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第17話 異文化交流は前途多難


 その夜、私は眠れなかった。


 ヴルフから聞いた話を何度も反芻(はんすう)して、ナシュカ様の幸せについて考えて、悩んで、答えは出ないまま気付けば朝だった。

 窓から差し込む朝日を浴びてなお眠ったままのナシュカ様は、その金糸の髪がきらきらと輝いてまるで女神か何かのようだ。しかし、彼女も人の子で、人の妹で、苦悩を抱えて生きている。


 私が彼女のためにできる最善は、何だろう。


 ナシュカ様の本当の幸せは、一体どこにあるのだろう。ヴルフの話を聞くと、少なくとも城の中には無い気がしてしまう。だって、彼女の立場を自分に置き換えたら、絶対に耐えられるものではなかったから。


 ナシュカ様は絶対に私が幸せにする。そう自分に誓ったけれど、その幸せの定義は今やボロボロと音を立てて崩れ去っていた。

 ……また少しヴルフと話してみようか。昨日の問いの答えはまだ出ていないけど、それでも彼はほぼ確実にナシュカ様の味方に付いてくれる人物だと確信が持てたから。



「馳走になった。では私はこれで」

「あっ、待ってくださいナシュカ様!」


 黒馬に跨り、颯爽(さっそう)と帰路に向かおうとするナシュカ様を慌てて引き留める。

 不思議そうに振り返った彼女の顔を見て、一瞬、これから自分がしようとしていることは正しいのかと逡巡する。しかし、迷いを振り切ると、私は彼女に黒い石のついたネックレスを手渡した。


「これを、ナシュカ様に……」

「ん? 綺麗なネックレスだな。くれるのか?」

「はい。よかったら、付けて欲しいですわ」


 ナシュカ様は左手で手綱を掴みながら、器用にも右手で細いネックレスを付けた。くるりと石を正面に向け、私に向けて微笑む。


「似合っているか?」

「はい……とても」

「そうか。ありがとうルルベル殿」

「あの、ナシュカ様。また……いらしてください。いつでも歓迎いたしますわ」

「ああ」


 ナシュカ様は無邪気な笑みを浮かべると、今度こそ馬を走らせた。みるみるうちに小さくなっていくナシュカ様の後ろ姿を見送って、私たちは店に戻った。


 今日からは、私たちも働くのだ。


 ……しかし最初にヴルフが説明した通り、私たちの仕事は随分と楽なものだった。店番と、店内の美化。それだけ。

 店を開けてはや一時間ほど経過したが、玄関扉はぴくりとも動かない。


「いつもこんな感じなんですの?」

「二号店はいつもこんな感じですよ〜。ところでルルベル様……あの子の様子はどうですか?」


 声をひそめて、ヴルフは尋ねる。あの子、というのはナシュカ様のことだ。


「……まだ馬に乗ってらっしゃいますわね。時々街の人から声をかけられているみたいですわ」

「それは良かった」


 先程ナシュカ様に渡したネックレス。あれは、私の魔力で作ったものだ。

 グレイのブローチと全く同じ力を持ったそれは、持ち主が人間だから会話こそできないものの、一方的な盗聴は可能だった。目を閉じれば、ネックレスから見た景色だって見れる。

 "そういう魔法"が使えることを、私は早朝のうちにヴルフに話していた。


 ナシュカ様が実際に城でどのような生活をしていて、どんな扱いを受けているのか。それを知らないことには、今後の方針を決められないと思ったからだ。

 ……本来、許可を取るべきなのはヴルフではなくナシュカ様なのは分かっている。こんなこと本当は良くないってことも、分かっている。グレイに同じことをされた時に良い気がしなかったのだって、覚えている。

