第2話 唐突な実践訓練
「"コール"!!」
ディグ戦で用いられる魔法の呪文を高らかに叫び、意識を集中する。
──自分の中を巡る無秩序の魔力を従え、統率し、具体的な形に出力する。大事なのは集中とイメージと、それを行使したいという純粋な気持ちだ。
ゲーム内でグレイが言っていた言葉を思い出す。
まずは集中。集中しろ私……。よし、次は形をイメージ。初めはイメージしやすい身近なものから。そして、それを使って私がしたいことは……。
……思い付かないな。まあ、それでもイメージは十分。これなら魔法として使えるだろう。
顔の前に翳していた腕を、勢いよく横に広げる。すると腕の軌道をなぞるように、空中にずらりと医療用メスが並んだ。
……メスを見ていると、パワハラをしてきた先輩医師の顔を思い出して吐き気がする。本当はもう見たくもない。でも、ぱっと具体的にイメージできる強い武器がこれしか無かった。
銀色に鈍く光るその刃物は、私の目が悠然と佇むグレイを捉えると一斉に刃をそちらに向け、射出された。
「おっと」
しかしグレイは自身の右腕を魔法で鋼鉄に変えると、そのまま鬱陶しげにメスの雨を払い除けた。
「無詠唱……!」
「君もできるはずだよ。ちゃんと想像して、願って。俺たち魔族は自分の内側に無秩序の魔力を飼っている。そこに望みという秩序を与えて、魔力を統率するんだ。呪文は、その補助にすぎない」
俺たち魔族って言われても、私はまだ魔族歴一日なんだよ!
しかしやり切らなければ、見限られて終わりだ。グレイは相手を見限ったら容赦無く切り捨てる男だ。ゲームを何周もしたから分かる。
今ここで私が少しでも諦めを見せれば、つまらなそうに殺すのだろう。そうしたらきっと、私の代わりのキャラクターが来週のパーティに参加することになる。つまり、ゲームの進行が変わってしまう。ゲームの進行が変われば、ナシュカ様のハッピーエンドも危うくなってしまう。それは避けなくては。
「ぐっ……」
目を瞑り、意識をより深く集中させる。魔力の感覚というものにはまだ慣れないが、魔法を使おうとすると自分の内側で何かがざわざわと蠢く感覚はある。
これを……上手く形に……!
もう一度メスを成形するが、先ほどよりかなり精度が落ちている。銀の光は鈍く、形も不揃い。無詠唱じゃ、今はこれが限界だった。
「……うーん、君はもうそれを武器にしない方がいいかもね」
「え?」
音もなく至近距離まで近付いていたグレイが、弄ぶようにメスを軽く指でつつく。
「集中とイメージは十分。でも気持ちがぐちゃぐちゃだ。受け入れたくないものをどれだけ作り出したところで、簡単に形を崩されちゃうよ」
こんな風にね。
グレイは一本のメスを手で握り込むと、容易くそれを霧散させた。形を失った魔力は溢れ、キラキラと光りながら空中に消えていく。
「魔力は単純で純粋だ。複雑な指示や矛盾した指示じゃあ真価を発揮できない。君自身の心が純粋なものじゃないと、無秩序は無秩序のままだよ」
「心……」
「そう。心や気持ちが曖昧なままじゃ、中身の伴わない見た目だけの魔法になる。一旦、単純に考えてみよう。──鈴さんは、何がしたい?」
何が、したい?
分からない。だって、今までそんなこと聞かれたことなかった。あれをしなさいとか、これをしなさいとか。指示されてするだけだった。生まれてから、今まで、ずっと。
小さな個人医院の一人娘だった私は、母親の後を継ぐ医者になることだけを望まれた。部活も習い事も学校も、職場さえも何一つ自分では選べない。全て親が勝手に決めた。親に指示されて入った病院は完全にブラック。
言うことを聞いていればいつかは報われるのかもしれないと思っても、結局最後まで何も変わらなくて──。
──自殺したことだけが、唯一自分で選んだことだった気さえする。
いやいや、そんなはずは……ない。たぶん。もっと他に、したいこと……生前に、したかったこと……。
「分からない……」
「本当に? 川に飛び込むくらい追い詰められていたのに? その原因を作った相手をどうにかしてやろうって、一度も思わなかった?」
「……それは」
「前の世界では我慢したんだろうけど、今は魔法の練習中。どんな望みも、憎悪も、君の力になる。八つ当たりだと思って、さあ、どうぞ」
私を自殺に追いやった存在に、してやりたかったこと。それなら、ある。あるに、決まっている……!
