第25話 秘密の恋人
「……魔族を討伐したそうだな」
人間たちの前で魔族討伐を行なってから四日。九回目になるパーティの最中、私とグレイを見つけたリンハルト殿下は静かにそう言った。
「すみません、勝手なことをして……」
「そうだな、実行する前に相談が欲しかった。いや、以前却下したのは私だが……」
「一度俺たちの利用価値を示せば世論も俺たちに肯定的になるかと思ったのですが、その顔を見るにあまり芳しくないようですね」
「いや……それが……」
グレイの言葉に、リンハルト殿下は奥歯に物が挟まったように口籠る。しかしややあってグレイへと視線を上げると、彼は王族の佇まいでもって話し始めた。
「……魔族に対し、領民たちは肯定的になりつつある。もっとも、まだ一部に過ぎないが。だがその反面、国に不満や疑念を持つ者が増えた。魔族にとっては良い傾向かもしれないが、王室にとっては良くない状況なんだ」
リンハルト殿下は魔族に対して好意的だが、それでも王族には魔族嫌いが多い。領民が魔族に肯定的になるのは彼自身にとっては喜ばしいことだろうが、彼の立場としてはかなり苦しいものだろう。
「……王は、このパーティを通して共存の意思はあると魔族に期待を持たせつつも、実際に現状を改善しようとは思っていない。ちょうどいい具合に魔族の機嫌を取って現状維持しようというのが、王の計らいなんだ。誠にお恥ずかしい話ですが……」
ゲーム内でもパーティ以外では魔族との交流が皆無なことや、ストーリー中で実際に何か共存に向けた活動を積極的に行なっているのがグレイルートだけであることから、たぶんそうだろうとは考察されていた。だから私はそれを冷静に聞いていられたが……。
ちらりと隣を盗み見る。てっきり怒っているかとも思ったが、グレイはいつも通りにっこりと笑みを浮かべたままだった。世界を既に三回見てきた彼もまた、そんなこととっくに知っていたのかもしれない。
「そんな大切なこと、私たちに話していいんですの?」
「……あなた方には誠実でありたいんだ」
「ありがとうございます、殿下。……俺たちはじきにシュカリオンに送還されるんですか?」
「可能性としてはゼロではない。もちろんそうならないよう私も意見するが、どうなるか分からない。……本当にすまない」
「殿下が謝ることではありません。それに、王がそのような行動を取る理由も分かります。共通の敵がいると、国はよく纏まりますから」
……グレイが言うと説得力があるな。
「ですが、それももう二百年続いています。二百年間もの間、俺たちは凍土での暮らしを余儀なくされているんです。そろそろ進展が欲しいと思うのもまた、自然なことですよ」
悲しそうに眉を下げ、グレイはそう話した。最近分かったことだが、こうやって相手の罪悪感を煽るような言い方をする時は、どうやら言うことを聞いてほしい時ならしい。
あまり褒められたことではないが、外交においてはある程度こういった狡猾さも必要なのだろう。
その後もリンハルト殿下とグレイの話し合いは続いた。
次期国王として国を本気で想う若き王子と、魔族の未来を想う老成した魔族長は案外話が合ったらしい。互いに現状と展望、具体的な方針についての建設的な話を始めると、あっという間に私は話に置いていかれた。こと内政において、私のような素人が口を挟めることは少ないのだ。
しかし隣で聞いていてよく理解できたことがある。それは、二人とも自分の守る国民、魔族のこれからを本気で案じているということだった。
*
話が終わると、私はナシュカ様を探した。
いつもなら私を見かけると元気よく声をかけてくれる彼女だが、今日はどこにも見当たらない。ドレスの時はネックレスを付けていないから、居場所のヒントだってない。でもこれだけ探していないとなると、またダニエルと木の上でディナーでもしているのかもしれない。
そう思いホールから抜け出していつもの木の下に辿り着くも、そこにはダニエルしかいなかった。
「ヘルマンド卿、今日は一人なんですの?」
「……いえ、さっきまで二人でした」
「じゃあ入れ違いになってしまいましたのね……」
「入れ違い……というより、ルルベル様がこちらに向かって来るのが見えてナシュカ様が飛び出していきました」
「え!?」
避けられてる……?
何かナシュカ様に嫌われるようなことをしただろうか。もしかして魔族を勝手に討伐したことをまだ怒っているのか……?
