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偽書『愚帝と僭王、畜生と議長』  作者: 宿木マコト
帝国の内なる厄災
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古都

「お久しぶりです、伯爵」

「おお、イザリヤ。少し見ぬうちに、随分と凛々しくなったものだ」

伯爵は古都の城館の入口に立ち、両手を広げ、イザリヤを迎える。傍らの庭先では幾人もの職工が大きな弩を組み立てる。イザリヤがそれに目を向けると、伯爵は言う。

「騒がしくて、すまぬな」

「やはり、戦支度を進めておられましたか」

イザリヤの言に、伯爵は笑う。

「戦支度などと、物騒な事を言う。これは王都に納める品であるぞ」

伯爵はイザリヤに歩み寄り、声を潜め、続ける。

「表向きはな。守役殿から聞いてはおらぬ訳ではあるまい。そう言えば守役殿の姿が見当たらぬようだが」

伯爵の問いにイザリヤは暫し黙し、言う。

「じいは今、使いに出しております。それより伯爵。まずは、これをご覧戴きたいのです」

伯爵はイザリヤから紙を受け取り、黙読し、溜息をつく。

「話には聞いておったが、全く」

「お聞き及びでしたか」

伯爵は職工らを一瞥してイザリヤに視線を戻し、言う。

「ここで立ち話も何であろう。中を案内しよう」

城館の入口は広間になっており、幾つかの彫像と絵画が飾られていた。伯爵は奥へと進み、イザリヤはその後ろを歩く。伯爵は言う。

「大方の見当はついておる。糸を引いているのは、石工の街の連中であろう」

「確かにその紙は、石工の街で配られていた様です。そこまで調べがついておりましたか」

イザリヤの言に伯爵は笑う。

「そうではない。そうではないが、見え透いておる。これは手で書かれたものではない。版を作り、刷られたものだ。これで職人の街が絡んでいないと言う方が、無理がある。加えて連中には動機もある。今が正にそうだが、戦支度となれば我らは職工の手を借りねばならぬ。連中もそれを分かっておる故、我らに付け込む、好機と捉えておるのだ」

「危機を煽り、物の値を吊り上げようと、そういうことでしょうか」

「金の話だけで済めばよいがな」

伯爵は暫し黙し、続ける。

「職人の街には自治が認められておる。そなたも知っておるであろう。連中は既に賦役の免除という大きな恩恵を受けておる。自警団の組織もまた、我らの許しがあればこそだ。しかし奴らの望む自治とやらには、どうやら際限がない。このところは事あるごとに裁判権の見直しなどと抜かしおって、難儀しておる。石工の街では職工が関わる揉め事は『偉大なる工匠』と称する者が裁きを行うが、これを職工に限らず、外から訪れた者も含めて裁きを行えるようにしたいと言う。馬鹿馬鹿しい。奴らを放っておけば、いずれ王を名乗るのであろう」

扉の開いた先に、大きな食卓があった。伯爵は奥の大きな椅子に腰掛けると、手をかざしてイザリヤに椅子を勧める。イザリヤは浅く一礼し、腰掛ける。クロードと兵はその後ろに直立する。伯爵は言う。

「それで、だが。この紙は、そなたが連れて来た、農夫らしき者達が持っておったのか」

イザリヤが「はい」と答えると、伯爵は笑う。

「ではあの者達の首を刎ねなくてはならぬな」

「お待ちください。あの者達は反乱に加わろうとしていた訳ではありませぬ」

イザリヤが声を荒げると、伯爵は静かに笑う。

「真に受けるな。戯言だ。しかしあの者達も、只でそなたに付いてきた訳ではなかろう」

「はい。租税の減免について、わたしが伯爵に掛け合うと約束致しました。彼らを連れて来たのは用心の為です。今、あの者達に反乱を起こすつもりはなくとも、唆す者が違えば、どうなるかは分かりませぬ。故に彼らが叛徒に加わらぬよう、予め我らの隊に組み入れ、ここまで連れて来たのです」

「なるほど、面白い。賢明かもしれぬ。だが、難しい所でもある。集落一つの税を免じるだけならば良いが、それを聞けば他の集落も黙ってはおるまい。とは言え、民に約束した、そなたの顔も立ててやらねばなるまい」

伯爵の言に、イザリヤは浅く頭を下げる。

「何か良い落としどころを考えるとしよう。一先ずは、古都で過ごす間、不自由の無い様に取り計らおう」

伯爵はそう言い、傍らの文官を指差す。文官は一礼し、去る。

「さて、まずは茶でも飲み、一息入れようではないか。そなたも長旅で疲れておるであろう」

伯爵の言にイザリヤは返す。

「お気遣い痛み入ります、伯爵。しかし悠長には出来ませぬ。あの檄文が各地に出回っているとすれば、由々しき事態です。一刻も早く、何らかの策を講じねばなりますまい」

給仕が茶を置き、伯爵はそれを口に含む。ゆっくりとした仕草で顎に手を当て、言う。

「これは連中の茶番だ。あんなものを配ったところで、字が読める農民などおらぬのだからな。石工の街の連中も、それを分かった上で、やっておる。奴らとて、大事にはしたくないのだ。このような、つまらぬ揺さぶりには、動じぬことが肝要だ。そもそも、もし仮に反乱が起きたとして、農民が幾人束になろうと騎士の敵ではない。歯向かうと言うならば、法と領分を知らしめてやる。それだけの話だ」