喉の奥がからからと熱くなる。気付けば私はボロボロと涙を流しながら、叫び出していた。
「あいつら全員、ぶん殴ってやりたかった!!」
勢いのままに表出された魔法は、高さ十メートルはありそうな巨大なパンチだった。
グレイは突如地面から突き出したパンチを躱せず、そのまま上方に吹っ飛ばされた。
「あ゛っ! ぐ、グレイさーんッ!!」
空中で豆粒みたいな大きさになったグレイは落下に従って今度は徐々に大きくなり、やがて雪原の中へと埋まった。
グレイが落下した場所に駆け寄ると、雪の中に埋まったグレイは左手で顔を覆い、くつくつと笑い出した。
「くくっ、はははっ! こんな風に吹き飛ばされたのは初めてだよ」
「すみません……痛くはないですか?」
そう問いかければ、指の隙間からグレイの青い瞳が覗く。弧を描いたその瞳には、先程のような冷たさはもう見られなかった。
「身体中痛いよ。でも、良いものが見れたなぁ」
「良いもの……?」
「うん、ルルベルの泣き顔。初めて見たよ」
「す、すみません……!」
「謝ることじゃないよ。ああでも、謝罪の気持ちがあるなら、今度は回復魔法の練習をしてもらおうかな?」
回復魔法……って、どうやって?
グレイは魔族だ。人間とは身体の構造が違う。職業柄、人間の身体の構造には詳しいが、流石に魔族の構造は分からない。
魔族は花や本、湯呑みなどの"物体"に魔力が宿って形を成した存在だ。元の世界で言うところの、付喪神に近いかもしれない。魔力が宿った大元の物体──ゲームでは"核"と呼ばれていた──以外の全てが魔力で構成されているから、臓器も無ければ脈も無い。痛みなどを感じることはあれど、怪我だってすぐに治せる……はず。でも……。
「魔族式の治療って……どうやるんですか?」
「そこは知らないんだ?」
「……私の知っている記憶では、グレイさんはいつも自分で治していたので」
「まあ自分でも直せるけど……これは、君もできた方が良いと思うから」
グレイは私の手を取ると、自身の裂けた脇腹へと押し当てた。大きく裂けているのに血は出ておらず、代わりに黒い霧のようなものが溢れ出ていた。
「今出ているのは俺の体内の魔力。これが無くなると、外郭……肉体を構成する余裕がなくなって俺自身も崩れ去っていく」
「……じゃあ、魔力が漏れ出さないように傷口を塞げば良いんですね?」
「そう。人間よりずっと単純だろう? 割れた器をくっつけたり、破れた人形を繕ったりするのと同じようなものだよ」
破れた人形を……繕う。
縫うのは得意な方だ。縫合なら授業で何度もやった。あれと……同じように。
「"コール"」
意識を集中させて、小さく唱える。すると半透明な糸と針が現れ、傷口をするする縫い合わせていく。傷が上から下までぴたりとくっつくと糸と針は消え、そこには最初から傷など無かったかのような白い肌だけが残った。
「針と糸……鈴さんって、ここに来る前服屋か何かだった?」
「いえ……医者、です。一応……」
「医者……なるほど……」
グレイは上体を起こすと、何か考えるような素振りをして自身の繕われた腹をさすった。
「あの……何か不手際がありましたか……?」
「ああ、いや。そんなことないよ。ルルベルがこんなに綺麗に直すなんて今までなかったから、驚いただけ」
ゲーム内でルルベルが回復魔法を使ったところはあまり見たことがなかったが、グレイの口ぶりから彼女はあまり回復魔法は得意ではなかったらしいことが窺えた。
かわりにゲームで見た攻撃魔法の威力は凄まじいものだったが。
「うん、少し痛かったけど……十分合格点レベルかな」
「……精進します」