「……何か、私のこと話してましたか?」
「はい。ですがそれは……俺からではなく本人から聞いた方が良いかと。あの人も大概、不器用な方ですから」
そういうと、ダニエルは私が来た方向とは反対側を指差した。
「ナシュカ様はあちらに行かれました」
ちょうど正門の反対側。確かあの辺りには何も無い。それはつまり、人が来る用事もまた無いということで、人を避けるにはうってつけの場所だった。
「ありがとう、ヘルマンド卿」
ダニエルに一言お礼を言って、私は走り出す。城壁と城の間、草花で囲まれたそこに辿り着けば、月の光が金髪を照らした。
「ナシュカ様」
「るっ、ルルベル殿? ……ダニエルのやつが気を遣ったのか」
顔を手のひらで覆ったナシュカ様は、いつもよりもどこか落ち着きがない。いつも真っ直ぐに私を見つめる瞳は、隠し事をしている子供のようにあちこちに視線を飛ばしている。
「どうかしたんですの?」
「……いや。ただ、その、今はちょっと人前で会いたくなくてだな」
「えっ、ど、どうして……」
「…………」
ナシュカ様は沈黙した。何かを言おうか、やっぱりやめようかと悩んでいる様子だったが、長い沈黙の末、彼女は口を開いた。
「なあ、ルルベル殿。私自身、今の自分の感情をよく分かっていないんだ。だが、その……それを確かめるために、抱きしめさせてもらってもいいだろうか?」
「ええっ?!」
「……すまない。やはりどうかしているのかもしれない」
ナシュカ様は再び顔を手で覆った。月明かりに照らされて、指の隙間から見える頬が紅潮しているのが分かる。しかしそれは私も同じことだろう。
好きな人からこんなことを言われて、ただびっくりするだけなんてことは無い。私の声には、確実に期待が滲んでいた。
「ど、どうぞ……?」
両手を小さく広げてみれば、ナシュカ様はウウンと迷うようにたじろぎ、やがて恐る恐る手を伸ばした。
ナシュカ様の性格的に、てっきり勢いの良いハグが来ると思っていたが、彼女の手は驚くほどゆっくり、躊躇いがちに私の背に回された。身体が密着すると、柔らかな胸からどくどくと彼女の心臓の音が痛いほどに聞こえてくる。その音につられて、私も無いはずの心臓が跳ね回った。
「うん……うむ……」
「……どうですか?」
「……小柄だ」
「えっ、ハグの最初の感想がそれですか……?」
「いや、待て。……言い直させてくれ」
緊張しているのか全身に不自然に力が入っているナシュカ様は、しばらく硬直したのち、すぅ、と息を吸った。
「──愛しい」
いとしい。……愛しい?!
ど、どういう意味だ……? ナシュカ様って結構誰にでもこういうこと言うタイプだったか? どうだっけ? えっ? もしかして愛してるってこと?
「助けて……」
感情がキャパオーバーして、思ってもないことを口走る。ナシュカ様も予想外だったのか、私を抱きしめる腕の力が緩む。「すまない」と言って離れようとするナシュカ様の背中を、今度は私が慌てて抱きしめた。
「あっ! 違います! その……昂ってしまって……私も言い直させてください」
ガチガチに緊張するのは、今度は私の番だった。いや、初めから緊張はしていたが、何しろ最愛の人物から愛を囁かれたのだ。緊張だって極まるだろう。
心臓が無くて本当によかった。あったらドキドキしすぎて倒れていたかもしれない。
でもこの愛の告白は……どっちだ?
友人として愛しているのか、それとも本当にそういう意味で……? いや、いやいや。そんなわけない。だってルルベルは攻略対象じゃないし、女の子だし、何より中身が私だ。
うん、きっと友人としてって意味だ。そうに違いない。
「えっと、その……嬉しい、ですわ……」
「本当か?」
「本当の本当に、です……すみません、今ちょっと頭が動いてなくて月並みな言葉しか……」
「構わん」
私が一回変なことを言ったせいで不安になっていたナシュカ様だが、どうやら拒否されてはいないと確信したらしい。彼女は私の背骨を折る勢いで力強く抱きしめると、私の耳元でぽそりと呟いた。
「……キスをしても?」
「キッ?!」
「……聞かなかったことにしてくれ」
「えっ! そんな、いや……良い、です? いや、待って!」
私は混乱したままナシュカ様の両肩を掴んで、今度は距離を取った。もっとも、ナシュカ様が手を伸ばせばまた簡単に捕まってしまうような距離であることに変わりはないが。
「えっ? その……え? なん、どうして……?」
「愛しいと言ったはずなんだが……」
「友人としてではなく……?」
「……友人の方が良いか?」
「ゆ……友人じゃない方って、何になるんですか?」
そう問えば、ナシュカ様は一瞬思案げに視線を彷徨わせた後、一つの結論を出した。
「恋人になるんじゃないか?」
「こっ……いびと……って、オッケーなんですか? その、貴族の方が同性同士で……」
「……おそらく駄目だろうな。だからこうしてコソコソしているんだ」
「あ、あの……前に言ってた好きな人は……?」
「ああ……ふふ、あれはルルベル殿のことだ。本当は、言わない予定だったんだがなぁ……」
私は夢か幻覚でも見ているのか?
