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第20話 殿下と一人の魔族


「ルルベル、ディグニスの生活にはもう慣れたか?」

「ええ。順調ですわ。これもひとえに皆様のおかげです」


 五回目のパーティは蒸し暑い夜だった。

 参加者は皆比較的薄手の衣装を纏い、デザートにと並べられたアイスクリームに舌鼓を打っている。

 リンハルト殿下も首筋に汗が伝っており、夜とはいえ、魔法で体温調節ができない人間にとっては苦しい環境のようだった。


「……ディグニスに来てすぐの頃は、まだ暴力を振るわれたり罵倒されたりすることが多かったのですけれど」

「それは……本当にすまない。シュカリオンから魔族が来訪しているという旨は民にも知らせているんだが……」

「構いませんわ。最近は少し減ってきましたもの。元々の常連さんも戻ってきてくださいましたし」


 そう言うと、リンハルト殿下は驚いたように声を上げた。当然だろう。魔族が常駐している店に常連客がいるなんて、普通ではありえないのだから。

 これはヴルフの人望によるところも大きいが、決して反撃をしなかった魔族側の忍耐力によるところも、かなり大きい。


 ディグニスに住み始めて約一週間半。

 私たちは、"ヴルフの店の中"という限定付きではあるが、存在を忌避される機会は減っていた。外ではまだ……迫害の傾向が強いけど。


「最近暑くなってきたから、魔法でグッドマンさんの店の中だけ涼しくしているんですの。常連さんなんかはよく涼みに来てくれるので、慣れたのかもしれませんわね」

「えっ、それは良いな……魔法で気温も変えられるのか……」

「流石に外では難しいですけど、室内であれば……良ければここでも使ってみましょうか?」


 ルルベルは、魔力の弱い魔族。

 彼らにとっては、そういう設定で通っている。本当は町一つを簡単に滅ぼせるだけの魔力がある("今のルルベル"にそれができるかは分からないが)なんて、今も彼らに明かす気はない。

 でも、魔法の力を見せることで共存に対して彼らが積極的になるのなら、疑われない範囲で使ってみせよう。そう、思えるようになっていた。


「る、ルルベル……気持ちはありがたいのだが、あまり無理は……」

「大丈夫ですわ。最近グッドマンさんが魔力のジャムをサービスしてくれるんですの」


 懐から瓶を取り出し、アイスに使っていたティースプーンでジャムを掬って口に運ぶ。身体の内側で魔力の蠢きを感じながら、私は微笑んだ。


「"コール"」


 ひとたびその言葉を発すれば、私を囲むように冷たい風がそよそよと吹き始めた。やがてその風が半径を増していくと、冷たい空気がホール全体を覆うような風の流れができあがっていた。

 周囲にいた参加者たちは何事かと私を見たが、それは侮蔑や恐怖の眼差しではない。驚きや歓声、それが私に向けられたものだった。新鮮だ。"前の人生"でも、"ルルベルの人生"でも、こんな風に良い意味で周囲からの関心を集めたことは少なかったから。


「ああ、涼しい。ドレスが汗でダメにならなくて良かったわ」

「夏なのに涼しい部屋でアイスが食べられるなんて……」

「魔族のお嬢さん、ありがとう」


 彼らは思い思いの言葉を口にして、そしてまた穏やかな談笑の中へと帰っていく。いつか、私たちが使う魔法がこんな風に誰からも恐れられなくなるくらい、優しい魔法だけを使いたい。

 "コール"の一言に、皆が肩をびくつかせなくても済むように。呪文を唱えようとする口を、石で塞がれないように。


「……良い景色だ」


 参加者たちと私のやりとりを隣で見ていたリンハルト殿下は、新緑の瞳を輝かせて私へと向き直った。


「……なあ、ルルベル。私はな、このパーティの中での関係性が、外の他のところでも普通になってほしいんだ。その場に魔族がいることに嫌悪感を抱かず、彼らが魔法を使うことに過剰に怯えなくていい。そんな世界に……」


