうだ。グレイは元々ナシュカ様と"愛のある"政略結婚をする気でいた。そのために「愛を教えてほしい」と頭を下げるほどに。しかしナシュカ様はゲームのルートには無かったルルベルを選び……今に至る。

 ナシュカ様は誠実な人だ。一人の相手を愛すと決めたら他の人に(なび)くことはない。それはつまり、グレイルートは完全に頓挫(とんざ)したことを意味する。


 まずいな。さっきは舞い上がってそんなこと考えてなかったけど、冷静になるとグレイに怒られるのも無理はない。

 ……土下座で許して貰えるだろうか。


 床に膝をついて頭を下げる準備を始めたところで、頭上から温度のない声がこぼれ落ちた。


「……それ本気で言ってるの?」

「えっ……?」


 思いがけず頭を上げれば、そこには困惑したように歪んだ青の瞳があった。


「……ルルベル、俺は別に怒ってはいないよ。相手がフリーゼ公爵令嬢で、むしろ良かったとさえ思っている。彼女は信頼に足る人物だからね」

「いや、でも……グレイもナシュカ様と結婚する気でいたじゃないですか。それを知ってたのに告白にオッケーしちゃったのはやっぱり悪いような……」

「うーん……認識に食い違いがあるな」


 グレイは小声で独りごちるように何か言ったが、その言葉が私の耳に届くことはなかった。再び彼が口を開いた時、彼はいつもの飄々(ひょうひょう)とした声に戻っていた。


「俺のことは気にしなくていいよ。それより、良かったじゃないか。"推し"と上手くいってさ」


 やけに推しという言葉を強調したグレイに、冷や汗が出る。同じ推しなのにグレイとナシュカ様で随分態度が違う、ということを指摘された過去があるからだ。

 まだ根に持ってるのかな……。


「……あの、グレイのこともちゃんと推しなので……!」

「あはは、推しは何人いても良いのかもしれないけど……恋人になったんなら一人に絞らないとダメだよ。──それとも二股する?」


 猫でもあやすような眼差しだった。これは本気ではない。魅力的な誘いのようにも聞こえたが、彼はただからかっているだけだ。

 グレイははっきり言って美形だ。生き物ではないような整った顔でそう言われてしまうと、不義理だと分かっていても誘いに乗る人は後を絶たないだろう。


「……グレイ、試すようなことしないでください」

「ごめんごめん。……あーあ、俺も同じ推しだったのになぁ」


 グレイはベッドに手を付き、仰け反りながら天井を見上げると、未練があるんだか無いんだかよくわからないような声でそう言った。


「……寂しくなるね」

「別に……今までと何も変わりませんよ」

「あはは、ありがとう。でもダメだよルルベル。恋人になったからには、それ以外の全てを切り捨てる覚悟を持たないと」


 穏やかに微笑んでいるが、グレイの今までの恋人との付き合い方を想像すると身震いがした。

 ゲームをプレイした所感では、たぶんグレイは尽くすタイプだ。相手が望めば自分の差し出せるものは全て差し出すし、他者の命だって奪う。これがグレイにとっての"誠実さ"だった。

 相手に愛が無くてもそこまで自分を差し出せるところがまた恐ろしい。これで愛まであったら、彼はいよいよ自分の命すら差し出してしまいそうな勢いだ。


「……それはちょっと極端じゃないですか?」

「極端かぁ。そういえば、君と初めて会った日もそう言われたっけ。あの時は実感が湧かなかったけど、実例があると分かりやすいね」

「……あの、グレイって今まで恋人から何か言われたことありませんでしたか?」

「うーん、そうだなぁ……。"私じゃあなたを分かってあげられない"とか、"一緒にいて苦しい"って、よく言われていたかな。参考までに俺のどこが悪かったのか聞いても"あなたは悪くない"って言われるばっかりでさ。……絶対俺のどこかが悪かったはずなんだけど」


 グレイにもどうやら思うところはあるようだった。だがはっきりと指摘されたことが無かったから何が悪いのか分からないまま、気が遠くなるほどの時間を生きてしまったのだ。

 彼が何も言われないのはその強大な魔力故か、それとも柔和なくせにどこか支配的な性格故か、それは分からない。


 しかし太陽のようなあのナシュカ様でさえ、仄暗い月下の美女のような有り様になるくらいだ。グレイルートのナシュカ様も、グレイの悪いであろう点については何も口にしなかった。