「そうして。パーティまで一週間あるから、君はその間魔法と、あとは不自然に思われない程度にルルベルになりきる練習。俺はパーティの準備と方々への根回しに行くけど、時々様子は見に来るからね」
グレイはゆっくりと立ち上がると、ぱたぱたと身体の雪を払う。そうして囁くように"コール"と唱え、足元にソリと巨大な犬を召喚すると、私を隣に乗せて走らせた。
本来の犬ぞりでは出ないような速度が出ているが、車より少し遅いくらいなので恐ろしくはなかった。冷たい風を切ってソリは進んでいく。
暖房が恋しくなったが、そういえば魔族は自分の体温調節も魔法でできたはずだと思い出し、私は呪文を唱えた。
「はぁー……温かい」
「魔法にも慣れてきたね」
「おかげさまで、ですわ」
かなりスパルタではあったが、これで一応は魔法が使えるようになった。見限られてこの場で殺されるという局面を脱することができたようで、私は内心胸を撫で下ろしていた。
「……ねえ、聞いてもいいかな?」
頬杖をついて外の景色をつまらなそうに眺めていたグレイが、ふいにこちらを向いた。
「……どうぞ」
「君が観測していた世界の俺って、どんな奴だった?」
「えー……っと……」
これは、何と答えるのが正解なのだろう。
ディグ戦には、悪役であるグレイのルートも存在する。
彼のルートは隠しキャラを除く攻略キャラ三人を攻略した後にようやく開放されるのだが、通称"政略結婚ルート"とも呼ばれ、そこに愛はなく、ハッピーエンドもなく、どこか仄暗い。
今回のパーティ……"ディグニス異種族交流会"も、人間と魔族の共存のためにグレイが企画したものだ。
人間たちが住まうディグニスという国のフリーゼ城を舞台に半年に渡って開催されるそのパーティで、グレイは人間と魔族が結ばれることを望んでいた。迫害され、永久凍土の島──シュカリオン──に追いやられた自分達魔族が、再びディグニスで暮らしていけるように。
しかし多くのルートでそれは叶わず、人間に見切りをつけたグレイは諦めて魔族だけの平和な世界を作ろうと、人間を滅ぼそうとして──。
──主人公であるナシュカ様かそのパートナーに、殺されてしまう。
グレイにとっては結局のところ魔族が一番大切だった。
でも魔族の絶対数は人間と比べて少なく、中でもグレイやルルベルのように力の強い魔族は限られている。だから最初から人類を滅ぼそうとするのではなく、上手く人間に取り入った方が効率的だと考えたらしい。しかしそれが失敗すれば、容赦無く人間に牙を剥く。
「……合理的だけど、少し極端な人です」
「そうじゃなくて……ほら、鈴さんって前は人間だったんだろう? 人間目線で見て、どう? 不快感とか怪しいところとかない?」
今もこうやって、人間から良く見られようとしている。実際、ゲームにおけるグレイはすごく優しい。悪いところが一つもないみたいに穏やかで、気さくで、振る舞いだって上品だ。
でもそれは全て計算の上に作られたもので、実際の彼は合理的過ぎて他人のことも自分のことも大切にできない。グレイルートでナシュカ様と結ばれた後も、なかなか変わっていかない社会を冷たい目で見下ろしていた。
人間に期待していないと言うくせに、人間が思うように動かないのが嫌なのだ。
「……怪しいというか、裏がありそうな感じが……。あと、不快とかじゃないんですけど、ちょっとだけ自分勝手かな……なんて」
濁しながらそう伝えると、グレイはふぅん、と小さく吐いて。
「……気を付けないとなぁ」
感情の宿っていないような平坦な声で、呟いた。
……寂しそうな人だ。
大人の姿をしているのに、どこか捨てられた子犬のようにも見えるこの男は、今一体何を考えているのだろう。
彼の深海の瞳に映る景色が気になってなんとなく彼と同じ方向を向いたが、そこにはやはり吹雪以外何も見当たらなかった。