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第22話 後悔



 それからあっという間に月日は過ぎて、気付けば九月になっていた。


 その間、五回目のパーティと六回目のパーティの間に二回。六回目のパーティと明後日に控えた七回目のパーティの間に三回、ナシュカ様がヴルフの店に泊まりにきていた。

 時期が時期なだけに、友人のいる普通の夏休みってきっとこんな感じなのだろうと、私は空想の中の夏休みに思いを馳せた。

 もっとも、ナシュカ様はここに仕事を持ち込んでいるため、夏休みというより勉強合宿と言った方が近いのかもしれないが。


「ナシュカ様、グッドマンさんが紅茶を淹れてくれましたわ。どうぞ。……お仕事、終わりそうですか?」

「ありがとうルルベル殿。そうだな、あと八枚……いや、十……」

「……六くらいにしませんか?」

「七……七枚終わったら、な?」


 頬を指で掻いて、ナシュカ様は笑う。いつもの、ハの字眉の困ったような笑い方だ。この笑い方は、ヴルフに少し似ている。


 ……ヴルフは、まだナシュカ様にフリーゼ家の真実について話せずにいた。


 ナシュカ様の私生活を盗み聞きし始めて分かったことは、彼女には休む暇がほとんどないということだった。過酷な訓練と、内政の書類業務や勉強、他の家との外交、発生した魔族の討伐、そして、縁談の吟味。それが彼女の生活のほとんど全てだった。

 そして何より重要なのは、彼女がそれらの仕事に対して楽しさを全く見出せてはいないということだった。

 魔族の討伐に至っては、優しい彼女は心を痛めるようになっていた。時々聞こえてくるギルベルト団長との会話でも、魔族を殺すことへの罪悪感についての話が多い。


『魔族との交流会への参加は……やはりナシュカ様には向いていなかったのではありませんか?』

『なんだと?』

『外交的な意味で言っているわけではありません。ただ……ナシュカ様は優しすぎます。あまり魔族に肩入れすると、辛くなりますよ』

『……分かっている』


 ナシュカ様は、ギルベルト団長の前では多少弱った姿を見せるくせに、普段はそんな様子は欠片も見せない。ここに来る時はいつも元気いっぱいといった表情で、仕事で疲れていますなんて顔はほとんど見せないのが常だった。

 強い人だ。本当に。でも……以前ヴルフが言ったように、こんな生活を今後も継続するのはどう考えたって負担が大きい。


 そこで六回目のパーティの前日、私はこの店に住まう全員を集めて、あることを提案したのだった。


 ディグニスで発生した魔族の対応を、自分達が行えないだろうかと。


 当然だが、こんなこと一商人、一魔族の独断で決められることではない。国防を担当する家、要するにフリーゼ家に打診したのち、シュタイン国王に許可を求める必要があった。

 魔族は全員賛成だった。意外だったのは、人間との交流に否定的なゾーイも賛成したことだった。何か裏でもあるのかと疑ったが、よくよく話を聞けば、自然発生しただけの魔族が殺されるのは嫌だという、至極真っ当な理由であった。

 しかし一人だけが異を唱えた。


 ヴルフだった。


 これも意外だった。ナシュカ様の負担が減るのだからヴルフはむしろ一番賛成してくれると思ったのだ。

 ヴルフの意見は、フリーゼ家と国王を納得させられるだけの実績が自分達にはまだ無いというものだった。……事実でしかなかった。


 私たち魔族がディグニスにやってきて三週間と少し。私たちを取り巻く状況は、大きく変化したわけではなかった。

 元々の常連はこの店を避暑地としてすっかり居着くようになったが、その他の客はまだ玄関で二の足を踏んだり買い物の時に目を合わせなかったりすることがほとんどだった。

 ヴルフや常連たちが私たちと町民との仲を取り持ってくれているが、それでも何か異質なものを見るような視線は絶えない。街に出て暴力を振るわれる頻度も減りはしたが、ゼロではない。


 私たちはまだ、この街に馴染めずにいた。


 ヴルフが言っているのは、実績もそうだが町民からの信頼がないという部分が特に重要らしかった。

 なにせ町民の安全に直結するような仕事なのだ。この街に来て一ヶ月にも満たない魔族たちに任せられるはずもない。


 六回目のパーティの時、リンハルト殿下とギルベルト団長、そしてナシュカ様にそのような話を出したところ、三人とも顔を顰めた。

 リンハルト殿下とナシュカ様は「申し出はありがたいが、難しいと思う」と言い、ギルベルト団長は何も言わずに深く刻まれた眉間の皺を伸ばしていた。言外に「無理だ」と言われた気がした。

