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第16話 兄の心配


「グッドマンさん、お菓子と飲み物ありがとうございました」

「おやおや、洗ってくださったんですか? これはご丁寧にどうも」


 食器を洗ったは良いもののどこに置いたら良いか分からず、私は灯りの漏れていた客間へと足を運んでいた。

 もう夜も遅いというのに、ヴルフは全く寝る準備などせずに悠然とソファに座り、本を読んでいる。どこか人間味のない彼だが、きちんと眠っているのだろうか。


「……あの、やっぱりソファじゃ寝にくいですか?」

「え? ああ〜。いやいや、違いますよぉ。草の上で野宿することだってあるんですから、ソファなんて天国です。ただ、あなたが来るだろうと思っていたので」

「え……?」


 ぱたん。と本が閉じられる。ヴルフはテーブルにそれを置くと、反対側のソファに腰掛けるよう私に促した。


「どうぞ、座ってください」


 な、なんだ? ヴルフの目は確かに笑っているはずなのに、何故だか全然笑顔に見えない。

 何か気に障ることでもしてしまったのだろうか。もしかしてこのデザートやお酒の代金を請求される? 払えるかな……高かったらどうしよう……。


「あ、あの。グッドマンさん、お金は働いて返しますので……」


 ソファに腰掛けた勢いで、そのまま頭を下げて第一声でそう言い放つ。しかしヴルフは「えっ?」と訳のわからなそうな声を上げて、私に頭を上げるよう言った。


「食費は払ってもらわなくて結構ですよ?」

「えっ、あ、そうなんですの……? てっきり……」

「違いますよぉ。ただ少し、あなたに聞きたいことがあっただけです」


 先ほどのどこか怪しい微笑みとは一転、彼はいつもの貼り付けたような胡散臭い笑みを見せると、身振り手振りを交えて話し始めた。


「フリーゼ公爵令嬢のご様子について伺いたかったんですよ〜。ほら、やっぱり女性同士でお酒も入れば、色々とお話が進むじゃないですか。お店でも色々話してはくれますけど、異性となるとなかなか恋愛沙汰の話にはなりませんし」

「は、はあ……」

「さっき彼女が下に降りて来た時、これから恋バナをする。と、言っていました。できましたか?」


 ここまで言われて、ヴルフが何を聞きたがっているのか理解した。


 ──妹と良い仲になっている奴はいないだろうな?


 つまりはこういうことだろう。

 ヴルフは別段シスコンというわけではないが、なにぶん父親を嫌っている。できることなら妹も家から引き離したいのだ。しかしナシュカ様が貴族相手に恋なんてしてしまったら、他の家との結び付きが濃くなって、余計に家から離しにくくなってしまう。

 ヴルフはそれを警戒していた。だが、それは無用の心配だった。


「……好きな人はいないと言われましたわ」


 そう。ナシュカ様はまだ、少なくとも今は、気になっている相手がいないのだ。

 ディグ戦にはいわゆるノーマルエンドは無い。ハッピーエンドには到達しなくとも、必ず誰かしらのルートには入るはずだ。それなのに、現在誰のルートにも入っていない。ゲームの枠から外れ始めたせいだろう。


「ほとんど私の過去の片想いについての話ばっかりでしたよ。私もナシュカ様の恋愛についてもっと聞きたかったんですけど……」

「ええっ! 本当ですかぁ!?」


 あからさまに嬉しそうな声を出したヴルフは、突然立ち上がると後ろの棚から何やらガサガサと紙の束を取り出し、勢いよく机に置いた。

 一番上の紙には、おそらくは人の名前と思しきものが何行にも渡って羅列されており、その隣には数字──日付けだろうか──が書かれている。


「これは……何かの名簿?」

「はい。フリーゼ公爵令嬢宛てに届いた縁談のお相手のリストですね」

「な、なんでそんなものをグッドマンさんが……?」

「商人は情報網をたくさん持っているものですよ」


 本当だろうか。フリーゼ公爵を強請ったんじゃないだろうか。まあ入手ルートはこの際どうだっていい。問題なのは、何故今これを私に見せたのかだ。


「……あの、どうしてそれを私に?」

「ルルベル様は今、恐らくですが一番フリーゼ公爵令嬢から気を許されています。だから、ちょっと探ってもらえないかと」

「えっ……何を……?」

「フリーゼ公爵令嬢が本当に誰にも気が無いのか、ですよ。彼女はもう適齢期です。だから……ここ最近、縁談話が一気に増えているのです。まああの性格ですから、気に入らなければ跳ね除けるとは思いますが……家を継げと言われれば、もう彼女に決定権などありません。妥協できるラインの男で手を打つことになるでしょう」


