第21話 ブローチの行方
リンハルト殿下とかつての思い出話や今後の展望について互いに語り合った後、私達はホールへと戻った。ダニエルと話すナシュカ様が視界に入り、私は彼女の元へと駆け寄って、その仲に混ざる。三人で語らう時間はとても楽しくて、楽しいからこそ、少しだけ罪悪感も湧いた。
ここでの会話は全て、グレイにも聞こえていたからだ。
*
──十一日前。
グレイの過去の告白があったあの日、私は彼が差し出したブローチを受け取らなかった。
「それじゃあルルベル。引き続きパーティを楽しんで……」
「"コール"」
手の中にあったナイトメアドットが、ぱきりと小さな音を立てて割れる。
「……っ、ルルベル」
「……水臭いですよ、グレイ」
突然呼び捨てにされたグレイは驚いたような顔で私を見上げる。捨てられた子犬のような暗い瞳に、光が差し込む。
「グレイがしたことを許せるかどうかは、分かりません。ルルベルの意見が分かりませんから。でも、私は……この世界に来て、グレイ達に会えて、良かったと思っています。推しだからとかではなく……単純な話になりますけど、友人ができたみたいで、楽しかったんですよ」
「……」
「確かに私はグレイの言うことを聞いてはいますけど……それでも、何でもじゃない。この世界に来てから、誰かに何かを強制されるより、私が自分で選んだことの方がずっと多いんです。そしてたぶん、これからもっと増えます」
グレイの手のひらを、割れた黒い石ごと両手で握りこんで、私は言った。
「私は……あなたの隣にいても自由なんですよ」
「……いいの?」
「はい。でも、グレイのしようとしていることが正しいと思えない時は……その時は、私はあなたの前に立ちはだかって、遠慮なく手を噛みますよ」
ブローチだって引きちぎってやります。
そう伝えると、グレイは眉を下げてどこか満たされたように微笑んだ。
「そう……だね。うん…………ありがとう、鈴さん。ルルベルになったのが、君で良かった」
グレイはそう言うと、私の手が離れていくのをどこか名残惜しいような目で見送った。
手の中に残された割れた石に視線を戻すと、彼は「あとこれ、結構貴重なんだけどね」と笑ったので、私はそれについては平謝りをするしかなかった。
「……俺も聞いても良い?」
平謝りをする私をひとしきり笑った後、グレイは私の顔を下から覗き込むようにして視線を合わせた。もう勝手に記憶を読むなんてことは、なかった。
「君の知っている未来では、俺たちは……三つ、だったかのルートで戦争に負けるんだよね」
一度しか話していないのに、よく覚えているものだ。
彼が言ったように、グレイが戦争を仕掛けるルートは三つ。そしてその全てに、勝利エンドと敗北エンドがある。
わざわざバッドエンドに行くなんて、エンディング回収のためにしかやらないから、それぞれ一回ずつしか見たことがないが。
「それで……君は最初、その俺たちが負けるルートに行こうとしていた」
「その節は本当にすみませんでした……まだこの世界をただのゲームだと思っていたもので……」
「ああ、違うんだよ。それはもういいんだ。前も謝ってくれたからね。そうじゃなくて……君は、自ら死ぬルートに向かおうとしていたってことだよね?」
察しの良いグレイは、きっと初めて聞いた時からこのことについては気付いていただろう。
でも今になってそれを言い出したのは……私とグレイの間に、信頼が生まれつつあったからかもしれない。
「……自分の未来を知っているなら、普通は死を避けるよね? ……どうして?」
「それは……」
そして、グレイが私にある程度の信頼を感じてくれたように、私も、彼に対して同じものを感じていた。
「私は、ナシュカ様をハッピーエンドに連れて行きたかったから……でも、そのためにグレイ達の命を軽んじたことは、本当に申し訳なく思っています」
「……そう。でもね、君が軽んじているのは俺たちの命だけじゃないよ」
グレイはベッドを押し、ゆっくりと立ち上がる。すらりとした長身は、真正面に立たれると意外と圧迫感がある。
話しにくいと一歩後ろに下がろうとするが、それを止めたのはグレイの腕だった。背中に回った彼の腕が私を抱き寄せると、彼は首を下げてこう言った。
「……君自身も、君を大事にして。君が、俺に言ってくれたみたいに」
背の低いルルベルは、グレイに抱きしめられるとほとんど胸に顔を埋める形になる。だから、彼の表情は分からない。けれど、この声色はひどく切実で、真摯なものだった。
大切にされるって、きっとこういうことなんだろう。
"前"は終ぞ受けることのなかったその感覚に、私はじわりと涙が浮かんだことに気付いた。
「……はい」
良かったじゃないか、グレイ。
たぶんだけれど、今あなたが言った言葉と感情が、愛というやつだ。つい最近まで「よく分からない」と言って困った顔を浮かべていたくせに、ちゃんと、持っているんじゃないか。
本人が気付いているかは、怪しいところだが。
しかし愛というのは、案外、失う恐怖と隣り合わせならしい。
「……フリーゼ公爵令嬢のために、死のうとしないで」
「……」
「約束して」
私は黙り込んだ。
沈黙が長引くほどグレイを不安にさせることは分かっていたから、早く返事をしなければならないのに。でも、どうしても肯定の言葉が出なかった。
だって、目の前でナシュカ様が攻撃を受けていたら、私はたぶん身を挺してしまう。もし戦争を防げなかったら、彼女の味方についてしまう。
でも……約束しないとグレイは不安なままだ。手にしたかったものを手に入れたのに、それがこぼれ落ちていくのではないかと、怯えてしまう。
彼は案外、繊細な人だから。
「………………分かりました」
長い沈黙の末、私は呟いた。
「本当?」
「……善処します」
「うん……善処して」
グレイも、この約束の効力がかなり弱いものだとは感じ取ったらしい。しかしそれ以上約束の履行を強要することはなく、彼はするりと私を解放した。
女の子の部屋に長々居座るのも良くないから。彼はそう言うと、扉に手をかけた。ドアノブを捻る前に一度こちらを振り向くと、最後にまた笑みを浮かべた。
「……ありがとね」
それだけ伝えると、グレイは今度こそ部屋を出て行った。
その言葉がどれに対する感謝なのかは明確ではないが、それでもどこか満足げなあの面持ちを思い出して、私は安堵の息を吐いた。
*
グレイのブローチの継続利用について、私は了承した。でも、ナシュカ様やダニエル達には、今も秘密のままだ。
彼女たちには正直悪いことをしていると思うが、それでもやっぱり私はこれは必要だと思った。特に、魔族に対しある程度好意的な人間の集まるこのパーティでは。
『……グレイ、話は聞こえていましたか? 人間にも、共存に前向きな方はたくさんいますよ』
胸に咲いた黒いブローチに触れて、魔力を流す。
グレイに戦争を起こさせない。仮に起こってしまっても、やり直せるきっかけを作りたい。
そのためにも。自分の中でほぼ全ての問答が完結してしまっていた彼に、人間を、他者を、よく知ってもらいたいのだ。