 その後も私たち二号店メンバーの中では時々この話が浮上するも、結論はいつも同じだった。


 "実現は難しい。"


「ナシュカ様、いつも大変ではありませんの?」

「何がだ?」

「お仕事……ここに来るたび持ってきていらっしゃるので」

「まあ……これは義務だからな。仕方ない」

「こんなに忙しいのに縁談話の対応まで……前も良い人がいないと仰っていましたし、もう初めから全部断ってしまってはいけませんの?」


 そして代わりに私とお付き合いしませんか?

 そうしたら、こんな面倒な仕事も、心を痛めるような討伐も、興味のない縁談も、何も無いところへ行って、好きなことをして穏やかに暮らすんですよ。


 そう、言いたかった。しかし私がそれを口にすることは無かった。それは烏滸がましさからだったかもしれないし、実現不可能だと分かっていたからかもしれない。


「断れたら楽なんだがなぁ」

「私は……ナシュカ様には少し楽をしてもらいたいですわ」

「十分させてもらっている。夏だというのに涼しい場所で仕事ができて、話だってルルベル殿が聞いてくれる」

「ギルベルト団長だって、言えば聞いてくれるんじゃありませんか?」

「うーん……まあ聞いてはくれるが」


 あいつは少し偏屈な奴だからな。


 紅茶を啜りながら、ナシュカ様は笑った。

 魔族に対して友好的なナシュカ様と魔族に対して懐疑的なギルベルト団長は、時々意見の相違を起こす。お互い大人なので喧嘩に至ることはないが、途端にしん、と会話が止む執務室の音声は心臓に悪かった。


「お喋りの相手には、向かんな」

「私は向きますか?」

「ルルベル殿は向くとも。初めて会った時は少しビクビクしていたみたいだったが、最近は口数も増えた。私の話も遮ったりせずに聞いてくれるし、何より話を聞く時楽しそうだ」


 ナシュカ様は目を閉じ、そしてゆっくり開けると、手を止めて一瞬こちらを向いた。


「ルルベル殿のような可愛らしい友人を持つことができて、私は幸運だよ」


 "友人"という言葉に、私は線引きをされたような気持ちになった。もちろんナシュカ様にそんな気は無いだろうが。

 いや、欲張るな私……!

 十分じゃないか。あのナシュカ様と友人だぞ? 何を不満に思うことがある。誇りに思えばいい。私はこの国で最も美しく、気高く、優しい人の友人の一人なのだと。


「わ、たしも……嬉しいですわ。ナシュカ様みたいな素晴らしい方と、友人になれて」


 ……そうだ。ナシュカ様と友人になれたことは、私が生きてきた今までのどんなことより幸福なことだった。

 今まで神か何かだと思っていた相手とここまで近付けたのだ。これ以上を望むのは……彼女から友愛ではない別の愛を得ようとするのは、望みすぎだろう。私は話題を変えた。


「そういえば、この間殿下が魔族に親切にしてくれる理由についてお話を聞かせてくださったんですけど、良ければナシュカ様が魔族に対して優しくしてくれる理由も聞かせてくださいませんか?」

「……殿下? ああそういえば、昔魔族に助けられたことがあると聞いたことがあるな。……私のは、その話と比べるとつまらないと思うが」

「構いませんわ。面白いから聞きたいんじゃなくて、ナシュカ様の人となりを知りたくて聞いているんですもの」


 そう言えば、ナシュカ様はにこにこと笑みを浮かべてペンを持ち直した。


「あと六枚、終わったら話そうか」



 ナシュカ様は紅茶をぐい、と流し込んだ後、集中して仕事に取り掛かった。その間会話は無く、私も彼女の邪魔にならないようベッドに腰掛けて本を読んでいた。以前読みかけだった"白猫のロージー"だ。


 毛の色が白色だというだけで人間たちから嫌われた野良猫が、優しい人間に拾われる話。まだ全ては読めていないから、この猫が本当に魔族なのかそれともただの猫なのかは分からない。

