第12話 吉報
ナシュカ様の治療をしてから二週間。四回目のパーティの時、それは起こった。
満面の笑みのリンハルト王子はパーティの開催と同時に私たちの元へと駆け寄り、そしてこう言った。
「魔族の皆さん! 聞いてくれ、良い知らせがあるんだ!」
*
「────それじゃあみんな。これから殿下からの書状を読み上げるよ」
ホームの広い中庭。その中心に立つグレイは、ホーム中の魔族たちを招集させてそう言った。一枚の紙を大切そうに両手で持ち、焦らすようにすぅ、と息を吸う。
「"先日はフリーゼ公爵令嬢の治療を行っていただき、誠にありがとうございました。あなたの尊い行動とその実績により、議会でも共存に対し前向きな意見も増えてまいりました。そして、以前話しましたディグニスに魔族の居場所を作るという話ですが────この度、晴れて認可が降りましたことをお伝えいたします"」
「キャーッ!」
「グレイ様! 僕たちディグニスに帰れるの?」
手紙を読み上げたグレイの表情は明るく、いつも穏やかな眉はよりハの字に垂れ下がっている。その様子を見兼ねてか、手紙の途中で他の魔族たちが歓声を上げる。
しかしグレイがしぃ、と口の前に人差し指を立てると、彼らは興奮をぐっと堪えて言葉の続きを待った。その目は期待に満ちていて、グレイの次の言葉を今か今かと待ち構えている。
「"……ですが、未だ魔族に対し恐怖感を抱く者が多いのも事実です。魔族の中でも特に人間に対して友好的で、悪戯好きでもない方を五名だけ、そちらで選んでいただけたらと思います。この小さな一歩が、人間と魔族、互いの関係をより良くするものだと信じております"」
「……結局奴らに害のない奴だけしか許可しないんじゃないか」
「仕方ないよ、ゾーイ。人間は俺たちが怖いんだから」
「そもそも僕らの故郷なのに、なんで人間の許可がいるの?」
「人間の故郷でもあるからだよ」
不機嫌そうなゾーイはベンチにもたれかかると、「それで?」とグレイに先を促した。
「誰が行くの?」
「まず、ルルベルは確定だ。認可が降りたのも彼女の功績みたいなものだし。あとは、俺も行くつもりだよ。一応魔族の代表だからね」
「へえ……じゃあ僕は留守番かな。人間にはあんまり友好的じゃないしさ」
「はは、何言ってるの。ゾーイにも来てもらうよ」
「は?」
「え?」
私とゾーイの声が重なる。だって、ゾーイは本当に人間に対して友好的じゃない。友好的な振る舞いができるだけだ。それなのに、何故?
「……それだと手紙の条件に違反することになりませんか?」
「そうだね。でも、ゾーイは誰かが監督しておかないといけないから」
「ちょっと。人を問題児みたいに……」
「事実でしょ。君は俺かルルベルが見てないとすぐ人間に悪さしようとするんだから……。まあでも、俺だって約束破りはしたくないからさ。ゾーイも、人間を許せるようになってくれると嬉しいな」
ゾーイは何も答えなかった。不機嫌そうに顔を顰めると、諦めたように項垂れた。
「それじゃあ残り二人だけど……この手紙には"人型"って条件はないから迷うね」
誰にしようか。そう言ってグレイが微笑むと、皆こぞって手を上げ始めた。人型の魔族は手を大きく上げ、獣の姿の魔族は前足を上に伸ばした。鳥のような小さな魔族はバサバサと羽を広げて気持ちをアピールしている。
やっぱり、みんなホームのことを気に入ってはいても、ディグニスに行きたい気持ちも強いらしい。
しかし立候補者があまりにも多く、グレイの一存のみで決めると後で揉める可能性があった。ならどうやって決める。歌唱力で決めるか、いいや、魔力量で、いやいや見た目で、徒競走で。
そうやって皆が口々に言い合う中、私も小さく手を上げた。
「あの、くじ引きなんかが良いと思いますの」
*
それから二日後、選ばれた私たち五人はディグニス国の王族であるシュタイン城に来ていた。フリーゼ城よりもどこか厳かなその空間には、フリーゼ公爵とその傍らにギルベルト団長と騎士団の皆さん。反対側にはヘルマンド侯爵をはじめとした貴族数名が立ち並び、私たちの正面には王族が構えていた。
