遊牧
「まあ、こんなことであろうとは思っていたがな」
そう言った将軍の眼前にはただ、草原があった。
「斥候の報告にあった場所っていうのは、ここで間違いないんすよね。野営どころか、人っ子一人いないじゃあないですか」
将軍は無言で何度か頷く。クロードは下馬し、言う。
「流石は遊牧の民と言ったところか」
友も下馬し、クロードの言に続ける。
「野営地を見つけたところで、兵を向ける前にどっかに行っちまうんじゃ、襲撃なんて無理じゃないすかね」
将軍は笑う。
「そんなことは分かっておる。だが敵を楽にしてはならぬ。例え僅かでも追い立て、焦らせ、消耗させる。戦いとはそういうものだ」
「将軍のおっしゃることも分かりますがね。追い回してたら俺達だって腹減りますよ」
友の言にクロードは続ける。
「意外に笑い事ではない。最近また食い物の値が上がった」
「ほう。どのぐらいだ」
将軍の言にクロードは返す。
「俺達の街を出たあたりから比べると、倍に近い」
将軍は笑う。
「なるほどな。女神の慈悲とやらが効いてきたか。全く癪に障る奴だ」
騎兵が駆け付けて告げる。
「所々に奴らがいた痕跡は残っております。荷車の轍を今、斥候が追っております。」
「あまりに分かりやすい跡は罠かもしれぬ。気を抜かずに追跡しろ。些細な痕跡も見逃すな」
将軍の言に兵は頭を下げ、去る。クロードが言う。
「焚火の跡が其処彼処にある。大きな野営だったのだろう」
友が叫ぶ。
「やべえ。馬の糞、踏んじまったよ」
クロードは笑う。
「こっち来るなよ」
将軍は溜息をつく。
「全くお前達、何をしておるか」
間をおいて、将軍は叫ぶ。
「引き揚げるぞ」
「将軍自ら、わざわざ来なくても良かったんじゃないのか。奴らの痕跡を調べるだけなら斥候に任せておけばいいだろう」
数日後、将軍とクロードらは新しく見つかったハンの野営跡にいた。クロードの言に将軍は笑う。
「古い人間なのでな。部下は信頼しておるが、時折、直に見ておかねば気が済まぬ」
「何か気にかかるのか」
将軍は言う。
「あれから連日、奴らは王都にちょっかいを出してきている。鬱陶しいが、攻め自体は軽い。野営の規模から考えれば、もう少し出てきてもよさそうなものだ。とすれば、選択肢は二つ。わざと軽い攻めを見せて我らを油断させ、守備が薄くなったところで王都を急襲するか、或いは王都を攻めると見せかけて、別の場所、つまり我らの退路に当たる山裾の街を攻めるか」
「それはつまり、帝国軍の本隊をどこに置くか、将軍が決め兼ねているということか」
「わたし一人の戦であれば、もう本隊は後退させておる。だが殿下は王都が再び敵の手に落ちるようなことは絶対にあってはならぬと考えておられる」
クロードは焚火の跡から炭を拾う。そして友を見て静かに笑う。
「将軍、気付いているか。今日はあいつ、まだ馬の糞を踏んでいない」
「人が真面目に話をしておれば。ん。待て。それはもしや」
将軍は顎に手を当てる。クロードは言う。
「ここはこの前の野営の跡より、どうもわざとらしい。焚火の跡は誤魔化しが効く。少ない人数でも沢山火を起こせば大勢いるように見せかけることはできるからな。だが糞は正直だな」
「お前の見立て通りなら、この辺りにはもう奴らの本隊はいないということか」
将軍は舌打ちをして、叫ぶ。
「王都に伝令を送れ。兵を移動させる。我らもこのまま山裾の街へ向かう」




