火種
「竜王ハンゾ、大工の街を始めとする王都の西域に、帝国の軍勢が陣を敷き、我らを締め出しております。帝都の小僧め、舌の根も乾かぬうちから我らとの約束を反故にしようなどと、報いを受けさせねばなりますまい」
万人長は跪き、言った。ハンゾは手に持った書物を閉じ、静かに笑う。
「先の戦いで敵の右翼が随分大人しいと思ったが、やはりそういうことか。これはいい。却って好都合だ」
「では早速、出兵いたしますか」
「まあ焦るな。これは皇帝のさしがねではない。右翼を率いた運河の大公は欲深な小心者だ。先の戦いでも己が矢面に立つ気など毛頭なく、ただ森丘の国に兵を進め、どさくさ紛れで居座って隣国の所領をかすめ取ろうという魂胆なのだ」
「ならば帝都に使者を送り、大公の所業を正して貰わねばなりますまい」
「送っても良いが、きっと帝都の連中は見て見ぬふりをする」
「見て見ぬふりとは一体、どういうことなのです」
「和睦の時の約束がある故、皇帝も大公の庇い立てはできぬ。かといって我らに表立って味方すれば、皇帝はハンの言いなりになっておるなどと噂され、波風が立つ。特に皇后の座を狙っていた、年頃の娘を持った取り巻きの連中なんぞ、シウにその座を奪われて面白くない思いをしているからな。我が義弟も難儀なことだ」
「では竜王はいかがされるのです」
ハンゾは中空を見つめ、言う。
「我らがその気になれば辺境の街の一つや二つ、造作もない。だが我らも先の戦いで消耗した。恐らく元々の国境の辺りで互いに攻めあぐね、争いは一服する。そして局面が一度落ち着いた後で攻め入っては、今度は我らが狼藉者となる故、流石に帝都の連中も大公の味方をする。それでは面倒だ。帝都の連中が知らせを受けたときには、運河の国はもう落ちている。やるからには、そのくらいでなくてはな。故に今は我らにとって牙を研ぐ時だ。火種を残す為、小競り合いは必要だが、それ以上は要らぬ。静かに支度を整え、運河の国の商人には根回しを進める」
万人長は改めて跪き、胸の前で手を合わせる。
「流石の慧眼です、竜王」
ハンゾは笑みを浮かべる。そして向き直り、言う。
「技官はいるか」
技官は歩み出て、跪く。
「例の物の準備は進んでいるか」
「はい。まだ調整中ではございますが、使えるようにはなっております」
「次の秋までに数を揃えておけ。金は幾らでも使ってよい」
「御館様、只今戻りました」
クロードの言に、領主は返す。
「クロードよ。生きて帰ってきてくれたか」
「申し訳ありません、御館様。あいつは」
クロードは言葉に詰まる。領主は言う。
「謝るな。話は聞いておる。お前もあいつも、わたしにとっては息子だ。先に逝ってしまうなど、無念でならぬ。これでわたしとお前、二人だけになってしまった」
「何を言うのです。御嬢様がおられるではないですか」
領主は窓の外を向く。
「あいつは、自ら命を絶った」
沈黙が続く。クロードが口を開く。
「どういうことなのです。何故そのような」
「あいつは何も残さなかった。だが、分かるだろう。それもこれも、帝都の小僧の所為だ。あれが来なければ、あの日がなければ、このようなことにはならなかったのだ」




