第19話 グレイの真実
ヴルフの店の二階部屋。綺麗な服に着替えたグレイは、今朝までナシュカ様が使っていたベッドに腰を下ろした。
色々あって疲れただろうから横になって休めと、私が無理やり連れて来たのだ。しかし当然、私の目的はそこではない。
聞き出さなければ。グレイの、先ほどの言葉の意味を。
「……グレイさん。さっき言っていたことは、どういうことですか?」
──君に"心を与えた"のは正解だった。
先ほど、グレイは確かにそう言った。それも、私にだけ聞こえるように。
"心を与えた"って、一体何なんだ? どういうことだ。怒鳴りたくなる気持ちをどうにか押さえつけて、私は冷静を保とうと震える口で深く息を吸った。
「私に、心を与えたって……」
「言葉通りの意味だよ。正確には"君に"じゃなくて、ルルベルに、だけどね」
「よく、分からないです……。グレイさんの言ってること……」
「うーん……そうだな。結論から言うと、ルルベルの中に君の魂を入れたのは俺、ってことかな」
「は」
思わず声が漏れる。私の魂がルルベルに入ったのは、私がこの世界に来たのは、グレイが意図的にやったことだって?
なんで。どうして。そう言ってやりたいのに、言葉が出ない。
こちらを向いた青い瞳が困ったように細められて、二、三、閉じたり開けたりを繰り返す。なんでグレイがそんな顔をするんだ。困った顔をしたいのはこっちの方だ。怒りと動揺がぐちゃぐちゃに混ざり合って、私の頭はとてもじゃないが意味のある言葉を発せるような状態にはなかった。
「……順を追って説明しようか。ここに君が来るまでの、俺の話になっちゃうんだけど」
そう言うと、グレイはベッドに深く腰掛けて、その長い脚の間で手を組んで語り出した。
「さっき、昔魔族同士で争ったって話したでしょ? あれさ、本当は昔じゃないんだ」
「…………最近ってことですか?」
「いいや。──未来ってことだよ」
「え?」
「俺は人間を滅ぼしたんだ」
知らない世界の、話だ。
未来では、グレイは人間を滅ぼしていただって? ゲームでは、そんな未来無かっ……。
……いや、ある。
ナシュカ様がグレイに敗れる、バッドエンドならばそういう未来になるだろう。しかし何故そんな未来をグレイが知っている?
「ああ、滅ぼしたって言っても最初は共存に前向きだったのは本当だよ? 俺は人間が嫌いじゃなかったし、無駄に争うのも馬鹿馬鹿しかったから」
「じゃあ、どうして……」
「自分の努力は報われないと理解したからさ。君の知っている未来では、俺は戦争で負けたらしいけど、俺の知っている未来では俺が勝ったんだ。人間は滅んで、魔族だけになった。それから数十年は平和で、幸せだったよ。……でも、さっき話した通り魔族の中で派閥が生まれ始めたんだ」
なるほど、それで魔族だけになった世界で争いが起こったという話に繋がるのか。
「ここからはさっきの話と同じ。煩わしくなった俺は、俺の派閥以外を全員殺した。そしたらそのうち俺の派閥も分裂して、また滅ぼして、それを、何回も繰り返した。……最後に誰が残ったか分かる?」
「……グレイさん一人だけになったんですか?」
「……いいや。俺とルルベルの二人になったんだ」
その言葉に一瞬驚いたが、次の瞬間には納得していた。だって、グレイが他者を切り捨ててきたのは、同じだと思っていたものが違う存在だったからだ。グレイと違う意見を持って、グレイの思い通りにならなかったからだ。
それなら、感情を持たずにただ付き従うだけのルルベルを最後まで側に置くのは頷ける。
グレイにとって、ルルベルという存在は非常に都合が良かったのだろう。
「ルルベルはずっと俺の味方だった。意見が俺と違うことは無かったし、俺に逆らうことも無かった」
都合の良い、グレイの望む存在だったはず、なのに。それを語るグレイの表情は暗い。彼は両手で顔を覆うと、吐き出すようにぽつりと呟いた。
「……虚しかったよ」
「……」
「虚しくなって、俺はルルベルを食べた。そして得た莫大な魔力を使って、時間を戻したんだ。争いを起こす前の、パーティが始まるより少しだけ前の時間軸にね」
やり直そうと思ったんだ。
そう言ったグレイの瞳はどこか憂いを帯びていた。これから語られるであろうやり直した結果が、良くない方向に終わったのだろうということは容易に想像がついた。
「今度は何をされても絶対に戦争を起こさない。そう誓ったよ。……でも、そしたら今度は俺じゃなくてゾーイが戦争を起こした。ゾーイに賛成する魔族は思ったより多くて、被害もかなり出た。俺はそいつらを全員始末したけど、手遅れだった。迫害は一気に悪化。俺たちは、ディグニスの土を踏めなくなった」
「それで……また、巻き戻したんですか?」
グレイは静かに肯定した。
「戻って最初にゾーイを殺したよ。それで、俺も戦争を起こさなかった。でも……そしたら人間側が争いを起こしたんだ。俺が応戦した時点で、どうせ一、二回目の時と同じ結果になると思ったから、俺は止めずに傍観した。人間も魔族も、だいぶ減ったよ。……でも、お互い滅びなかった。魔族と人間の戦争は何年か続いて、そのうち、人間側が降伏した。そこからは魔族の天下だったよ。人間が俺たちを虐げたように、今度は俺たちが虐げる側になったんだ」
「それで、どうなったんですか?」
「…………思いの外上手くいったんだ」
