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偽書『愚帝と僭王、畜生と議長』  作者: 宿木マコト
帝国の内なる厄災
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深淵

 山の国が滅ぶ、その終焉の時をわたしは見た。

 攻囲戦が始まった日、わたしは笑っていた。用意した投石機械が、無事に動いたからだ。組み立ての苦労が結実した喜び。竜王の期待に応えられたという安堵。これを見て彼らがすぐさま降伏するならば、両軍の犠牲は僅かで済むだろう。

 しかし翌日、わたしは苛立っていた。山の国は降伏しなかった。この期に及んで抵抗など、意味はない。愚かな主君が負けを認めぬばかりに臣民が犠牲になるなど、馬鹿げた話だ。考える程に、わたしの中の苛立ちは憎しみへと変わった。不意にハンゾが『あれを使うぞ』と言った。わたしは『はい』と大きな声で答えた。今になって思えば背筋の寒い話だが、このときのわたしは笑っていたかもしれない。嬉々として火薬壺を機械に据えたのだ。

 やがて戦いは決した。わたしは勝利に貢献した誇らしい気持ちで崩れかけの城門を通り抜け、そして、躯を見た。瞬く間にわたしは気分が悪くなり、嘔吐した。折れ曲がった四肢。焼け焦げた皮。酷い有様だった。わたしの所為だ。だが、こんな惨い殺し方を望んでいた訳ではない。わたしが望まなかった以上、これはわたしの責ではない。或いはこの者には何か、死すべき理由があったのだ。心は乱れ、吐き出すものもなくなり、むせていた。すると竜の背の上からハンゾが『この戦はわたしが命じたものだ。機械は兵が動かした。その者の死はお前の所為ではない』と、声をかけた。わたしの所為ではない。それは正に、その時のわたしが願い、欲していた言葉だった。だがハンゾの一言に心を委ねそうになった時、不意に学術院の戒めを思い出した。願いを以って理を推し量ってはならない。そうだ。事実は違うのだ。わたしは口を拭い、『竜王が慰めを言うのは、実のところはわたしにその責があると分かっているからだ。どうしてわたしにこのようなことができたのか。わたしは、わたしが分からない』と答えた。ハンゾは周りを見渡してから、言った。『人が人を殺す様を地獄と呼ぶ者もいるが、生温い。殺しを望まぬ者が、死を望まぬ者を殺める。なればこそ、戦は地獄と呼ぶに相応しい』『竜王は地獄を望むと言うのか』『誰も地獄は望まぬ。だが、民はわたしに勝利を望んだ。地獄はその帰結として具現する』わたしにはまだ言葉の意味するところが見えず、茫然とハンゾを見つめていた。ハンゾは続けた。『人は、人を殺せぬ。些細な言い争いですら、多くの者は好まぬ。故に人は争いを他者に委ねる。始めは弁の立つ者を頼り、それで足らぬとなれば、殺しを厭わぬ者を頼る。更にそれでも足らぬとなれば、王を頼る。王は兵を揃え、民に代わって敵を殺す』『それは可笑しい。兵とは、民のことではないか。民の代わりと言いながら、民に殺しをさせているではないか』『そうだ。考えれば分かる、単純な理屈だ。だがお前は気付かなかった。お前だけではない、多くの者もそうだ。人は死を恐れ、気付かぬ振りをする。それ故、戦場に身を置きながら、殺すのも殺されるのも自分ではないと思い込むことが出来る。殺すか殺されるか、その時まで死は他人事なのだ。故に民の背中を押すのは容易い』ハンゾの言葉に圧倒され、わたしは間抜けな顔を晒していたことだろう。そしてハンゾは歌うように言ったのだ。『殺せぬ者には剣を授けよう。人肌の温もりに触れぬなら、殺せる者もいるだろう。それでも殺せぬ者には弓を授けよう。死にゆく者の瞳が見えぬなら、殺せる者もいるだろう。それでも殺せぬ者には機械を授けよう。崩すは石壁、人にはあらず。命のことなど忘れよう』怒りが込み上げた。ハンゾはこうなると分かっていたのだ。意図して、わたしに人を殺させたのだ。そのハンゾに無邪気にも勝利を願う民、そして人殺しの為の機械を嬉々として組み上げ、今更に憤る己。行き場のない憎悪と無力感が入り混じり、眩暈がした。そんなわたしを見透かしたように、ハンゾは言うのだった。『お前ならば或いはと思ったのだが。こんな単純な理に、予め気付かぬとは。それでいて、お前は気付かぬままでもいられぬらしい。不憫なことだ。見るがいい』ハンゾが目を向けた先で、兵達は奪い、犯していた。『掠奪。凌辱。虐殺。殺せぬ者どもは蛮行という酒を呷る。殺しに酔い、相手を人以下の畜生と思えば、その先は容易い。そして恨みを買う行いは、負ければ己に返る。故に罪は仲間の結びつきを強め、引き返すことを難しくする。そうして人は蛮行という酔いから醒められなくなる』『竜王は全てを見通した上で、兵の非道を許すどころか、むしろ非道を行うように仕向けていると言うのか』わたしが言うとハンゾは静かに首を振り、『全てを見通すなど、そんなことが出来たら退屈過ぎて生きてはおれまい。だが、そうだな。近頃は少し退屈していたかもしれぬ』と答えた。返す言葉もない。わたしもまた、ハンゾの見立て通りの、つまらない存在だったのだ。『だが、お前のように理の深淵に焦がれている者は、これでは終わるまい。新たな理を見出したお前が何を想い、何を為すか。或いは更なる深みの中で、真理とやらに出会うのか。お前の行き着く先が、楽しみだ』茫然とするわたしにハンゾはそう言って、竜と共に瓦礫の奥へと消えていった。