 それでも、彼女の城での生活を知りたいと思ったのだ。


「自分は音声を聞くことはできませんが、もしフリーゼ公爵が妹を傷付けるようなことをしていたら教えてください」

「ええ」

「……あなたから盗聴を提案された時は耳を疑いましたよ。でも、一理あるとも思いました。自分は、今のフリーゼ公爵と妹の関係にはそこまで詳しいわけではありませんから」


 でも。と、彼は続ける。

 下に引かれたシルクハットによって、その表情までは伺えない。だが、何かを覚悟したような声だった。


「──もしあの男が変わっていないようなら、あの男はやはり裁かれるべきです」

「……私にはそうじゃないことを、願うことしかできませんわ」

「そうですね……でも自分には、信じられませんよ。あの男が良い人間に変わるなんて。仮に変わったとしても、自分はあの男を許しはしないでしょう」


 それは、そうだろう。

 自分の母親を殺した父親のことなんて、信じられなくて当然だ。たとえ殺人を後悔しているのだとしても。

 私だってそうだ。私の人生から選択肢というものを全て奪った両親のことは、今も許していない。狭量かもしれないが、これからも一生許すつもりはない。許さなくてもいいんだって、昨日のヴルフの話を聞いて、少し思えたから。

 それにもう、どうせ会うこともない。

 娘に自殺されて、両親はどう思ったろう。職場は混乱しただろうか。それとも、私一人が居なくなったところで何も変わらないだろうか。


 ……いや、どうだっていいことだ。既に去った世界のことなんて。

 

 昔の記憶が頭をよぎる。忘れようと目を伏せると、ちりん、と軽快な音が店内に響いた。

 長いまつ毛を上げて玄関へと視線を移せば、そこには眉間に皺を作った女性が立っていた。女性の目は、明らかに私に向いている。


「ちょっと、グッドマンさんっ」


 女性はヴルフに向かって手をこまねくと、ヴルフも「はいはい?」といつものニコニコの表情を被ってカウンターから去っていく。扉の向こう側へと消えた二人の会話は聞き取れないが、何を言われているのかは分かる。


 何故ここに魔族がいるのか。

 これに尽きるだろう。


 再度扉が開くと、ヴルフと女性が並んで店内へと足を踏み入れた。意外だった。てっきりそのまま帰るかとばかり思っていた。


「さあさあ! 異文化交流! 異文化交流! 大丈夫、マダム。ここにいるのは大人しい方ばかりです。ほら、こ〜んなに小さくて可愛らしい魔族の方だっているんですよ!」


 丸っこい綿毛のような身体で棚の埃を取っていたワタが、ひょい、と持ち上げられる。

 突然のことに驚いたワタはゴマのような目を白黒させたが、元々人間に好意的──というより人間をよく知らないのだろう──な彼は、すぐにヴルフの手の上でぴょんぴょんと上下に跳ねた。


「マダム。ほら、ふわふわですよ」

「え、うーん……噛んだりとか、しないかしら」

「ピッ!」


 魔力を介さないで聞くワタの声は、ピ、と細く高い。小鳥の鳴き声が一番近いだろうか。

 人間からすればとても人語を理解する生き物には見えない。しかし彼は人間の言葉を発する器官が無いだけだ。心無い言葉を向けられれば傷付くし、好意的に接してもらえれば喜ぶ。素直な子だった。


 女性の指が、恐る恐るワタに近付く。ワタもどこか緊張しているようで、まんまるな身体はいつもよりなんだか縦長になっている。

 指先がついにワタの表面に到達すると、そのまま指の一つ目の関節あたりまでスッと入っていくのが見えた。


「ひっ、やわらかい! な、なんだか小さく丸めたうさぎみたいね……」

「意外とお餅というより動物の柔らかさですよねぇ」

「でも……これも、魔族なんでしょう……? 魔法でも使われたら……」

「大丈夫です、ご婦人」


 カウンターを出て未だ怪訝そうな顔をする女性に近付くと、彼女はあからさまに肩を上げた。


「私たちは誓ってあなた方無辜(むこ)の民に危害を加えるようなことはしませんわ。そういう契約のもと、ここに住まわせてもらっています」

「あ、ああ、そう……」


 視線から、嫌悪感が伝わってくる。それでも、私は怯むことはなかった。ルルベルの得意な柔らかい笑顔を浮かべて、スカートの裾を軽く持ち上げる。

 彼女からすれば、私は人間のふりをする化け物なのかもしれない。それでも、今はこれしかできない。"良い人であること"。それだけが平和な共存への糸口になると、私も信じていたいから。