上手くいった、と言う割に、その声は小さくて弱々しい。いつもの飄々としたグレイからは、とても考えられないような小さな声だった。
さっきまで客室でにこにこしながら話していた人物とは、まるで別人だ。
「魔族同士での争いは起きなかったし、人間がたまに起こす一揆のようなものは、俺たちにとっては大した脅威ではなかった。魔族は人間という共通の敵を持つことで、上手く纏まっていた」
「でも、今ここにグレイさんがいるってことは……またやり直したんですよね」
「うん……そうなんだよね」
魔族だけになっても駄目。共通の敵を迫害して纏まろうとするのも駄目。
グレイの望む共存は、私が思っているよりずっと困難なものらしい。でもそれだけに、彼が共存に拘ろうとする理由はなんとなく理解できた。
「魔族はみんな暮らしやすそうにしていたし、俺ももうこれで良いんじゃないかって思った。人間を虐げてでも俺たちが幸せに暮らせるなら、って。でも……ルルベルに"俺たちのしていることは正しいよね?"って話をしたらさ。彼女何て言ったと思う?」
ルルベルは、決してグレイを否定しない。だから、きっと彼女の答えはこうだろう。
「"グレイが正しいと言うなら、正しいと思いますわ"」
そう言った途端、グレイは肩を震わせて小さく笑い出し、やがてため息をついた。
「……ははっ、ははは。はぁ……そうだよ。俺はそれを聞いて初めて、自分の考えを否定して欲しかったんだって気付いたんだ。正しくないって、言ってほしかった。それと同時に、俺が現状を正しいと思えていないことにも気付いたんだ」
だからまた、戻った。
グレイにとっては三度目の時間遡行で、四度目の世界だった。彼は、もうこれで最後にするつもりだと話した。上手くいっても、いかなくても。
もう疲れたんだ。そう言った彼の顔には、いつもの笑顔は見られない。ただ、感情の灯らない瞳が二つ、そこにあるだけだった。
「戻った先で、俺はルルベルに心を与えようとした。どうせもうやり直す気は無いから、もしまた最後に二人残った時に、何でも言うこと聞く人形じゃなくて、話し相手になってほしくて。心を与える魔法はかなり高度で複雑だから、成功するかどうか俺も不安だったけど……結果は成功だった。でも……」
思っていたのとは、違っていた。
ふと、上向いた青の瞳が、私を捉える。私を見ているのか、ルルベルを見ているのかは分からない。あるいは両方なのかもしれない。
「心が与えられたんじゃなくて、別の魂がルルベルの中に入っていた。それが────君だよ。鈴さん」
それが、私がここに来るまでの全てだった。
グレイ自身、ルルベルの中に入る魂として何故私が選ばれたかまでは分からないらしい。彼は頭を下げて申し訳なかったね、と謝罪した。
どうせもう死んでいるので構いませんよ、とは言わなかった。私より、ルルベルについてどう思っているのか気になったからだ。
「……それじゃあ、私に身体を取られたルルベルはどうなるんですか」
「どうもしないよ。それに、心を与えたのはルルベルに許可を取った上でのことだ。こんなところに来たくなかったって悩みならともかく、鈴さんがルルベルに対して申し訳なく思う必要は無いんだよ」
「そんな……グレイは、グレイはそれでいいんですか? ずっと一緒にいたルルベルが全然別人になって……何も思わないんですか?」
ルルベルとして振る舞おう。ここに来た時ばかりの時は、ゲーム通りに事を進めようとしていたから、私自身そう思っていた。でも、ゲーム通りでなくなった世界で、個人的な感情を表に出すようになって、ゲームには無かった関係を築いて……私はすっかり、元のルルベルではなくなっていた。
きっと、こうして気付くよりずっと前から、私は私やグレイの知るルルベルではなくなっていたのだろう。そして私は、もう元々の無感情なルルベルには戻れない。
「……そうだね。君は俺の知っていたルルベルと違って、好きな人にすぐ尻尾を振るし、ちょっと強引だし、回復魔法の精度の割に攻撃魔法は下手くそだ」
グレイは先ほどより少し明るい声色でそう言った。その表情には穏やかさが戻っており、しかしどこか諦めたような目で私を見つめた。
「でも、声や顔はルルベルのまま。だから……何も思わないってことはない。ただ、君がもう生前の常盤鈴でも元々のルルベルでもいられないように、俺も、君をそのどちらかとして見ることは出来ないんだ」
君は常盤鈴であり、ルルベルでもある。切り離すことはきっとできない。でも、どっちの自分として生きたいかは、君が決めていいはずだ。
グレイはそう言うと、ズボンのポケットから黒いブローチを取り出した。
「これは本物のナイトメアドット。魔力通信のできない、ただの石だ。……もし君が……俺を許せないなら、自由に過ごしたいというなら、これを取って。ごめんね。それでもパーティが終わるまでは一緒にいてほしいんだけど、パーティにいる間は君の好きにしていいし、全部が終わったら自由に生きてもらっていいから」
差し出された掌の上には、今まで私たちが付けていたものと寸分違わないブローチがちょこんと鎮座している。
これを取れば、私はある程度の自由を得る。ナシュカ様との話は盗聴されないし、他のダニエル達との交流だってそうだ。それに、ルルベルとして振る舞う必要だってなくなる。
「……」
私は立ち上がって彼に一歩近づき、グレイの手へと、自分の手を重ねた。
「…………そう。うん、それじゃあルルベル。引き続きパーティを楽しんで」