 数日して再びハンゾに会った時、わたしはどんな顔をして良いか分からなかった。だがハンゾは笑い、わたしに芋を投げ、言った。『あれだけ民が飢えていたと言うのに、斯様な芋を囲っていた奴がおると言うのだから、人の浅ましさとは、滑稽であろう』何かを口にする気分ではなかったが、ハンゾが芋を頬張り始めたので、わたしも食べた。甘い芋だった。『この芋は今ではどこでも手に入るが、元々は山の国の物だ。やはり本場の物は旨いな』ハンゾの言葉の真意を量り兼ね、わたしは沈黙した。ハンゾは構わず続けた。『どこでも手に入るようになったのは、或る商人がこれを広めたからだ。それまでも芋自体は珍しくはなかったが、ハンで手に入る芋と言えば、滋養のない、不味い物しかなかった。そこで商人はこの芋を山の国から仕入れ、普通の芋の十倍の値で売った。そして儲けた金で人を雇い、種芋を仕入れた。その芋が育つと、今度は始めの半値、それでも五倍の値で売ったという。だが今ではこの芋も、他の芋と値はさして変わらぬ。お前なら何が言いたいか分かるだろう』『大局を見ろと言うのか』わたしがそう返すと、ハンゾは目を閉じ、静かに頷き、言った。『お前ならば、そんなことは分かり切っておろう。わたしが言いたいのは、己の為に生きよ、ということだ。守銭奴と呼ばれた欲深き商人のおかげで、皆が旨い芋を喰えるようになったし、畑を耕す者達も豊かになった。それで良いではないか』わたしはハンゾの横顔に、『ならば竜王にとっての己の為とは何か。人の世の全てを我が物にしようと言うのか』と問うた。するとハンゾは笑みを浮かべて『それも良いかもしれぬな』と言い、遠くの山を見つめた。『あの山の向こうがどうなっているかと考えたことはないか。更にその向こう、陸の潰える場所。大洋を超えた先。或いは人の世の行き着く未来。わたしは世界の果ての、その全てが見たい』同じだ、そう思った。わたしもこの世の全てを知りたいと願い、学術院で学び、理を追い求めた。故にハンゾの言葉には共感できる。だが、そうであればこそ、わたしはハンゾの傍らにあってはいけないのだ。


-- 或る学師の手記

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