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第24話 ヒーロー


 七回目のパーティからきっかり二週間後に八回目のパーティがやってきた。

 リンハルト殿下にヴルフの店に徐々に活気が戻りつつあることや、最近診療サービスを始めたことを話すと、彼はにこやかに微笑んだ。太陽で照らされた中庭に相まって、その姿はいつもに増して聖人然としていた。


 ナシュカ様は以前より仕事の愚痴がほんの少し増えたが、代わりに表情は明るくなった。

 また父上がつまらん男との縁談を持ってきたから破り捨ててやった。そう言って笑う彼女を、すぐ側で露店を開いていたヴルフが満足げに見つめている。もっとも、公爵は頭を抱えているだろうが。


「まあ、怒られませんの?」

「怒られた。早く相手を見つけろとな。だが……しばらくはいいな。父上の寄越す男の中に、私が好む相手はいないだろうから」


 はにかむように微笑んだナシュカ様に、ぴたりとヴルフの表情が固まる。おっとこれはまさか……好きな人ができてしまったのか?


「ひょっとして既に誰か気になっているお方が……?」


 探るように尋ねれば、ナシュカ様はにんまりと口角を上げて「秘密だ」と笑った。


 ナシュカ様の背後二、三メートルほどのところに立つヴルフへと視線を向ければ、何の合図なのか彼は神妙な面持ちでこくりと頷いた。


 いや、頷かれても分からん……!


 私はこの時、いつものブローチを介した通信の便利さを改めて噛み締めていた。


「ど、どうしても秘密ですの……?」

「どうしても秘密だな」


 頑なに話そうとしないナシュカ様だったが、私が引き下がるのを見るとぽつりと一言だけこぼした。


「まあ……叶わなくてもいいんだがな」

「も、もう……! またそんなこと言って……!」

「ははは、だが本当にいいんだ」

「……それでいいんですの?」

「いいんだ」


 やけにあっさりとした声だった。

 望み薄な相手なのだろうか。となると、ダニエルやギルベルト団長、グレイよりはリンハルト殿下やヴルフの可能性が高いか? いや、ここまでゲーム外のことが起こっているんだ、全然違う相手かもしれない。

 まあでも、想いを告げる気も結ばれる気も無いのであればヴルフの心配の対象にはならないか……?


 ちら、とナシュカ様の奥の人物を窺えば、今度は笑顔で頷かれた。

 これは、「それなら良いですよ」という意味だろうか。それとも何か別の意味が? ……やっぱり分からない。


 それにしてもナシュカ様に好きな人かあ……。

 見返りを求める気は無かったけれど、ほんの少し、ナシュカ様も私を好きになってくれたらななんて甘いことを考えていたのが恥ずかしくなってきた。いやいや、一方通行だっていいじゃないか。私は彼女が幸せになってくれるなら、それで満足だ。


 そう思い込むことにして、私はその日のパーティを終えた。



「ねえ、最近魔法使いすぎじゃない?」


 九月の終わり。怪我をした町民の治療を終えて一息吐いた私に、ゾーイはそう言った。


「人間の治療って結構魔力使うでしょ?」

「大丈夫ですわ。最近は部屋で魔力の実も育てていますもの」

「トマトじゃないんだからそんなすぐに実らないでしょ」


 ゾーイの言ったことは正しかった。

 魔力の実は実までに少なくとも二年はかかる。とはいえ、魔力の木というものは果物の木とはかなり違い、特定の時期に実るものではない。木に魔力が溜まるとそれが茎の先に実としてぶら下がるため、一年を通して収穫できる。

 だから、自分の育てている木があと二年かかろうと、ヴルフが秘密裏に育てている数本の木からの実で十分賄えるのだった。


 もっとも、この診療サービスに人が押し寄せてくるようなことがあったらそれでは足りないから、今のうちから育てているわけだが。


「今はまだ、グッドマンさんが育てている木でやりくりできますわ」

「でも苦手な魔法って魔力食うよね? なんでわざわざ治療魔法を使おうと思ったの? ルルベルって壊す方が得意だと思ってたけど」


 そう。"ルルベルは"物を壊すのは得意だが、直すのは苦手だ。

 しかし、魔力そのものは肉体依存でも、魔法の得意不得意は精神や知識などに依存する。確かにルルベルは一度に魔力を放出するような分かりやすい魔法が得意だったが、今は中身が私なので威力の高い破壊魔法などは上手く使いこなせない。かわりに治療などの細かい魔法の方が得意だった。

