私が考える気持ちの転生
まぁ、コロナにかかって突然死する事も、可能性としてゼロとはいえないんで
ある一種の遺書って事でもいいか
コロナで危篤になってエクモ行きの意識不明に一気になったら
書くモノも書けんしな…
これを読んでしまうと言う奇特な貴方へ
これを読んで、
何故か心が感じて動いてしまうという奇特な貴方へ
そんな奇特な貴方だけへの、私が残す言葉。
ただ、まぁ回りくどい所から語れば…
ちょっと思い出して欲しいのです。
貴方が生まれた時の事を。
私とたいして変わらないと思うのです。
まるで眠りから醒めたかの様に、突然、意識が起きた
何か自分は突然、『生まれてしまった』
そうではないですか?
私はそうだったのです。
何も分からない、何も覚えていない、
それでも、兎にかく、何か、生まれた。
意識が突然、起きた。
それだけは、曖昧に覚えています。
私は生まれたばかりの0歳の頃とか覚えていません。
せいぜい、2~3歳の頃に、何かボヤッとした思い出があったな
ぐらいしか、幼児の時の事が思い出せません。
親に「生まれた時の3歳の時にこう言ったのよ」
とか言われても、そんな事、覚えてません。
何となく自分が自分だなという自己同一性をぼんやり自覚したのは
多分、5~6歳ぐらいでしょう。
それが、自分だけでしかない、自分だけの自分だと
朧気ながら認識しました。
今では、「そうでもないのではないか?」とも思うのですが
まぁ、それは些細な事なので、どうでもいいです。
私の詳細な情報はどうでもいいです。
それは後述する
「戦国時代に尾張にいたかもしれない五郎という農民が
西暦1561年の3月2日に食べたおにぎりには
梅が入っていたか?ただの塩握りだったか?」
と同じぐらいに、未来の人には何の価値もない情報なので。
しかし、暗号電文的な断片情報ぐらいは、あってもいいでしょう。
だから私事を少々。
私はずっと疑って生きていました。
本当に自分は、電気が好きなのだろうか? と。
私の兄という、おかしな人間が、私の兄として存在しなければ
私は電気の世界に出会う事もなく
得意だったお絵描きの能力から派生して
同人エロ漫画でも描いて、不健康な生活をして
今の年齢よりも、早死にしていたんじゃないか?って
兄という変なファクターさえ無ければ、
電気の世界に出会う事さえ無かったのではないか?
今の自分は、たった1つの妙な因子が無ければ
全く別人だったのではないか?
そんな、曖昧な事をずっと疑って生きてきました。
まぁ、とはいっても、それが自分の生まれた時からの周辺環境だったのだから
どう転がっても、私の兄という変なファクターのせいで
電気の世界に巻き込まれるしか無かったので
自分が自分になってしまったのは、状況的な運命で、
これはこれで、仕方の無い事ではあったのですが。
それでも、別の人生があったかもしれないという事を
どうしても、考えてしまう時があるのです。
ただ、そんな私の詳細な情報は、貴方には価値がない。
私には、それは分かっています。
私には、私を成長させる
あるいは、私の人生に利益となりうる可能性が生まれる
『という事は絶対にありえない情報』
「戦国時代に尾張にいたかもしれない五郎という農民が
西暦1561年の3月2日に食べたおにぎりには
梅が入っていたか?ただの塩握りだったか?」
という情報の正確な答え、それは「梅だった」「塩握りだった」
という2択が、どっちでもどうでもいい事でしかありません。
私にとって、それの正確な答えが分かっても
私にはその情報は、何の人生的利益も無いのです。
それと全く同じ事で、
貴方にとって、私の人生の精密な情報が
どうだって良い、貴方に何の利益も無い情報だと分かってます。
だから、私の断片情報は、この程度で。
そして、本題として、
私が、ただ、貴方に伝えたい1つの事。
どんな理由であれ、どんな経緯であれ
それはいいじゃないですか。
ただ1つ、向き合いたい気持ち。
ただこれだけは確かだと思える気持ち。
それだけでいいのです。
『私は電気を学ぶのが、楽しかった』
好きかどうか、とかそういう事よりも、なお根源的な
そう…、エロ漫画を描くよりも、小説を書くよりも
下手クソな曲を作るよりも、何よりも
『電気を学ぶのが、楽しかった』
それだけが、確かな私の、確かなモノだと、言えるのです。
まぁ電気という小さな範囲に留まらず
物理学全般が楽しかった
物理学を学んでいたかった
と、大きくしてもいいですし
人類共通の探求する、究極命題
「我々は如何にして生まれたのか? 我々は何なのか?」
その答えを知りたい。
という王道の気持ちをもっているとか
その答えを出す方法を物理学で見つけたいとか
これまた、王道な気持ちでもいいのですけれども
なんというか、そんな
「答えが見つかったら、それ以上、生きていかなくてもいいじゃない」
という、全ての終わりの答えを求める大仰な事を
性急に求めなくてもいいじゃないですか。
そんな事は、1万年、2万年も四苦八苦して
考え続けた方が、人類の暇が潰せるから、それでいいじゃないですか。
だからまぁ、ちょっとコンパクトにしておいて
『私は電気を学ぶのが楽しかった』
その気持ちだけが、私が私だった確かなモノで、いいんじゃないかなって。
そして、ただ奇特な貴方へ。
この言葉を見て、心が感じて動いてしまった、という奇特な貴方へ
伝えたい言葉。
貴方と私は、全くの他人です。
物理的に意識の連鎖があるわけでもないし
物質的な連続性があるわけでもない
ましてや、生まれた時間も場所も違うし
もっとびっくりなのは、『同じ時間に生きていたとしたら』
それは確実な別人であるのは明らかな事でしょう。
そう、だから、貴方と私は別人なのです。
でも、もし、貴方がこの言葉
『私は電気を学ぶのが、楽しかった』
という言葉に、感動してしまう奇特な方なら
そんな奇特な方であったなら
それだけは『全く同じ概念(気持ち)を共有した二人』
ではないでしょうか?
そして、私が死んでしまって、貴方が残るとか、
あるいは、貴方が新しく生まれて、この思いと同じ気持ちを
感じて、共有したのならば…
欲を言えば、この書き残しの言葉で
それが伝わったのならば…
『私の気持ちが貴方に転生した』
と考えていいのではないでしょうか?
気持ちの転生と考えて、いいのではないでしょうか?
私と貴方は、全くの他人である事は間違いありません。
それは確かな事です。
それでも!!
そうだとしても!!
私と貴方がただ1つだけ同じ気持ちを共有したのなら
私が死んだ後に、「何故か突然、意識が起きた(生まれた)」
貴方に、この同じ気持ちが宿ったのならば…
それが「思いの転生」
という事でいいのではないでしょうか?
他の情報を何1つ共有できていない、我々の一般概念的な「転生」ではなく
ただ1つの思いだけを共有する、小さな思いの転生であっても
その思いだけを互いに共有したのなら
『貴方は私で、私は貴方』
それでいいんじゃないでしょうか?
私は転生なんて、そんなモンでいいんじゃないかと思います。