「力で捻じ伏せると、そう仰るのですか」

「治世とは、斯様なものであろう。そなたも何れ民を統べる立場を目指すと言うなら、力とは正しく向き合うことだ」

伯爵は再び茶を口に含み、続ける。

「しかし折角だ。そなたなりの考えがあると言うなら、遠慮なく申してみよ」

イザリヤは一礼し、言う。

「では恐れながら、まずは反乱が予告された七つ目の満月。この日は街の門を閉ざし、護りを固めるべきです」

伯爵は幾度か小さく頷き、返す。

「何事も用心するに越したことはない。だが、時節が悪い。その日は夏市が開かれておる。市の税収は重要だが、それだけではない。我らは市を開く商人の安全を保障する立場にある。夏市は、古都とその周囲の治安が保たれている証であり、その開催には我らの威信が掛かっておる。故に、軽々しく門を閉ざすことなど出来ぬのだ」

「仰ることは理解致します。しかし、なればこそ、夏市に関わる民の安全が第一なのではありませぬか。万が一にも、街へ叛徒が雪崩れ込むようなことがあれば、それこそ、我らの威信は地に堕ちましょう」

伯爵はゆっくりと指で机を何度か叩いた後、言う。

「では、こうしよう。街の門の守備兵を増やす。何時でも直ちに門を閉じられるよう、手配しよう」

暫しの沈黙の後、イザリヤは顔を上げ、言う。

「もう一つ、献言してもよろしいでしょうか」

「申してみよ」

イザリヤは暫し黙し、言う。

「申し上げ難いことでございますが、伯爵。領主の座を退いては如何かと存じます」

「ほう。わたしに、隠居せよと言うのか」

「はい」

イザリヤの返答に、場はどよめく。傍らの文官が「イザリヤ様」と身を乗り出すが、伯爵は「良い」と言い、手をかざしてそれを止める。伯爵は続ける。

「孫と遊ぶ、そなたの姿を覚えておる。そなたは幼き頃から、棒切れを振り回しては男共を追い回しておったな」

僅かに顔を赤くしたイザリヤに、伯爵は小さく笑い、続ける。

「そこまで反乱を案ずる必要はないと言ったであろう。だが、考えの筋としては正しい。わたしを討つと言った以上、わたしが退いてしまえば、叛徒共に大義はなくなる。まあ、そうだな。それも良い。しかし家督を譲るべき息子達は、先の戦いで皆、死んでおる」

「お孫様がおられるではないですか」

イザリヤの言に、再び場はどよめく。文官は言う。

「イザリヤ様、ご存じないのですか」

イザリヤは文官と伯爵の顔を交互に見る。伯爵は言う。

「ハンゾの人質となっていた孫は、躯となって帰ってきた。鷹狩りに出かけた折、馬に蹴られたのだと言う」

イザリヤは暫し唖然とし、頭を下げる。

「知らぬこととは言え、大変なご無礼を致しました。何とお悔やみを申し上げれば良いものか。その様なご不運があったとは」

「不運などではない。分り切っておろう。ハンゾが殺したのだ。奴は目障りな古都の旧家を根絶やしにするつもりだ。表向きだけは皇帝に従う振りをして、裏では斯様な薄汚い手を使う。何処までも卑劣な奴らだ」

伯爵は暫し黙し、続ける。

「身を退くのは良い。だが、今ではない。ハンゾの首を斬り落とし、蛮族の蛆虫共をこの地より追い払うまでは、隠居などは出来ぬ。イザリヤ、このような折にそなたが古都を訪れたのも、巡り会わせかもしれぬ。共に戦い、森丘の民と息子達の無念を晴らすことが出来たならば、我が所領はそなたに譲ろうではないか」

「古都を、わたしに、ですか」

「他に誰がおる」

「光栄ではございますが、その、このような折には兄の名前が先に上がるものかと」

「あの裏切り者の、イヴァンのこと言っておるのか。冗談ではない。一族の面汚しめ」

伯爵は食卓を叩き、立ち上がる。そしてイザリヤに背を向け、力なく笑い、続ける。

「いかんな。声を張り上げたら、眩暈がしたわ。歳は取りたくないものだ。そなたも部屋で休むが良い」

伯爵は立ち去る。


「これで狙い通りなのか」

塔の上から古都の街を眺めるイザリヤの後ろで、クロードが呟いた。イザリヤは振り返らず、呟く。

「馬鹿にしておるのか」

「聞いただけだ」

クロードの言にイザリヤは溜息をつき、返す。

「伯爵の子息が皆死んでいることは知っていた。故に、伯爵が隠居し、まだ幼い孫が家督を継ぐならば、復権派の足並みも乱れ、暫くは真面に軍勢を動かせぬと思ったのだ。浅はかと笑いたくば、笑うが良い。わたしでは、じいの様にはいかぬ」

「じじいか。これもあいつの差金かもな。伯爵の孫が死んで、その家督が親戚とは言え子でも孫でもない、あんたに転がり込んでくるなんて、出来過ぎた話だ。おまけに伯爵はハンゾへの憎悪も昂っている。復権派としては頼もしいことだろう」

「伯爵の孫の死に、じいが関わっていると言うのか」

「気に障ったなら、謝る」

「いや。じいの事だ。あり得ないとは、言えぬ。だが最早、それはどちらでも良い」

イザリヤは顔を手で覆い、溜息をつく。

「先が読めぬ。じいも、竜王も、何故、見通せるのだ。伯爵の言う通り、古都には誰も来ぬかもしれぬ。檄文が出回ったところで、民にとっては包み紙でしかない。何も起きなかったその時、私はどうしたらいいのだ。だがもし、多くの者が檄文に触れ、叛徒が古都に押し寄せたとしたら」

「一つ、確認しておきたい。そうなったら伯爵と民、どちらの味方をするつもりだ」

「わたしが民を焚きつけたのだ。その民を斬るような、恥知らずな真似は出来ぬ」

「それがどういう意味か、分かっているのだな」

「分かっている。わたしは、分っている筈だ」


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