愚帝
負け犬、臣民喰らい、味方殺し、帝国の内なる厄災、愚帝。冠せられた数々の二つ名は、その無能と暴虐を物語る。森丘の歴史的大敗で知られる愚帝アルバリウスは、百万の兵を以って僭王ハンゾ率いる東の蛮族の討伐へと向かい、五千にも満たない敵兵に敗れた。負けようもない戦いに、なんと敗れたのである。敗戦を重ねた愚帝が宮殿に逃げ帰ったとき、生き残りは千人もいなかったと伝えられる。
その行軍における愚行は枚挙に暇がない。贅を尽くした煌びやかな馬車と細やかな刺繍の施された装束で戦地に赴く様は、およそ場違いであった。街に立ち寄るたび、領主に物資食料からその娘に至るまで、ありとあらゆるものを要求し、断れば殺した。軍が疲弊し兵糧が尽きても自身のためには豪華な食事を支度させ、口に合わぬと言ってはその多くを土に捨てた。またあるときは野営の最中、突如として自軍の馬を斬り殺した。その狂気と奇行に民と兵は幾度となく戦慄した。そんな愚帝が用兵の才など持ち合わせるはずもなく、大敗を喫することはいわば必然であった。
愚帝の敗北の後、森丘の地は帝国から見捨てられた。蛮族が闊歩し、民は踏み躙られ、奪われ、犯され、飢え、そして死んでいった。この絶望に一人立ち上がった者こそ、誰あろう、革命の英雄ヤサンである。そう、より良い世界の為に。
-- 共和国機関紙『革命』第192号『共和国前史第一編』
革命は成し遂げられた。偉大なる革命の英雄ヤサンを人々は「新王」と呼び讃えたが、同志ヤサンは「平等なる新世界に王の呼称を用いるのは相応しくない。自分は話し合いの取りまとめ役に過ぎない」として、自らの肩書きを慎ましく「議長」とした。
革命の勇士によって傲慢なる元貴族どもは捕らえられ、その罪を厳しく裁かれた。しかし、一部の元貴族どもは未だ小賢しく逃げ回っており、愚帝アルバリウスもまた、その一人である。愚帝には恥も外聞もなく、敵である筈の蛮族の縄張りへと逃れたという。これだけでもその愚かさと図々しさに閉口するところだが、驚くべきことに、かの地で奴はまだ生きているというのである。人民から搾り取った金銀で頭の悪い蛮族を買収して生き長らえるなど、もはやその下劣さを表現できる言葉がない。
愚帝と蛮族の取り合わせは実に滑稽であり、近代化に乗り遅れた蛮族の騎兵など革命隊の勇士からすれば恐るるに足らないが、一方でこれは笑い事では済まされない深刻な脅威でもある。いかに前時代的とはいえ、善良なる人民が無防備のまま、馬に乗った奴らの襲撃に晒されては一溜まりもない。今この瞬間にも、蛮族の汚らわしい指先があなたの大切な人に触れようとしているのだ。したがって人民は自由と平等の正義を守るため、より一層、国力の増大と軍備の強化に努めなければならない。その第一歩が同志ヤサンの提唱する「穀倉倍加計画」である。偉大なる同志ヤサンは、常に人民の為を第一に考えているのである。全ては、より良い世界の為に。
-- 共和国機関紙『革命』第196号『共和国の始まりと穀倉倍加計画』