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第15話 ナシュカ様の実態


 恋バナをする。とは言ったものの、私もナシュカ様もどちらも恋バナ初心者だ。その上、私は本当に好きな人のことは絶対口に出せないという縛り付き。

 どうする……? とりあえずは様子見として、淹れてもらったココアでも飲むか……?


「わ、よく見たらこのカップすごくオシャレですわ……」


 シンプルなアラベスク模様が描かれた華奢なカップは、ココアよりもどちらかというと紅茶が似合いそうだ。

 しかしその中にはもったりとしたココアが注がれており、上には注文通りマシュマロが三つ浮かべられていた。


「ナシュカ様が選んでくださったのですか?」

「いや、恋バナをすると言ったらヴルフが用意してくれたんだ。商人なだけあってセンスが良い。菓子もヴルフが見繕ってくれてな」


 ナシュカ様が視線で促した先には、チョコレートのかかったオレンジピールとバニラのアイスクリームが透明な器の中に綺麗に盛り付けられている。

 夜とはいえ、八月の蒸し暑さにはぴったりのデザートだ。

 

「グッドマンさんって、やっぱり結構凝り性なんですね」

「変な所でだけな。奴は昔から自分なりの美学があるみたいで……まあ、何を言っているのか分からんことの方が多いが、たまに彼を羨ましく思うことがある」


 羨ましい、か。

 ゲームにおけるヴルフルートは、ナシュカ様が家を捨ててヴルフと旅に出るというエンディングになっている。生家を嫌っているヴルフがナシュカ様を用心棒として旅に誘うのだが、家を理由にナシュカ様は最初はそれを断るのだ。

 実質的にフリーゼ家の一人娘のナシュカ様は、婿を取るか、あるいはより位の高い貴族と結婚して家を守っていく必要があった。ナシュカ様も家の保持については義務感を感じており、ヴルフルート以外では「これが自分の役目だ」と割り切っている。


 だが、ヴルフルートでは自身の父であるフリーゼ公爵がヴルフや実母に行なった仕打ちが明らかになり、家に嫌気がさして自分の望むままにヴルフに付いていくことになる。

 そしてヴルフはナシュカ様に尋ねるのだ。「これから何がしたい?」と。

 生まれてこの方武芸一辺倒だったナシュカ様は、しかし言い淀むこともなく「広い世界が見たい」と語った。ナシュカ様は、ヴルフに尋ねられるよりずっと前から、そう思っていたのだ。

 たぶん、今も。


「……羨ましい、ですか」

「ああ。……ヴルフは私よりもずっと世界に詳しい。彼と話していると、私は物を知らないのだと思い知らされるよ」

「……あの。もし……もしも、グッドマンさんがナシュカ様を旅に誘ったら、ナシュカ様は付いていきますの?」


 ナシュカ様は一瞬目を見開くと、迷うように視線を横に傾けた。一瞬か、あるいは数秒の無言が続いた後、ナシュカ様は静かに答えた。


「行けたら、楽しいかもしれんな」


 それは意外な答えだった。

 ゲームでは「悪いがそれには応えられない。家を継ぐのは私の義務で、誇りだ」と。そう、言っていたから。今も同じ答えが返ってくると思っていた。


「ギルベルトに仕事を投げて、長期休暇をもぎ取って、気晴らしにヴルフと数ヶ月旅ができたら、楽しいだろうなぁ」


 ……ああ、なるほど。これは、夢の話だ。

 ナシュカ様は「行かない」とは言わないものの、「行けない」ことを理解している。そういう、声色だ。実現不可能なことに想いを馳せる時の、声だ。


「……ナシュカ様、もし本当にグッドマンさんに誘われることがあったら、その時は、行ってもいいんじゃないでしょうか?」


 ヴルフルートのナシュカ様は、父親の真相のことで悶々とはしているものの、新天地に向かう表情は穏やかだ。それに……ヴルフルートでは、戦争の有無がはっきりしていない。

 というのも、ヴルフルート以外では十二月の最後のパーティを経てエンディングに向かうのだが、家を出て行くヴルフルートでは十一月の時点で物語が終わっている。戦争が発生するのは決まって十二月のため、その後魔族と人間が決別したかどうかは分からないのだ。