 そこまで言って、リンハルト殿下は途端に口をつぐむ。

 未来を夢見る子どものような目の輝きは、一瞬にして曇り、現実を知る大人の瞳へと変わった。


「すまない……口ばかりで。そう、思ってはいるのだが、なかなか父上たちには進言できていないんだ」

「そんなことありませんわ。……だって、今私たちがディグニスにいられるのだって、殿下のご尽力あってこそですもの」


 シュタイン家全体が魔族嫌いなのは、仕方のないことだった。魔族による被害が増えれば責められるのは王族や国防を担う家だ。そんな中で、魔族を嫌わないでくれと言ったところで難しいのは当然だ。

 彼らは二百年前からずっと、魔族による被害の責任を取り続けている。そして、その責任を「魔族の討伐」という形で果たされるのもまた、仕方のないことだった。


 王族の中では、むしろリンハルト殿下のような人の方が珍しいのだ。


「殿下は……どうして魔族に対してそこまで良くしてくれるんですの?」


 聞かなくても、知っている。

 しかし、本人の口から聞くことに意味があるのだと、私はこの間のグレイとの一件で思い知った。口にすることで安らぐ想いもある。知らなかった事実も、知ることができるかもしれない。何より、過去の告白は信頼関係にも繋がってくる。

 私はこの世界について何だって知っている気がしていたけれど、そんなことは無いのだ。あくまで「ゲームの世界の彼ら」を知っていたに過ぎない。


 今ここにいる彼らのことは、彼らの言葉からでしか、知ることはできないのだ。


「……昔、魔族の方に助けられたことがあるんだ」


 話せば長くなる。殿下はそう言って話を切り上げようとしたが、私は食い下がった。


「詳しく聞きたいですわ。殿下が、私たちに優しいその訳を」


 リンハルト殿下は迷うように視線を彷徨わせた後、私に付いてくるように言った。辿り着いた先はバルコニーで、私はいつかここでダニエルやナシュカ様と食事をしたことを思い出していた。

 殿下はバルコニーの柵に肘をつくと、深く息を吸って、苦い顔で語り始めた。


「……十歳くらいのことだ。護衛を一人だけ連れて、こっそり街に降りたことがあった。だがシュタイン領は……実は結構貧富の差が大きくてな。治安の悪いところは本当に悪いんだ」


 トラウマにでもなっているのだろうか。リンハルト殿下の瞳には影が落とされていて、手も震えている。

 しかし彼は小さく震えていた口で一呼吸置くと、続きを話した。


「世間を知らなかった私は、そのまま貧民街へと迷い込んだ。護衛は帰ろうと言ってくれていたというのに、私は言うことを聞かなかった。そして……私たちはその集落の、盗賊に捕まった。王族と分かるような身なりはしていなかったが、それでも彼らからすれば十分金になる服だった。見ぐるみを剥がされ、護衛は殺され、私は牢に入れられた」


 ……恐ろしかったよ。

 リンハルト殿下は固く目を瞑り、振り絞るようにそう言った。当然だ。十歳で盗賊に拉致され、目の前で護衛を殺されれば、誰だって恐ろしいと感じるだろう。


「あのままだったら、私はきっとどこかに売られていたのだと思う。だがな、助けが来たんだ」

「それが、魔族の方だったんですの?」

「ああ。髪を茶色に染めていたから、私も初めは彼女が魔族だとは気付かなかった。だが、彼女が触れただけで鉄格子が溶けたのを見て、私は彼女を魔族だと確信したんだ。……牢を出た私は彼女に、礼を言うよりも早く護衛を助けてほしいと縋り付いた」


 今思えば何と傲慢だったのだろうと、反省しかない。

 苦笑いを浮かべるリンハルト殿下は、なおも続けた。


「伸びている盗賊連中の中で、血だらけで倒れている護衛の姿を見て、彼女はこう言った。無理だと。死んだ者は、魔法の力でも生き返らないのだと。……絶望したよ。魔法は万能だと思っていたから」