 グレイを怖がっていたわけでもなく、ただ、同情のような何かを感じながらエンディングを迎えた。

 それもあってグレイは、ファンの間では「パートナーを絶対病ませるタイプの男」「シンプルに重い」として一定層から謎の人気を獲得していた。


「グレイは相手に尽くしすぎというか……ちょっと依存っぽいとは思いました。まあ、前に話したお伽噺の中のグレイは、ですけど」

「ええ……? 俺ってそんな感じなんだ?」


 初めて言われたと言わんばかりの反応だ。本人は完全に無自覚で、未だに納得していないように見える。


「じゃあ例えば。例えばですけど、恋人と親友が崖から落ちそうになっていたらどっちを助けますか?」

「両方はだめ? 魔法で浮かせればどっちも助けられるけど」

「片方だけしか助けられないって前提で……」

「それなら恋人じゃない?」


 一瞬も迷わなかったな……。


「親友はいいんですか?」

「うん? いや、悲しいとは思うけど。でも恋人って何よりも優先するものなんじゃないの?」

「それは人によるかと……でもどっちにしても普通はここまで即決はしないんですよ」

「そうなんだ? でも迷って両方失うのも嫌じゃない? それなら確実に片方を取りたいかな」


 グレイのこういった思考は魔族特有なのか、それとも単にグレイがこういう性格なのか……。でも他の魔族を見てるとこんなに極端じゃないから、後者なのかもしれない。


「じゃあ、その助かった恋人から親友について聞かれたら何て答えるんですか?」

「親友は良かったのかってこと?」

「はい」

「いいよ。恋人が無事なら」

「ダメですよ!」


 思わず床を叩いた。今頃下でヴルフが怪訝そうに上を見上げているかもしれない。


「えっ、本気で言ってますか?」

「本気だったけど、ダメらしいね」

「……いや、すみません。これも人によります。でも……」

「ここまで即決はしない?」

「そうですね……」


 難しいなぁ。

 グレイはそう言うと眉を寄せて口の前で両手を合わせた。彼は決してふざけているわけではない。ただ思考が極端すぎるのだ。いつか、何か大切なものまで一緒に削ぎ落としてしまいそうな危うさがある。


「じゃあお手本教えてよ。ルルベルならどうするの?」

「親友と恋人ですか?」

「うーん。……いや、具体的にしよう」


 ──俺と、フリーゼ公爵令嬢。

 ──どちらかしか助けられない場合、どっちを選ぶ?


 私はぴたりと止まった。

 グレイは自己治癒ができるからとか、たぶん死なないからとか。そういうことを考えたけれど、目の前のグレイの目は、声はかなり真に迫っていた。

 これはきっと、本当にどちらかしか助けられない場合の話だ。でも……どちらかを選べって……。

 ナシュカ様のことはもちろん愛している。でも……そもそも共存ルートを探そうと思ったきっかけはグレイだ。ナシュカ様の幸福の下にグレイや他の人たちの犠牲を積み上げたくなかったから、私は共存ルートを探し始めたんだ。


 どちらも選べない。でも、両方失うのは嫌だ。愛しているのはナシュカ様だけど、グレイが大事じゃないわけじゃない。


 そうして頭を唸らせているうち、グレイがパン、と手を叩いた。


「──はい、時間切れ。二人とも崖から落ちたよ」

「ええっ!?」

「その場での判断力は大事だよ」

「そう、かもしれないです……」

「でも……君が迷ってくれて少し嬉しかったよ」


 そう言って微笑むと、グレイは立ち上がった。


「……ま、こういうことにならないのが一番だけどね。フリーゼ公爵令嬢のことはもちろん黙っているよ。上手くいくといいね。……それじゃ、おやすみルルベル」

「あ、ありがとうございます。おやすみなさい」


 グレイはひらひらと小さく手を振って背を向けた。ドアノブは回され、目の前の白銀は去っていく。

 とりあえず秘密は守られそうなことに安堵しつつも、私は先ほどのグレイの質問の答えを頭の中で考え続けていた。


 もし、ナシュカ様とグレイのどちらかの命を選ぶことがあったら。その時、私はどちらかを選べるのだろうか。


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