学師
「商人と大臣の話、先生はどう思われるのだ」
「『槍を献上せよ』と言われ、商人はすぐに返事をしたのでございましょうか」
「ああ、すぐに『承知した』と」
「ならば大臣閣下のおっしゃることは概ね理に適っておられるかと存じます」
「先生までそういうか」
「まず、戦の話が全く嘘であるといたしますと、その嘘はいずれ知られ、商人は重く罰せられ、或いは死罪となりましょう。その危うさに見合うものがなければ、嘘は理に適っておらぬのでございます。槍や戦支度の儲けがそれに見合うかといえば、随分と足らぬように思えるのでございます。かといって大臣閣下とのやり取りの様子を伺う限りでは、その商人、損得を見誤るような間抜け者とも違うように思われます。恐らく閣下はその商人を見極めるために献上の話をされたものかと存じます」
「そういう話ではない。我は言ったのだ。大臣の思慮は分かるが、得心はいかぬと」
「それならば一つ、無礼を承知で申し上げるとすれば」
「構わぬ。そなたら学術院の者はそもそも『中道にして無礼』なのであろう」
学師は静かにうなずく。
「では僭越ながら、大臣閣下が商人は金のために動くものと、そのお言葉通りにお考えなのでございましたら、それは表面的な理解と言わねばなりません。民は命のために商うのでございます。民は働かねば食えず、食えねば飢え、飢えれば死ぬのでございます」
「我でもそのくらいは分かっておる」
「恐れながら殿下は分かっておられるのでなく、単に知っておられるというだけでございましょう。飢えたことのある者にしか、真の飢えは分からないのでございます。飢えるとは単に腹が減ったなどという話ではございません。今日も明日も、食べるものの当てがないということ、ひいては生きる当てがないということなのでございます。さて、先頃の商人は北の地より槍を仕入れたという話でございました。北の地の冬は長く、山は険しく、作物も多くは取れぬと言われております。商人が儲けを出さねば、北の地の民はどうなることでございましょう。商人の生み出す金の先には、品を売る者、買う者、運ぶ者、作る者と、多くの者の命が繋がっておるのでございます。この点においては、かの商人もまた、民の命を預かる殿下や陛下と通ずるところがありましょう」
「だから我が問うておるのは、そういうことではない。民が生きるために必死なことは我ももっと考えねばならぬ。しかし敵味方双方の戦支度で益を上げるなど、不実ではないかと我は申しておるのだ。それを知って見過ごす大臣もやはり不実ではないのか。人はまず、正直であるべきであろう」
「ああ、殿下は道義の話をされておりましたか。それならば、わたしには何もお答えすることはできますまい」
「どういうことか」
「わたしが申し上げておりましたのは理の話でございます。理とは、水はどのように流れるか、といった類の話でございます。水が高いほうから低いほうへ流れていく様には善悪などなく、それを眺めている者の願いなど入る余地はないのでございます。対して、人や世がどうあるべきかという考えは道義と呼ばれております。道義とは人の願いによるもの。人が何を願うか、それ自体は人に委ねられておりましょうが、願いを以って理を推し量ってはなりません。理は人の願いの外にございます。故に理を求める学術院の者は、道義を語らぬのでございます。道義を語れば理は遠のく。そのように言われております」
「ならば商人の振る舞いは水の流れと同じように理である故、そのままを受け入れよと言うのか」
「いいえ、殿下は道義を語らねばなりません。それは君主の務めというものでございましょう。善政とは同義と理の交わるところに生ずるものかと存じます。翻って、理を知らぬ者の道義は時に残酷なものとなりましょう」
「自らの道義は語らぬ癖に、人の道義を愚弄する、学師とはそのような者か。もうよい。下がれ」
学師が去り、アルバリウスは椅子を蹴った。