「私はルルベルと申します。あなた方人間の生活圏に魔族がいることで不安に思われてしまうかもしれませんが、どうか怯えないで。この機会に、私たちのことを正しく知って欲しいですわ」

「…………グッドマンさん。もし妙なことがあれば、すぐ騎士団に通報させてもらいますから」

「ええもちろん。まあ、そんな心配はしていませんけどね」


 ヴルフが肩をすくめながらそう返すと、女性は気まずそうにそそくさと帰っていった。……何か買う物があったはずなのに。


「やっぱりパーティ以外だとこうなりますわね」

「交流会参加者は相手が魔族だと分かった上で参加していますからね。今みたいに、馴染みの店に行ったら魔族がいた、みたいなケースでは心の準備ができないんだと思いますよ」

「だとしても、ちょっと感じ悪いよね」


 会話に入ってきたのは、ゾーイだった。

 二階から様子を見ていたらしい彼は、吹き抜けから顔を出してそう言った。


「何アレ。ルルベルが話してるのにヴルフに文句言うとか。魔族とは話もしたくないってこと?」

「ぞ、ゾーイ……喋り方が……」


 いつもの完璧な猫被りが剥がれている。

 パーティの場でないにしたって、今は一応ヴルフもいるのに。しかしゾーイはしまった、という顔の一つもせずに、ホームで見る死んだようなジト目のままだ。


「ヴルフにはもうバレてるからいいよ」

「え?」

「いやぁ、グレイ様から"お世話になるからには素の俺たちについても知っておいてもらった方が良いよね"なんて言われてしまいまして。ああ大丈夫! もちろん他言無用にしますし、問題さえ起こさなければ人格に問題があろうと人間嫌いだろうと構いませんよ!」


 つまり、ゾーイが人間嫌いで毒舌なことをヴルフは知っているってことか。まあヴルフからすれば"人間嫌い"など些末なことだろう。だってヴルフ自体、人に対して好意的じゃないのだから。

 ……私については、どこまで喋ったのかな。別の世界から来たこととかは、流石に言っていないと思いたいけど。


「グレイって本当お喋り。でもおかげで楽でいいよ。二十四時間ずっとあんなキャラでなんていられないからね」

「本当はそのためだと思いますよ。ストレスが溜まらないように、グレイ様は色々配慮なさっているみたいですね」


 確かにそうだ。

 人間との関係回復に向けて最も尽力しているグレイは、人間たちだけでなく私たち魔族に対しても何かと裏でサポートしてくれていることが多い。

 ……今は子犬のチャッピーと一緒に森に行って資材の回収をしてくれているけど、帰ってきたら少し労ろうかな。紅茶でも淹れて──。


 ちりん、と再び玄関のベルが鳴る。

 子犬の鳴き声と、一人分の足音。ああ、きっとグレイたちだ。ちょうど良かった。


「おか、ぇ……え?」


 おかえりなさい、と言いたかったはずの口は、途中で止まった。目の前の光景を脳が処理するのに、少し、時間がかかったのかもしれない。

 背後で勢い良く階段を駆け降りる音がする。きっとゾーイだろう。


「ちょっとグレイ! 何その傷!? 人間にやられたの!?」


 ──ボロボロに破けて土の付いたシャツに、乱れた髪。血こそ出ていないが、肌には亀裂と、そこから薄く漏れている黒い霧状の魔力。


 傷だらけのグレイの有様は、明らかに何者かに襲われた後だった。

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