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第23話 幸せ屋


 七回目のパーティの日、私はナシュカ様に呼び出された。


 呼び出された先はかつて私とナシュカ様、そしてダニエルの三人で秘密のディナーを行なった、あの木の上だった。彼女曰く、あまり聞かれたくない話をするならここが良いのだという。

 ジャンプで枝に移ろうとするナシュカ様を止め、魔法を使って宙に浮くと二人でそっと枝の上に腰を下ろす。枝の頑丈さを確かめるように木の表面を手でさすっていると、ナシュカ様はどこか言いにくそうに話を切り出した。


「……なあ、答えたくなければ別にいいんだが。ルルベル殿は、ひょっとして元々私のことを知っていたのか?」


 ナシュカ様のその質問に、私は驚くことはなかった。

 昨日のナシュカ様とギルベルト団長の会話は、ほとんど聞いていたからだ。だから、今日それを聞かれるであろうことは既に検討が付いていた。

 しかし私は不審に思われないよう眉を上げて意外そうな表情を作ると、あらかじめ用意しておいた台詞を語った。


「いえ……ナシュカ様とお会いしたのはパーティが初めてですわ」

「そ、うか……」

「どうかしましたの?」

「いや、大したことではないんだが……ルルベル殿は何故私にいつも良くしてくれるのかと思ってな」


 木の葉の隙間から月を見上げながら、ナシュカ様はそう言った。


「ナシュカ様が優しくて誠実な方だから、私もそれに応えたいだけですわ」

「だが、ルルベル殿は初めてパーティで会った日から……私の勘違いでなければ随分好意的だったような気がしてな」

「……こんなことを言ったらがっかりさせてしまうかもしれませんけど。初日はとにかく粗相が無いようにと、人間の参加者にはできる限り優しくしようとしていたんですの」


 にこりと笑顔を作ってそう言えば、今度はナシュカ様が意外そうな顔をする番だった。


「そうだったのか……もしかして迷惑だったか?」

「え?」

「強引にディナーに誘ったり、目が合うたびに話しかけたり……すまない、その、舞い上がってしまっていたみたいで」


 ナシュカ様は、こと貴族の社交場において女性の友人が少ない。そんな中、優しく接してくれる相手が現れたら懐くのはおかしな話ではない。

 初日だって、各所への挨拶を済ませた後はさっさとダニエルと木の上に引っ込んで時間を潰そうとするくらいだ。もしかするとナシュカ様は……私が思うよりずっと繊細な人なのかもしれない。


「いえ、それはむしろ……嬉しかったですわ。私みたいな魔族にも分け隔てなく接してくださって。だからあなたと友人になれたらと思ったんですの」

「それなら良かった」


 ほっとしたように笑うナシュカ様を見て、ちくりと心が痛む。本当の友人なら、きっと勝手に盗聴なんてしない。あのグレイでさえ、盗聴についてはその日のうちに種明かしをしたくらいだ。

 隠し事を何一つしてはいけないなんてことはないだろうけど、彼女に対しては私も誠実でありたい。でも……私の目的はナシュカ様を幸せにすることだ。友人に、ましてや恋人になることじゃ、ない。


 これは、必要なことなんだ。


「ナシュカ様、せっかく二人きりなので私からも聞いてもいいですか?」

「もちろん、何でも聞いてくれ」

「ナシュカ様の、本当にしたいことを教えてほしいんですの」

「本当に、したいこと……?」

「そうですわ。……ナシュカ様にはとても良くしてもらっているから、あなたの望みを叶えたいんですの」

「ルルベル殿」


 冷たい声だ。いや、どこか呆れているようにも聞こえる。


「前にも言ったが、無理に役に立とうとしなくていい。望みも叶えなくていい。私は、利益があるからルルベル殿を側に置いているわけじゃない。そんなものは無くてもいいんだ」


 早口気味にそう言うと、ナシュカ様は俯いていた瞳をこちらに向けた。暗いせいか、空色の瞳には闇の色が混じっている。


「なあルルベル殿。私にはしたいことなんて無いんだ。仮にあったとして、今の私に何ができるっていうんだ? 望んだところで、何も手に入りはしないんだよ」

「そんなことは……ナシュカ様は、やろうと思えば何だってできる方ですわ」

「……どうだかな」


 ゲームで見たナシュカ様とは、全く違う。ナシュカ様は基本的にどのルートにおいても前向きで、弱音を吐くことはない。自信と誇りに溢れていて、その立ち姿には威厳すらあった。

 それが今はどうだ? 瞳は陰り、背は丸まり、口から発せられるのは自信を失ったような言葉ばかり。この世界にやってきて知った、ナシュカ様の裏側。いや、きっと裏側なんてものじゃない。ただ今まで抑えてきたものが溢れ始めているだけだ。それくらい、限界が来ているのだ。