 既にゲームの進行と大きく外れてはいるが、それでも戦争発生のリスク因子はできるだけ減らしたい。


 ……それに。いっそ手が届かない場所に行ってくれた方が、妙な望みも抱かずに済む。近くにいると、どうしても手を伸ばしたくなってしまうから。

 到底手が届かないと諦められれば、最初と同じ気持ちで、偶像としてのナシュカ様を純粋に好きでいられるかもしれない。


 そんな打算もあって、つい、本音が口をついて出た。


「……何故?」

「それは、その…………ナシュカ様に、楽しい想いをしてほしいから……」

「はははっ! そうかそうか。……嬉しいよ。だがなルルベル殿、人間社会は結構面倒臭いんだ。あ、いや、この言い方はあなた方に失礼だな……だが、実際そうなんだ。私には、責任がある」

「そう……ですの……」


 ナシュカ様は宥めるような声で「そうだ」と言うと、カップを口に付けた。


「む、あっついな……この時期のココアは。アイスを入れてしまおうか」


 重くなってしまった空気を変えようとしてくれているのだろう。ナシュカ様は作ったような笑顔で明るい声を出すと、細いスプーンでアイスを掬ってココアにぽちゃんと入れた。


「お行儀が悪いですわよ」

「一緒に木の上で肉をかじった仲じゃないか。これも内緒にしてくれ」

「……ヘルマンド卿には教えちゃいますわ」

「なに、いつの間に仲良くなったんだ? もしかしてさっき言っていた好きな人って……」

「い、いや。ヘルマンド卿ではありませんわ」


 ナシュカ様が不参加だった二回のパーティの間、私は何度かダニエルと壁のシミになっていた。ほとんど無言の空間の中、お互いにぽつぽつ口から出るのはナシュカ様の話ばかりだった。

 あれはただの同じ推しを持つ者同士の、いわばナシュカ様愛好会のようなものだ。決してダニエルとはそんな関係にはなっていない。


「ううむ……グレイ殿でもダニエルでもないと……ヒントをくれ。私が知っている人か?」

「し……らない、と思いますわ」


 嘘だ。しかし「あなたですわ」なんて絶対に言えない。ここは高校生時代に片想いしていた男子の話でもして誤魔化そう。



 ナシュカ様との恋バナは意外にも盛り上がっていた。

 カップはとうに空になり、アイスも気付けばほぼ液状化していた。ガラスの器に口を付け、チョコとバニラが混ざった液体をぐい、と一息に煽るとナシュカ様は熱っぽく微笑んだ。


「ふふ、行儀が悪い」


 彼女の頬が染まっているのは、途中でヴルフから拝借したワインのせいだろう。

 元々ゆったりとしていたナシュカ様のワンピースは、暑さと酔いのせいで着崩れている。


 ──胸元にもホクロがあるなんて、初めて知った。


「……な、ナシュカ様、そろそろお眠りになった方がよろしいのでは?」

「……うん? うん……寝る……そうか……」


 普段のシャッキリした姿からは想像もつかないような気怠げな声を出すと、ナシュカ様はもぞもぞと自分のベッドへと潜っていった。その姿はまるで猫だ。

 しかし頭まで布団をかぶったものの、ナシュカ様はしばらくすると脚で布団を壁際に追いやった。暑かったのだろう。

 はだけたワンピース一枚で仰向けになったナシュカ様は、熱を持った額に腕を乗せながら、顔だけをこちらに向けた。


「…………なあ、ルルベル殿。あなたはしばらくはここにいるんだろう? また、遊びに来てもいいか?」

「もちろんですわ。グッドマンさんも、きっと良いって言ってくれます」

「そうか……」


 腕に隠れていて、目元はよく見えない。

 しかし、私がそう答えると、口角が小さく上がったような気がした。


 ナシュカ様はそれきり小さく胸を上下するだけで、何も喋らなくなった。眠ったのだろう。

 私は彼女を起こさないようそっと部屋を出ると、空になった食器とワインボトルを持って階段を降りた。

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