 ……この世界において、白色や銀色を持って生まれた存在は皆こういった扱いを受けるものなのだろう。私はこの本を読みながら、なんとなく脳裏にヴルフの顔を浮かべた。


 私が本を読み終えるより、ナシュカ様の仕事にひと段落つく方が早かったらしい。

 すぐ隣で、ペンが置かれる音がする。


「お疲れ様ですわ、ナシュカ様」

「ああ。ん……その本。前も読んでいたな、気に入ったのか?」

「え、ええと……実は私、恥ずかしいのですけれど、字を読むのが遅くて……」


 以前は恥ずかしくて言えなかったが、ナシュカ様はそんなことで笑ったり蔑んだりするような人ではない。良き魔族である必要はあれど、"完璧"な魔族を演じる必要は、もう無い。

 だから、私は読み書きに時間がかかることを正直に話した。

 ナシュカ様はそれを聞くと、やはり笑うでもなく蔑むでもなく、ただ「そうだったのか」と言って私の隣に座った。


「私が読もうか?」

「えっ、……いや、ここまで読んだんですもの。残りも頑張って自力で読みますわ」


 私はぱたんと本を読むと、隣に座るナシュカ様に向き直った。


「今日はナシュカ様のお話を聞きますわ」

「……さっきも言ったが、私の話は殿下の話と違ってつまらないぞ」


 そう前置きをして、彼女は話し始めた。


「知っているとは思うが、私が生まれた時、既に人間と魔族の関係は最悪だった。私は国防を担うフリーゼ家の後継として、魔族を殺す術と彼らがいかに悪逆な存在であるかを教えられてきた。……教えを理解できていたかは、怪しかったがな」


 ただ、魔族という連中がいて、そいつらが何か良くない存在であることだけは分かっていた。

 ナシュカ様はそこまで言って、ちら、と私を窺った。幻滅しただろうか、とでも言いたげな様子だった。


「……私の初陣は、十五の時だった。標的は、人の姿をした魔族だった。髪を染め、人間に紛れて暮らしていたその男は、何かの拍子に魔族であることがバレてしまっただけの、ただの男だった。人間から暴力を振るわれ、身を守るために魔法を使っただけの男だった。だが、人間に危害を加えたのであれば、我々は殺さなければならない」


 無抵抗だったよ。


 ナシュカ様は小さくそう言うと、項垂れた。


「私の初陣は随分呆気なく終わった。……その後だ。その場に残った遺品回収の時に、彼の服の中から一枚の手紙が落ちた。友人から送られたであろう、楽しげな内容だった。……彼は、普通の人間と何も変わらなかったんだ。私は、何故彼を殺したのか分からなくなった」


 もちろん、人間や家畜を襲う魔族がいることも事実だ。しかし、ナシュカ様やリンハルト殿下が話したように人間に紛れて生活するような魔族だっている。しかし、いずれも人間にはない魔法を使い、害を成す可能性がある。無害か有害か判別できないのであれば、どちらも殺すしかない。

 ナシュカ様は、優しい人だ。無害だと感じた相手を、無抵抗の相手を、殺すことに躊躇いがある。それでも強靭な精神力で仕事をこなしていた。


「私はあの初陣を、いや、その後のほとんどの討伐を、後悔している。……私があなた方に対して親切に見えるのならそれは、贖罪のつもり、なのかもしれないな」

「贖罪なんて……ナシュカ様は……何も悪いことはしていませんわ。ただ、仕事をこなしているだけです」

「一日前まで人だったものを殺すことが、真っ当な仕事か?」


 絞り出すように言われたその言葉は、普段の彼女からは考えられないような冷たい声で放たれた。ゲームでさえ聞いたことのない、温度のない声。

 しかし彼女はすぐにはっと我に返り、いつもの調子に戻った。


「あ、いや……はは、すまないな。忘れてくれ」

「……忘れませんわ」

「え?」

「ナシュカ様」


 ベッドに付いていたナシュカ様の手の上に、ひと回り小さい自分の手のひらを重ねる。上向いて、彼女と目が合うと私は口を開いた。


「いつか……いつかあなたが、魔族を手にかけなくても良い世界に……しますわ」

「ルルベル殿……」

「あなたが自分の心に嘘をつかなくて良い世界を、作りたいんですの」


 ナシュカ様は目を見開いて、私の告白を聞いていた。

 私が言い終えると、彼女は初めてここに泊まった時と同じように、実現不可能な幸福の夢を見るような笑みを浮かべた。


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