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偽書『愚帝と僭王、畜生と議長』  作者: 宿木マコト
帝国の内なる厄災
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儀礼

 皇后シウは宮殿の庭先で獣を捌いた。遊牧の民の中にあっては精勤な行いも、ここでは奇行でしかない。皇帝が来て声をかけると、皇后は血塗れの手で生肉を差し出した。生でも食せる部位を勧めたのであろうが、帝国の食しか知らぬ者には受け入れ難く、恐ろしく野蛮な光景に見えたことだろう。結局、肉は焼かれ、使用人達に振舞われた。彼らにとっては馳走であり、これを端緒として皇后を慕う者達もいた。だがこれは遊牧の民を野蛮人と呼びたい者にとっては格好の話題であり、諸侯の評判という観点では望ましくはなかった。

 その一方では竜王と大公の小競り合いは続き、これもまた皇帝の権威を貶めた。こうなれば先の和睦の真偽すら疑う者が出る。皇帝は竜王を従えたのではなく、単に森丘の国を敵に奪われたのだ、と。皇帝は、竜王を確かに従えていると、広く知らしめる必要があった。故に臣従の儀礼が執り行われることとなったが、これは皇帝にとって賭けであった。竜王が直ちに応じるか定かではなく、もし渋られれば皇帝の立場は非常に危うくなるからだ。

 皇帝は一先ずの賭けには勝った。竜王は帝都に訪れ、皇帝の前に跪いて恭順を示し、牛馬千頭を献上した。皇帝はこれに応え、王の証たる杖と帝国の旗を下賜した。儀礼の後、皇帝と竜王は様々な話をしたが、大公の件については何も無かったかの様に振舞った。話題にしない方が、双方にとって都合が良かったのだ。


-- 或る学師の手記



 今日は店に異国の商人が来た。宝石のような美しい目の女だった。竜殺しの槍に興味を持ったので、竜殺しのクロードの武勇伝を教えたら、首を傾げて『森丘の国で聞いた話と少し違う』と言う。女商人は森丘の国から来たのだと言う。本当の話を知っているんじゃ、しょうがない。俺は認めた。そう、竜に止めを刺した男は死んでいる。『この槍で竜と相打ちになりました』と言うのでは、売り文句として歯切れが悪い。だから生き残りであり、武勇伝にも事欠かないクロードの名前を担ぐようになったのだ。そう話をすると、女商人は偉く感心したという様子で『商人として実に勉強になった』と言った。男は女に感心してもらったら、悪い気はしない。


 今日は物凄い人だかりだった。何しろ、異国の姫だか女王だか、それが竜に乗って帝都にやってくると言うのだから、誰だって一目見てみたいと思うだろう。でも、その姫様が帝都に何故やってくるのか、俺ら庶民にはさっぱり分からない。誰も分からない話なのに、『帝国が勝ったからだ』『いや、負けたからだ』と知ったかぶりした連中が言い争っていた。そこに饒舌のトマスがやってきた。あの良く通る声で『童貞』だの『娼婦』だの、文字にするのも憚られる言い草で、お偉方を馬鹿にするもんだから、流石に誰も笑えない。当のトマスだけは得意気な顔をして、本当に馬鹿な奴だ。案の定、兵士にしょっぴかれた。それで、肝心の竜の方は背中が少し見えただけ。その上に人が乗っているのは分かったが、姫様だか何だか、遠くてよく分からなかった。行列が通り過ぎた後も広場の方では何度か歓声が上がって、何だか一日中、お祭りみたいな日だった。


 今日、酒場で久しぶりにトマスを見かけた。顔はトマスだが、すっかり大人しくなって、まるで別人だ。どうやら文字通りの『舌無しトマス』にされたらしい。『これでやっと静かに酒が飲める』なんて軽口を叩いている連中もいたが、流石に少し哀れだ。まあ、滅多なことは言うもんじゃない。さて、この間の女商人もそうだが、異国の姫様と一緒に、異国の商人と品物が帝都にはたくさん入ってきている。『東国の紙は安くて質もいい』『羊皮紙はもう値崩れが始まって、組合は揉めている』どこまで本当か分からないが、こういう時は少しでも多く情報を集めたい。儲け話を逃したくないのは勿論だが、それより自分が仕入れた品が値崩れでも起こしたら、目も当てられない。


-- 店主の日記



「此度のこと、まずは姉上に礼を言わねばならぬ。帝都まで足を運んでくれたこと、献上品のこと、誠に痛み入る。臣下の中には、姉上に頭を下げてはならぬと言う者もおるが、どうしてそのような不実が出来よう」

アルバリウスの言にハンゾは静かに笑う。

「陛下、それは他人行儀というものであろう。我らは既に帝国の民。陛下と帝国に尽くすのは当然のこと。それに陛下が盤石でなくては、わたしの可愛い妹が苦労するではないか」

「そう言って貰えるのは有り難い。実を言えば、対価がなければ姉上の力は借りられぬのではないかと、我は案じていたのだ。全く恥ずかしい限りだ」

「陛下の立場であればそう考えるのは妥当であろう。それに対価と言うつもりはないが、実のところ、わたしも陛下に頼みがある」

アルバリウスは頷く。

「我に出来ることならば、何でも遠慮せずに言って貰いたい」

少し間を開けて、ハンゾは言う。

「では、兵を貸して貰いたい」

アルバリウスは暫し沈黙した後、言う。

「確かに何でも、とは言ったが。何故に今、兵を望まれるのか」

「戦の後である故、辺境はどこも乱れている。森丘の国では殊に北部、常緑の国に程近い辺りで賊が蔓延っているのだ。これの平定を行いたいが、我らのみで兵を差し向けては、蛮族が辺境を掠奪しておるなどと、不届きな噂が立つであろう。そこで陛下からの信頼の厚い兵を預かり、合同平定軍としたいのだ。軍の指揮はこの、森丘の先代の王の姪、イザリヤに任せようと思う」

イザリヤは半歩出て一礼する。アルバリウスは言う。

「なるほど、それは何とも、妙案ではないか。古くからの帝国の民、森丘の民、ハンの民が共に行軍すれば、和平と帝国の新たなる体制を知らしめることになる。疲弊した辺境も救われよう。是非とも協力させて貰いたい。どのくらいの兵力を考えておるのか」

「辺境の賊相手に大軍では物々しい。それに兵の数が多くては辺境に兵糧の負担をかけてしまう。とはいえ、賊相手に後れを取るようなことも、あってはならぬ。そこで、なのだが、先の戦の英雄、竜殺しのクロードの力を借りたい」

アルバリウスは暫し沈黙した後、何度か頷く。

「クロードは先の戦いで無二の友を失っておる。立て続けに働かせるのは気が咎めるのだが、責務は果たす男だ。姉上の言う通り、適任であろう」


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