長く生きた経験なのかグレイもゾーイも緊張している様子は無かったが、私とくじ引きで選ばれたもう二人、いや、二匹は、この場の威圧感に押されて身を縮こまらせていた。
白い子犬のような魔族のチャッピーと手のひらサイズの綿毛に細い耳が生えたような魔族のワタは、私の腕の中でお互いに身を寄せ合いすぎてほとんど一体化してしまっている。
『大丈夫ですわ。この人たちは怖い人ではないもの』
『でもやっぱりちょっと怖いよ。なんで中々話し出さないの?』
『きっと向こうも話し始めるタイミングを伺っているのですわ』
魔力を介して宥めるように話すと、彼らの恐怖は徐々に薄まっていったらしい。伏せっていた顔を恐る恐る上げ、王たちを見やる。
全員がしっかり顔を上げたところで、王様は息を吸い、大きく口を開いた。
──先日の礼と、それから今後の方針。それらを手短に伝えた後、最後に釘を刺すように「もし何か問題を起こせば、すぐにシュカリオンへ戻ってもらう」と厳しい言葉を放った。
やはりシュタイン家はリンハルト王子を除いてほとんどが反魔族派なのだろう。それでもこの王が一時的にでも魔族の滞在を許可したのは、リンハルト王子をはじめとした人々の尽力あってのことだ。
王の隣に控えるリンハルト王子に視線を向けると、彼はにこりと笑みを浮かべて頷いた。
「では、ここからは私がご案内いたします。皆様、客室へどうぞ」
リンハルト王子に促され、私たちは謁見の間から出て行く。長く豪奢な廊下を歩いてしばらく。声が謁見の間に届かない所まで来ると、リンハルト王子はくるりとこちらを振り返った。
その表情は明るく、どこか高揚している。
「夢じゃ、ないのだな……! 本当に……魔族の方々がこちらで暮らせる日が……!」
「ええ、夢じゃありませんよ殿下。俺たちのために尽力いただき、ありがとうございます。……陛下を説得なさるのは大変だったでしょう」
「ああ……だが、フリーゼ家をはじめとした他貴族からの賛成も多く得られたんだ。あなたが企画したパーティで、皆が魔族について知ってくれたからかもしれないな」
「はは、ありがとうございます。それじゃあ、俺たちもこれから頑張らないと」
「ええ。では詳しい話は中で」
リンハルト殿下が客室の扉を開ける。赤とブラウンで纏められた調度品はどれも気品があって、なんだか萎縮してしまいそうだ。しかしそんな空間の中で一人、見知った顔を見つけて私はつい声を漏らした。
「えっ? ヴルフさん?」
「やあやあ! お久しぶりです! グレイ様と殿下は昨日ぶり、ルルベル様は三週間と六日ぶりですね!」
「ど、どうしてここに……?」
緊張など全くせずにソファに腰掛け茶を啜っていたヴルフは、カップを持ったまま私たちにも座るよう促す。客室とはいえ王城の中だというのに、彼はこの場にいる誰よりもこの部屋の主人然としていた。
私たちが座ると彼はようやくカップを置き、懐から二枚紙を取り出してこう語った。
「どうして自分がここにいるのか。それは……自分があなた方の住む家のオーナーだからです!」
「お、オーナー!?」
「そう! 以前来ていただいた二号店がありますよね? あの店をあなた方に貸そうという話になりまして」
「えっ、あれ二号店なんですの? っていうか、その……よろしいのですか……?」
「よろしいに決まってますよ〜! はい、これは契約書。どうぞ、目を通してください」
テーブルにぽんと置かれたその契約書は、二枚に渡ってみっちりと文字が詰め込まれていた。しかし私には何が書かれているかさっぱりで、助けを乞うようにグレイに視線を向けた。
「五人で見るには少し文字が小さいね。俺が読み上げようか」
状況を察したグレイが、もっともらしい理由を付けて長い指で紙をさらう。そうして、しばらく彼の読み上げを聞くうちに、徐々に自分達がこれからディグニスで何をするのかが明確になってきた。
