商人
「恐れながら殿下、今朝方、わたくしのもとに一つの知らせが参りました。なんでも、南東の属領、森丘の国にハンの騎兵の大軍が現れ、城が取り囲まれているというのでございます。そしてその手勢にはあのおぞましき獣、竜もいたと。ご存じの通り、竜は火を吐き、人や馬を丸呑みにし、その山の如き巨躯で闊歩するおぞましき怪物でございます。その鱗は岩ほども固く、尋常の剣や槍ではまるで歯が立たちませぬ。しかし何という幸運か、我らは先日、北の地より多くの鉄槍を仕入れたばかりなのでございます。北の地の鍛冶は誠に見事なもので、この鉄槍はみな、岩をも穿つ業物でございます。本日は是非とも我らの鉄槍を憎きハンの討伐に役立てて戴きたく、参上した次第でございます」
アルバリウスは病の父に代わり玉座に構え、黙っている。傍らの大臣が答える。
「森丘の王都が攻められておるというのか。それが真ならば由々しきことだ。だが商人よ、この城には何の知らせも届いておらぬ。知っての通り、帝都からは属領へと街道が伸び、そこには半日の道程ごとに馬屋が置かれている。伝令は馬を変えながら街道をひた走るのだ。お前はその伝令よりも早く、辺境からの知らせを受けたというのか」
「恐れながら閣下、商人というものはまこと、商いに必死なのでございます。商いのためならば、ときには街道を外れ、常ならぬ道も通るのでございます」
しばし沈黙があった。
「まあよい。ならばその鉄槍、すべて陛下に献上せよ。もしお前の話が真であるならば、我らは兵を起こし、その鉄槍を以って竜を討つであろう。その暁には『竜殺しの鉄槍』と名乗り、その槍を商うことを許す」
アルバリウスは静かに大臣と商人の顔を見比べる。商人は答える。
「承知致しました。そのように取り計らいましょう。鉄槍は全て、陛下に献上いたします。帝国の偉大なる武人の方々におかれましては、どうかご武運がございますよう」
商人は深々と頭を下げ、そして帰った。
「あの商人、北の鉄槍とやらを高値で売りたかったのであろう。献上などと言って巻き上げてよかったのか」
「殿下、先ほどのやり取りでは誰も損はしておりませぬ。戦となれば槍だけではなく、剣、弓、馬、兵糧といくらでも入用になります。あの者の狙いは他の商人より先んじて我らと商い、利を得ることなのです」
「それは真に戦となれば、であろう。ハンが攻めてきたなどという法螺話で槍を売るつもりが、言いくるめられて槍を只で手放す羽目になったとすれば、なんとも滑稽で哀れな話ではないか。大体そなたとて、伝令よりも早く知らせを受けるなどおかしいと疑っていたではないか。真に街道より近道などできるものならば、街道を作り直さねばなるまい」
「あの者が言う『常ならぬ道』とは、獣道や脇道の類のことなどではございませぬ。遠回しにハンとの商いのことを申しておるのです。恐らくは城が攻められる様を目で見たのではなく、城攻めの支度をハンどもがしておると、商いの品の流れから知ったのでしょう。あるいはあの商人が自らハンに品を売ったのかもしれませぬ。帝国との戦支度をするハンに弓を売り、ハンとの戦支度をする帝国に槍を売る。商人とはそういうものです」
「なんと浅ましき不届き者か。そこまで分かっていて、あの者を黙って帰したというのか」
「お気持ちはお察しいたしますが殿下、あの者たちと事を構えるのは得策とは言えませぬ。むしろ商人というものは金のために動くかぎりは信頼に足るものです。それでもあれらを敵に回すと言うならば、それは金を敵に回すということ。金とは恐ろしいものです。国は金で栄え、金で滅ぶのです」
アルバリウスはしばし沈黙する。
「そなたの思慮は分かった。だが得心はいかぬ。本当にそれでよいのか。本当にそれで」