 だがゾーイはルルベルの中身が入れ替わっていることなど知らない。だから(ルルベル)が治療魔法を使うことに違和感があるのだ。


「治療魔法は人間からのウケが良いからできるようにしておけと、グレイが」

「三十年近く習ってできなかったくせに、急にできるようになるものなの?」

「それは……」

「あとさ、最近グレイと転移魔法の練習してるよね? 元々完璧にできてたくせに、今更練習?」


 元々のルルベルを知っているゾーイの前では、できる限り元々のルルベルの性格らしく振る舞っていたつもりだったが、魔法の得意不得意にまで気が回っていなかった。ゾーイはかなり怪しんでいるが、どうしようか。


 ゾーイにバレるのは……あまり良くないな。

 戦争を起こす可能性のあるゾーイには、すぐ近くに抑止力が必要だ。もし私が以前のように強い魔法を撃てないと知ったら、グレイのいない隙に何か起こしてしまうかもしれない。


「……三ヶ月前、私とグレイが資材を集めに行った日があったでしょう? あの日、本当は違うことをしていたんですの」

「へえ?」

「人間と円滑に交流するために、私の性格や能力を一部弄ったんですのよ。治療魔法の精度を無理矢理上げたせいで、転移魔法みたいな一部の魔法は精度が落ちてしまって……」

「そんなことできるの?」

「できますわ。私はグレイのお手製ですもの」


 言っていて自分でもめちゃくちゃな理屈だとは思ったが、この世に存在する人工的な魔族はルルベルしかいない以上、真偽の判断はゾーイにはできない。ゾーイはその説明に首を傾げながらも一応納得したようだった。


「……前にグレイが怪我して帰ってきた時、あの時珍しくグレイに意見してたのも、グレイに調整された結果ってこと?」

「そうですわ」

「ふぅん……なんかそれって、変。自分の言うことを絶対に聞いてくれる相手をわざわざ変えるなんて。僕ならしないな」


 グレイはむしろその"絶対に言うことを聞く相手"に虚しさを感じてルルベルに心を与えたわけだが、やはりこれは経験した者でないと分からないらしい。


「まあいいや。今のルルベルが人間ウケが良いっていうのは事実みたいだし」

「光栄ですわ」

「……人間ウケが良いっていうか、なんか人間みたいだよね」

「えっ」


 気付かれた?

 そう思ってちらりとゾーイへと視線を移すが、どうやら気付いたわけではなく、ただ私の人間らしさに苦言を呈したいだけのようだった。


「愚かっていうかさ。……僕は前のルルベルの方が好きだったかな」


 そう言ってゾーイはカウンターに突っ伏した。

 その言葉に、ちくりと胸が痛む。おそらくもう二度と戻ることのできないルルベルに、そして前の方が良かったと話すゾーイに、小さな罪悪感が湧いた。


「……すみません」

「なんで謝るの?」

「元の(ルルベル)には戻れないから」

「……ふぅん。人間みたいになった今だから言うけど。ルルベルのさ、人間も魔族も、ゴミか何かだとしか思ってなさそうなところが、結構気に入ってたんだよね」

「ええ……悪口……?」


 というか、他人をゴミか何かだとしか思ってなさそうなルルベルが好きって、どういうことだろう。


「……それのどこがいいんですの?」

「単純に羨ましかったんだよ。長く生きる上で、誰のことも気にせず何にも執着しない生き方は、ある意味理想的だったから」


 ゾーイはそう言って、どこか人を食ったような笑みを浮かべた。


「……どうせ居なくなる奴に執着するなんて、馬鹿げているからさ」


 元々が人間の私にはよく理解できない感覚だが、魔族として百年以上生きているゾーイにとっては、心を乱されないことはどうやら重要なことのようだった。今でこそ人間嫌いの彼も、かつては人に執着したことがあったのだろうか。

 しかしゾーイはそれきりその話をすることはなかった。


 この日、結局ゾーイに正体がバレることはなかった。

 しかし外に出ていたグレイが帰ってくると、ゾーイは「女の子を勝手に弄るとか最低」とあらぬ容疑をかけ始めたので私は後でグレイに弁解する羽目になった。



 それから更に季節は過ぎて、気付けば十月。私の足元、オレンジの屋根には、黄色い落ち葉が貼り付いていた。


 私が今いるのは、城下町西部のとある民家の上だ。

 何故こんなところにいるのかと言うと、ついさっきこの辺りに魔族が出たと伝令が出たからだ。もちろん、その伝令は私に伝えられたものではなく、ナシュカ様宛てだ。私はそれを彼女の付けているネックレス兼盗聴器で聞いただけ。