 ナシュカ様は確かにフリーゼ家の跡取りとなる気でいるが、それでも女性だ。どれだけ位が高くとも、貴族社会における女性の立場はあまり良いとは言えない。

 公爵から結婚を強要されれば、流石のナシュカ様も従ってしまうだろう。ゲームのように自分で選んだ相手とは、違う。親が勝手に決めた誰かと。


「フリーゼ公爵令嬢自身が気に入って選んだ男だったら、あの頑固者な彼女のことですから、きっと引き離せないでしょう。自分も諦めますよ。でも親の決めた相手なら、まだ引き離せる。ルルベル様には、好きな人がいないかどうかの確認と、あとできれば男と良い感じの雰囲気になったら邪魔をしていただきたいのです」

「い、嫌ですわ!」


 好きな人がいないか探るだけならともかく、良い感じになっている男女の間に割って入るなんて、絶対嫌だ。大体、そんなことしたらナシュカ様に嫌われる……!


「なんでそんなことを頼むんですか? ナシュカ様のことが好きなんですの?」


 もちろん違うことは知っている。ヴルフはナシュカを親元から離してあげたい。ただそれだけで、別にそこに恋愛感情はない。

 さあ、どう答えるのだろう。


「好き……うーん……好きというより、哀れに思っている、ですかね」

「……哀れ?」

「ええ。あんなろくでもない公爵の下で、愛情ではなく義務感だけで辛い訓練に耐え、好きでもない仕事をして、勝手に縁談の話を持ってこられる。哀れじゃないですか」

「哀れなんかじゃ、ありませんわ……!」


 バン、と机を叩いてヴルフを見据える。振動で机から紙が溢れたが、構うものか。


「ナシュカ様は哀れなんかじゃありませんわ! 確かにやりたくない仕事や訓練をして、傷付くこともあるかもしれませんけど、それでも与えられた役割や自分自身に誇りを持っています! 勝手に哀れまないでください!」

「まだ会って二ヶ月のくせに、何を分かった気になっているんですか?」


 威嚇するように大声を出した私とは反対に、ヴルフの声は静かだった。まるで温度がないように落ち着き払っていて、少し怖い。


「あなたは、ろくでもない親からやりたくもないことを押し付けられて、拒否権も無く、そのまま何十年も過ごせばどうなるかご存じないのですか?」


 ご存じない、わけがない。だってそれは、私の一生と同じだから。

 でも、私とナシュカ様は違う。私は弱かったから耐えられなかっただけで、ナシュカ様は……強い人だから……。それに、ゲームではあんなに幸せそうにハッピーエンドを迎えて……。いや、でも、この世界のナシュカ様には確かに弱い部分もあって……それだと、えっと……?


「このままだとあの人、死にますよ」

「死に……」


 急速に、実感が湧いた。


 橋の上に立ったあの夜。急に何もかもがどうでもよくなって、川の底に命も何もかも全て捨てたあの夜が、フラッシュバックする。

 ナシュカ様も、そう、なる……? 確かに、この世界のナシュカ様とゲームのナシュカ様は、少し違う。ゲームにおける豪快な戦の女神のようなナシュカ様は、この世界にはいない。ここにいるのは、優しくて誠実で、人を頼るのが下手なナシュカ様だけだ。

 でも、それじゃあ。私は何を目指せばいい? ナシュカ様を幸せにするために、何をしたらいい。そもそもナシュカ様の、本当の幸せって……何だ? 好きな相手と結ばれること? 家を出ること?


 分からない……。


「……グッドマンさんは……なんでそこまでナシュカ様を……」

「自分はあの子の兄です」

「え……」

「兄です」


 信じていないと思われたのか、釘を刺すようにもう一度言われる。しかし私が驚いたのはそこではない。

 何も躊躇わず、それを私に教えたこと。そのことに驚いたのだ。


「……いいんですの? よく知りもしない相手にそんなことを話して……」

「構いませんよ。いつかはこの事実を公開して、フリーゼ公爵の鼻を明かしてやろうと思っていましたから。それに、フリーゼ公爵が自分と母にしたことを聞けば、あなたも気が変わるかと思って」

「……保証はし兼ねますわ」


 だって私は既に知っているのだから。ナシュカ様とヴルフが生まれた日に何があったのかを。

 それでも。実際にヴルフの口から語られる事実は、生々しく感じるほどに現実味を帯びていて。痛ましくて。


 私は、彼の話が終わるまで何も口を挟めずにいた。



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