どうやら私たちは、これからヴルフの店を借りて働くらしい。働くと言っても、そこまで大変な作業ではない。経理などの複雑な作業はヴルフが纏めてやってくれるから、私たちはただお客さんに物を売ったり、交流したりするだけ。要するに、店番だ。
これは話を聞くに、グレイから提案したらしい。魔族の有用性に気づいてもらえれば、人間たちも魔族を快く迎えてくれるだろうと思ったのだと、彼は話した。
人間相手にお店屋さんをするんだ! と心を弾ませる小さな魔族二人の隣で、ゾーイは複雑そうな顔をしていた。
『ゾーイ、大丈夫?』
『大丈夫じゃない。どういうこと? こいつらに良いように使われろよってこと?』
『言い方……。きっと働く中で上手く人間たちと交流して信頼を上げていこうってことですわ』
『何それ。役に立たないと信頼って築けないの?』
『………………そう、ではない、けど。そういう人が……たぶん、多いんだと思いますわ』
ゾーイの言葉に、昔の記憶が脳裏を這い始める。使えない。役に立て。いいから黙って言うことを聞け。そう、言われ続けた記憶が。
…………でも。ナシュカ様は役に立たなくても、それでも良いと言ってくれた。そういう人がいることを、その感情が自分に向けられることがあるってことを、私は初めて知った。だから……。
『でも……そうじゃない人もいますわ。そういうお客さんが、たくさん来てくれるといいですわね』
ゾーイからの返答はなかった。そのまま触れていた手を引っ込められて、それきりだった。
グレイが契約書を読み終えると、それに合わせてヴルフはパン、と大きく手を叩いた。
「では! 契約内容にご意見はありますか? 無いようならもう行きましょうか! あっ、殿下。お茶ご馳走様でした! 美味しかったです! まあうちのお茶ですからね。ぜひまた買ってください!」
ヴルフが王子と話してるところ、初めて見たけど王子にもこんな感じなんだ……。
ヴルフは生い立ちを考えるともっと卑屈になっていてもおかしくないのだが、彼のこのある種異常ともとれるタフさは見習いたいものだった。
リンハルト王子は私たちにもお茶を用意していたようで、もう少しゆっくりしていくことを提案したが、ヴルフは首を横に振った。
「ちょっと今日は帰ってからやることがあるので……」
そう言って足速に去ろうとするヴルフを王子も止められず、結局私たちはビスケットだけ貰って帰ることとなった。
「いやぁ、すみませんね。急がせちゃって」
「いえ……帰ってから何か予定があるっておっしゃっていましたけど、私たちがお邪魔してしまって大丈夫ですの?」
「ああ、全然問題ないですよ〜! あれは嘘ですからね。今日は一日ヒマです! 一号店は友人に任せてきましたし……」
「な、なんでそんな嘘を……?」
尋ねると、ヴルフは半分だけ顔をこちらに向ける。切れ長の隻眼が私を捉えると、彼にしては珍しく小さな声で囁いた。
「……城は嫌いでして」
「えっ」
「さあ行きましょう! 大丈夫、自分こう見えて世話好きですので! 衣食住はきっちりサポートいたしますよ!」
先ほどの囁きなど無かったかのように、ヴルフは前を向いて歩き出す。さっきの声はグレイやゾーイ、小さな魔族たちにも聴こえていたはずだけど、誰も何も言わない。
……怖。
前途多難になりそうな気配を薄ら感じたけれど、いやいや、きっと大丈夫だ。うん、大丈夫。ヴルフって変わってるけど別に悪い人ではない、はずだし……。いや、どうだろう……。
ダニエルがゲームと少し違う性格をしていたり、グレイがゲームで見せなかった表情を見せるのと同じで、彼も、きっと私が知ってる情報以外の側面も持っているはずだ。
これから一緒に暮らすことになるわけだし、これを機にヴルフとも色々話しておこう。
絶対起こさせはしないけど、万が一にも魔族と戦争になってしまった時に、ナシュカ様に味方してくれるように。