 ゲームでは限界が訪れそうになることなんて無かったのに……。

 もしかすると、自分より悪い精神状態にある攻略対象たちのカウンセラーをすることで自分自身をも慰めていたのかもしれない。助けることができたという満足感を得られて、安定していたのかもしれない。

 しかし今のナシュカ様は誰も攻略していない。その上、魔族と親しくなりつつある。元々罪悪感を感じやすいナシュカ様にはきつい状況だろう。


「……ナシュカ様がもし魔族だったら、魔法を使えなかったかもしれませんわね」

「どういう意味だ?」

「魔法の強さは、望みの強さなんですの」


 かつてグレイは言っていた。

 魔法に重要なのは、それを"したい"と思う気持ちだと。


「私も最初はよく分かりませんでしたわ。でも。ナシュカ様の傷を治した時、はっきりと分かったんですの。治ってほしい、治したい。早く元気な姿が見たい。その気持ちが、魔法にそのまま反映されているのが」

「すまない、ルルベル殿。その例えはよく分からない……」

「……つまり! 私のしたいことはあなたを幸せにする手伝いなんですの! もうあの時みたいに、何か役に立たないと側にいる価値が無いなんて思っていませんわ。ただ、私が、私の望みで、あなたの役に立ちたいんですの」


 そこまで言われると、ようやくナシュカ様も何を言われているのか理解したらしい。

 じわじわと顔を赤く染めていくと、彼女は口を開け、また閉じると、再度開いた。


「……とんだ幸せの押し売りだ」

「だめ、ですか……?」

「いや。ふ、はは……じゃあ可愛い幸せ屋さん、一つ注文をいいか?」


 どこか子供っぽい、しかし相手をからかうような瞳だ。その瞳を閉じると、彼女は体重を私の肩へと預けた。


「なっ、ナシュ」

「側にいてくれ」

「え……?」

「側にいてくれ、ルルベル殿」


 随分とささやかな望みだ。それでも、彼女が自分の口からこんな甘えるような望みを口にするのは相当に珍しい。私にとってはささやかでも、彼女にとっては大事なのかもしれない。


「……お安い御用ですわ」

「代金はいくらになる?」

「あなたが幸せになるのが代金ですわ」

「赤字になりそうだな」

「踏み倒さないでくださいね、ちゃんと払ってもらいますから」

「努力しよう」


 私の肩にもたれているから表情は見えないが、どうやら笑っているらしい。肩に振動が伝わってくる。


「ねえナシュカ様。あなたは無欲過ぎますわ。どうかこれから、ささやかなものからでもいいので手に入れていってください」

「ささやかなものって?」

「何でも良いんです。昔欲しかったものでも、今欲しいものでも」

「ふふ、大抵のものは金を払えば手に入るな。ああでも……私が欲しがるのはいつも難しいものばかりだったから」


 ぽつりぽつりと、ナシュカ様は話し始める。


「白猫を飼いたがったり、ヴルフの奴に付いて行きたがったり。フリーゼ家の後継としては失格も良いところだな」

「フリーゼ家の後継以前に、あなたはナシュカ様という一人の人間なんですのよ。嫌なことは嫌って言……うのは、結構勇気がいるし、難しい、けど……」


 かつての自分の人生が頭をよぎると、自分にも思い当たる節があり私は言葉を濁らせた。


「けど……誰かのために不幸を受け入れないでほしい、ですわ……」

「優しいな、ルルベル殿は」

「あなたにだけですわ」

「ふふ、どうだか。町民たちにも優しくしてやっているのだろう? 彼らから話は聞いているぞ。紫の瞳をした魔族の女の子は優しいと」


 それは初耳だ。私もナシュカ様の二十四時間全てを聞いているわけではないから、聞き漏らしも多い。

 時々ナシュカ様と町民との会話を聞き取ることができても、魔族との付き合いを心配されるような声ばかり聞こえていたように思っていたが……。


「そんな嘘をつかなくても……」

「嘘じゃない。……きつく当たっていた手前、本人に言いにくいだけだ。なあ、この分ならもしかしたら本当に……ルルベル殿が言っていた未来も叶うのかもしれないな」


 私の肩から頭をもたげ、ナシュカ様は私に向き直ってそう言った。

 今までは「そうだったらいいな」という幻想を見ているようだったナシュカ様の瞳は、確かに現実味を帯びた視線になっていた。


「……ええ、ええ! もちろんですわ! だって私だけでなく、みんなで協力しているんですもの!」

「そうだな……三ヶ月前には、まさか魔族が堂々と店に住むなんて考えもしなかったからな。これからも、何が起こるか分からないな」

「ふふ、三ヶ月後には、ナシュカ様も城を飛び出してグッドマンさんと旅をしているかもしれませんよ」


 そう言うと、ナシュカ様は豪快に笑って「それは良い!」と満点の笑顔を見せた。


「その時には是非、ルルベル殿も一緒に来てくれ!」



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