なんでこんなことになったんだっけ? そうなるに値するだけの何かをしたか?
しかしどうやら私が何かナシュカ様にとって決め手となる行動を取ったのは確からしい。未だに信じられないが。
「い、いつから……?」
「随分前から」
「今までそんなこと一言も言わなかったじゃないですか……」
「叶わなくて良いと思っていたからな。想いを秘めておくのも案外楽しかった」
「なんで、今になって急に……?」
少し上を見上げれば、彼女はどこか困ったような顔をしていた。
「恋人になれば、ルルベル殿の死に急ぎも治るかと思ってな」
「死に急ぎって……」
「ルルベル殿は優しいから、まさか恋人を一人置いて死ぬなんてことはしないだろう?」
置いていかないでくれ。
ナシュカ様は静かにそう言うと、また私を抱き寄せた。
「……さっきの質問の答えを聞いても良いか?」
「質問……?」
「その、キスのことなんだが……」
これを受け入れるということは、私もまた彼女を愛していると表明することに他ならない。
どうしよう。私だってナシュカ様を愛しているけど、この気持ちは墓場まで持っていくつもりだった。でも……ナシュカ様も私が好きだって言うなら……断る理由が、無い……?
「…………どうぞ!」
私は覚悟を決め、目を瞑った。
後頭部を手のひらで撫でられると、次いで唇に何か柔らかいものが触れる。体感にして五秒ほど、私たちはお互いの肌の境界を失っていた。その後ゆっくりと唇が離れていくと、私はそろりと目を開けた。
ナシュカ様の目は、まだ長い金のまつ毛に隠されたままだった。やがて彼女も目を開けると、驚いたように眉を上げた。
「いつから目を開けていたんだ?!」
「終わってからすぐ……」
「そ、うか……いや、なんというか……はは、結構恥ずかしいものだな」
一歩下がったナシュカ様は恥ずかしさを誤魔化すようにわざとらしく笑った。
「次はもう少し長めに目を瞑っていてくれ」
「えっ、次があるんですか?!」
「駄目か?」
「全然ダメじゃないです……! えっと、よろしくお願いします……?」
そう言って頭を下げると、ナシュカ様はひとしきり笑った後に城壁に背を預けた。まるで身体の力が抜けたような有様だ。
「……はぁ〜。良かった。なあルルベル殿、本当はな、断られると思っていたんだ」
「ナシュカ様ほどの方でもそう思うことがあるんですね……」
私なんてこんなナシュカ様大好き感丸出しで絶対承諾しそうな相手なのに……。
「初めてヴルフの店に泊まった日、好きな者がいると話していただろう? そいつに勝てるか不安でな」
「あれは……本当はナシュカ様のことですわ。でも迷惑かと思って、別の人の話をしたんですの」
「そう、だったのか……! それは、嬉しい誤算だが……他にも、女同士で、貴族と平民以前に人間と魔族だ。断る理由はいくらでもあった。だから内心、どうなるか不安だったんだ」
「まあ、確かに……というか、あの、これ本当に大丈夫なんですの?」
「大丈夫じゃないな。……周りには秘密にしてくれ」
頬をかいて、ナシュカ様は困ったように、しかしどこか嬉しそうに笑った。舞い上がっているのは私だけではないようだ。
とはいえ、公爵令嬢が魔族の女と恋人になったなんて、到底認められるはずがない。秘密にするのは当然のことだった。
「わかりましたわ。このことは二人だけのひみ……」
そこまで言って、気付いた。
この一連の流れ全て、たぶんグレイにも聞かれていたな、と。
「ひみ……つ、に、なるよう、努力いたしますわ……」
「ああ、よろしく頼む。ルルベル殿」
嬉しそうに微笑むナシュカ様とは裏腹に、私の頬は引き攣っていた。




