僭王
帝国の東、騎馬民族の国ハンは九つの部族からなる。これらを束ねるは竜王、竜の末裔である。始祖は竜から人の姿で産まれ、竜とは親子であり兄弟であった。七つのとき、竜とともに人里に現れ、それから部族の民として暮らした。十二のとき、部族の間で争いが起こると、始祖は竜を駆ってこれに勝利した。十四のとき、始祖はさらに二つの部族に打ち勝った。始祖の偉大さに感嘆した九つの部族は臣従を誓い、それぞれが一人ずつ、娘を献上した。その後、始祖と部族の娘との間に産まれた子こそが、初代の竜王である。
「竜は人を産めるというのか」
皇子アルバリウスの問いかけに、学師は「殿下」と頭を下げる。
「わたしは産めぬと考えておりますし、多くの者も同様に考えておりましょう」
「そんなことであろうと思った。やはり出鱈目であるのだな」
「出鱈目かどうかの前に、これには異なる伝承もございます。帝国ではこちらのほうが知られておりましょう」
それは生まれも知れぬ卑しき者であった。戦が終わるたび獣とともに荒れ野に現れ、屍肉を漁る穢れた輩であった。それはやがて同じような輩を率いて賊となり、民を襲った。賊は罠と矢毒と獣とを好み、女を攫い、牛馬を殺した。王は幾度となく討伐せんとしたが、賊の外道の業の前に、それは長く果たされぬままであった。そしてあるとき、裏切り者の手引きを受けた賊が王の寝所を襲い、虚を突かれた王は無残に殺され、その証たる竜の徴は奪われた。以来、賊らは竜王を僭称する。ハンの僭王である。王の徴は竜であり、本来、竜王とは長の長、すなわち部族を統べる者を指す言葉である。
「こちらのほうが尤もらしい」
「長きに渡ってハンと争ってきた帝国の者からすれば、こうした話のほうが耳によく馴染むものでございましょう。しかし、耳に馴染む言葉は嘘の依り代、ともいわれております」
「この話も嘘であるというか」
「それはどうでございましょうか。どちらも嘘かもしれませんし、或いはどちらも真かもしれません」
「共に嘘というならばともかく、共に真であるなどとは、おかしいではないか」
「例えばこんな話はいかがでございましょう。始祖は賊であった。これを恐れた部族の長は娘を生贄として差し出した。娘一人で事が収まるならば、一族すべてが襲われるよりはよい、と。二つ目の伝承が娘を差し出した部族の者によるとすれば、このような一族の恥は語られぬが道理でございましょう。翻って当代の王を称する者が、自らは賊の成り上がりの末裔であるであるなどと、わざわざ吹聴するものではございますまい。さて、殿下はいずれ多くの臣民の声を聞かねばなりません。しかしそれらは時として、嘘とも真ともつかぬものなのでございます」
「なんとも御しがたい。そういう難しい話を聞くのが務めと申すならば、我よりも先生のような御仁が皇帝となればよいではないか」
「お戯れを。わたくしども学術院の者は中道にして無礼。政など務まりませぬ」