「殿下……」

「彼女は盗賊の服を剥ぎ取って私に着せると、私一人を連れてその場を出た。その晩は彼女の家に泊めてもらったんだ。何の気まぐれか人間に紛れて暮らしていたらしい彼女は、あの盗賊のような連中を壊滅させるのが趣味だと言って笑っていた。彼女は結構豪胆な人で、話を聞くのは楽しかったよ。……いや、今思うと、護衛を失ったばかりで動揺していた私を、元気付けようとしてくれていたのかもしれないな」


 一晩でその女性と仲良くなったリンハルト殿下だったが、最後まで彼女には名前を名乗らなかったらしい。王族だと知られれば問題になると思っていたのだと、彼は語った。そして自分が名乗らなかったから、彼女も名乗らなかったとも。

 しかし、名乗らなかったことを殿下は今でも後悔しているようだった。


「……朝になって、私は城に戻ろうとした。だが道が分からなくて、富裕層の街の入り口まで、彼女は着いてきてくれたんだ。……私は、自分が捜索されているなどこれっぽっちも思っていなかった。街の近くで衛兵を見つけた時、彼は彼女のことを私を攫った犯人だと誤解した。……それで」

「どうなったんですの……?」

「……彼女は撃たれた。でも、魔族は血が出ないだろう? 身体から霧が出ている彼女を見て、彼は発砲を続けた。彼女は死にはしなかったが……何も言わずにその場を去った」


 グラスを持っていない側の手で、リンハルト殿下は手のひらに爪の跡が残ってしまいそうなほど強く、握り拳を作った。その表情からも、彼が当時のことを強く後悔していることはよく伝わってきた。


「……誰に説明しても信じてもらえなかったよ。悪い夢だったと諭され、早く忘れるようにと父からも言われた。でも、忘れられなかった。大人になってもう一度彼女の家に行ってみたが……そこにはもう別の人が住んでいた」

「今でも、会いたいと思いますの?」

「……ああ。もう一度彼女に会って、あの日の礼と謝罪をさせてほしい。より良い国になれば、もしかしたら彼女もまた戻ってくるんじゃないか……なんて、甘い考えかもしれないが」


 誠実な人だ。

 リンハルト殿下は、ゲーム版でもグレイを退けた後、それでも魔族に対する迫害をどうにかしようと奮闘してくれていた。そんなリンハルト殿下の結婚スチルには、印象的な茶髪の女の後ろ姿が確認されている。

 彼女もまた、殿下のことを覚えているのだ。たぶん、この世界でも。


「……きっと、殿下がそのままの誠実さを持ち続けていれば、また会えますよ」

「そう、だといいな……」

「ええ。その時は、是非その方を私達にも紹介してください」

「ああ……! もちろんだ!」


 星空を眺めるリンハルト殿下の表情には、最初の暗い面持ちはもう見当たらなかった。新緑の瞳は星空を写して輝いている。


 傷一つ無い、純粋さの塊のようなリンハルト殿下にも、恐ろしい地獄のような過去がある。

 ディグ戦に出てくる攻略対象キャラクターは、心に闇を抱えた人ばかりだ。主人公は時にそのカウンセラーになり、時に導き手になり、彼らを光りの中へと連れて行く。


 でも……心に闇を抱えているのは、ナシュカ様も同じだ。

 ナシュカ様のネックレスへと意識を巡らせた時、彼女の周囲の言葉が聞こえた。彼女を見る人々の目が、見えた。それはゲームで私が知っていたものよりずっと過酷なもので、何故「ナシュカ様なら大丈夫だろう」なんて無責任に思えていたのか不思議なほどだった。


 ナシュカ様一人の選択で未来が変わっていく。

 以前グレイにそう話した時、彼は「単純な世界だ」と嘲笑った。でも、今思うと本当にそうだ。この世界はゲームじゃない。彼女には一人の人格があり、心がある。だから、彼女一人に全てを背負わせるなんてことを、この世界では絶対にしてはいけないのだ。

 そしてそれは、きっと私とナシュカ様の二人だけで背負うものでもない。みんながそれぞれ背負っていくものだ。だからこそ、色んな人との協力や信頼を作っていく必要があるのだ。


 ……絶対に辿り着いてみせる。

 グレイが三回繰り返しても見ることのできなかった、ハッピーエンドに。

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