 ──数週間前、私はナシュカ様に渡したネックレスの有効な使い道として、この先回り作戦を思いついた。


 それは、ナシュカ様に伝令が伝わったのを確認したら、私も偶然を装ってその場に向かい、魔族の鎮静化を図るというものだった。

 しかしそのためには転移魔法は必須。

 だから私はここ数週間、グレイからかなりスパルタな教えを受けていた。そうしてようやく使えるようになった転移魔法で、今、ここに立っている。


 転移魔法は無から有を作る魔法や、壊れたものを直すようなイメージが重要になる魔法とは少し違う。これに必要なのはどちらかというと、記憶力だ。

 一度見た景色をよく思い出し、その中にいる自分をイメージする。それが転移魔法の基礎だった。しかし私はそもそもこのディグニスにおいて、行ったことがある場所など数えるほどしかない。だから最近は空き時間を見つけてはグレイを引っ張り出して色んな景色を見せてもらっていた。


 初めは微妙に位置がずれて屋根に足が埋まったり、転移するのではなく周囲の景色を転移予定の景色と似たものに変えてしまったりと失敗を繰り返していたが、もう大丈夫だ。オレンジの屋根をしっかりと踏み付けている小さな足を確認して、ほ、と息を吐く。


 屋根の上から辺りを見渡すも特に街に異変は見られず、私はこっそり屋根から屋根へと移動した。

 やがて人だかりを見つけると、私は人気のないところで地面に降り立ち、フードを被ってその野次馬の外側に張り付いた。


「何があったんですか?」

「何って魔族だよ。ほら、あの白い熊……おっかねえったら……」


 見ればそこには小さく見積もっても体長二メートルはありそうな真っ白い熊が家畜の牛を襲って血を啜っていた。町民が遠巻きに集まるだけで誰も近付こうとしないのも頷ける。あれは魔族でなかったとしても怖い。

 私に対処できるだろうか。いや、やらなくては。それにこの熊をナシュカ様と対面させる方が恐ろしい。


 私は恐る恐る、一歩踏み出した。

 野次馬の中をかき分け、最前列を抜けると、誰かが私を止めようとフードを掴んだ。


 白銀の髪が露わになると、町民たちはざわついた。それでも私はできるだけ平静を装って、グレイ直伝のチャーミングであろう笑顔を見せた。


「大丈夫ですわ。私がどうにかしてみせます」


 魔族に討伐なんて任せられない。周囲がそう言うのであれば、できるということを証明すればいい。

 そう思っての行動だった。二号店メンバーには話したが、一回やってみてダメそうだったらもうやらない方が良い。というのが結論だった。だからこの一回は、すごく重要なのだ。絶対に成功させなければ。


「……熊さん、私は魔族です。触れれば、あなたの言葉も分かりますわ。……手を触れても?」


 白銀の熊に向けて、そっと手を伸ばす。


 この時私は失念していた。

 飢えた魔族にとって、他の、とりわけ力の強い魔族はご馳走であるということを。


「──ッ!?」


 次の瞬間、私の右手首から先は無くなっていた。熊が噛みちぎったのだ。

 少し離れた後方から、悲鳴が上がる。


「……"コール"!」


 とっさに割れた手指を再生し、魔力が溢れるのを止める。急ごしらえのせいか指先の形は歪だが、今はとりあえず魔力が出ていかなければそれで良い。

 それに、(ルルベル)の腕を食べたのなら、この魔族だって十分な魔力を補給できたはずだ。じきに正気に戻るだろう。


「……ちょっとだけ、我慢してくださいね」


 左手を前にかざして魔法の呪文を唱えると、目の前の熊は一瞬でぱきん、と凍り付いた。

 雪や氷のイメージは得意だ。つい最近までシュカリオンに住んでいたし、何より、凍るような冷たさは"前の"私にとっても想像しやすいものだったから。


「……う、動かなくなったぞ? 殺したのか?」

「ええ。これでもう大丈夫ですわ」

「本当だろうな?! 後でその氷を溶かしてまたどこかに逃がそうっていうんじゃないだろうな!」


 ……図星だった。この場を離れ、氷を溶かした後森に返すか、あるいはホームに連れて行こうと思っていた。

 しかし霧になるところをこの目で見るまでは信じられないとでも言いたげな町民たちは、私へと詰め寄った。


「早くちゃんと殺してくれよ! そんなのがいたんじゃおちおち散歩もできねえ!」

「えっと……」

「早く!!」


 「殺せ!」という人々の声がこだまする中、一人の女性の凛とした声が辺りに響いた。


「何をしている!」


 その声に顔を上げれば、そこには息を切らしたナシュカ様が立っていた。


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