慈悲(二)
「斥候がハンの野営を発見した。速やかにこれを掃討せよ、ですか」
副官は読み上げた命令書を准尉へ返す。准尉はそれを受け取ると燭台にかざし、焼く。そして口元に手を当て、暫し黙す。
「どうしたのです。これは反撃の好機ではないですか。それに急がないと、逃げられてしまうのでは」
「そうだな。支度を急ぐぞ」
准尉の言に副官は一礼し、去った。
丘と丘の間、木々の群れの先に天幕が立ち並ぶ。准尉の一団は身を低く構え、その様子を窺う。副官が兵に合図しようとした刹那、准尉は呟く。
「これは罠だ。幾つか飯炊きの煙が見えるが、あからさま過ぎる。それに家畜の群れも見当たらない。そもそも遊牧の民の野営地など、簡単には見つからないものだ。それが今になって見つかるとは、話が旨すぎる」
「確かに言われてみれば不自然ですが、では引き返すのですか」
「引き返せば奴らは間違いなく待ち構えている。辺りの森にも伏兵がいるだろう。我らは既に追い込まれている。尋常な手段では駄目だ。局面を複雑にして、敵に間違えてもらわなくては」
准尉は暫し額に指を当てて黙した後、続ける。
「急いで枝を集めろ。森に火を放つ」
「そんなことをしたら、我らも行き場がなくなるではないですか」
「あの野営に向かう」
「罠だと分かって飛び込むのですか」
「そこは賭けだ。だが、無策で敵襲を待つよりは増しだ。それにあの見せかけの野営、細工はあるかもしれないが、恐らく敵兵は僅かだ。あれはただ、我らを誘き寄せる為の餌なのだからな」
「分かりました。やりましょう」
准尉の配下が火を放ち、次第に森は煙に満ちていく。一団は一斉に野営へと駆ける。天幕の陰からハンの兵が幾人か飛び出し、一団と斬り合う。野営が制圧されると、准尉が叫ぶ。
「構えろ。焙り出された敵を討つ」
焼けた森からハンの兵が一人、また一人と現れ、准尉の配下が一斉にそれを射る。副官が叫ぶ。
「天幕を確認しろ。罠には注意するんだ。安全が確認出来たら負傷者を収容しろ」
やがて森から現れる兵はいなくなり、副官は准尉に言う。
「ここまでは順調、でしょうか」
准尉は口元に手を当て、言う。
「少なすぎる。伏兵がいたと言うのに、これだけの筈がない」
「准尉、副官、こちらへ」
兵の示す天幕に入った准尉と副官は、鼻と口元を覆う。その眼前には小さな土の山と、地面に掘られた穴が見あった。
「この臭いは、まさか」
副官はそう言って、穴を覗き込み、続ける。
「躯。しかもこれは、運河の国の兵ではないか」
「弔いの途中だったとでも言うのか。馬鹿な」
准尉がそう言って天幕を出ると、兵達は騒めいていた。
「もう、駄目だ」
「俺達も、ああなっちまうんだ」
准尉は呟く。
「これも竜王の慈悲だとでも言うのか。こんなに都合良く、我らの戦意を挫くなど」
やがて森の炎は衰え、煙の中からハンの騎兵が現れ、縄と網を投げる。
「助けてください、准尉」
網に掛かった兵は藻掻き、叫んだ。准尉は短刀を構えるが、その刹那、腕に縄が絡む。准尉と配下の兵は次々と捕らえられた。




